第855話 怯える三人
統一歴九十九年五月九日、夕 ‐
そうだよ、ルクレティア・スパルタカシア様さ。月ごとのお勤めでアルビオンニウムへ行ってらしたんだけどね。ホラ、ここんとこ盗賊どもがまとまって大きい勢力になってるってぇ噂があったじゃないか?あれがブルグトアドルフの村を襲ったらしいのよ。それをキュッテル様が自ら
ウエイトレスはこの上ないほどの上機嫌でそう説明し、厨房へ消えていった。見渡せば店の中の他の客たちも、どこか浮かれているように見える。会話の多くはドイツ語だったからペイトウィンたちにはその意味を聞き取ることはできなかったが、時折聞こえてくるラテン語では確かに戦談義に花を咲かせているような様子であった。
「お、おいどうする、不味いぞ!?」
ウエイトレスを見送った三人はテーブルを囲んで額を突き付けあい、声を潜める。
「どうするって言ったって……」
ティフ達はとっくに出発している。今朝には出発したはずのルクレティアを追いかけて……だがそのルクレティアはまだシュバルツゼーブルグに到着していなかった。『勇者団』はルクレティアを追いかけるつもりで気づかない間にルクレティアを追い越し、ルクレティアがまだ行ってもいないその先へ探しに行ってしまったのだ。当然、追いつけるわけがない。
「ブルーボール様たちに知らせないと!」
エイーが切羽詰まったような声で訴えかけるが、ペイトウィンは渋面を作った。
ティフたちはルクレティアを追い求めてグナエウス街道を進んだ……が、昼間の会議でペイトウィンがまだ隠密態勢を維持すべきだと訴えたことから、ティフ達は街道を避けて間道を進むことにしていたのである。
『勇者団』にグナエウス街道方面の土地勘は無かったが、それでも盗賊たちを集めるために移動しまくった経験があったためシュバルツゼーブルグ近郊の地理は把握していた。だからティフ達は目立たないように陽のあるうちは街道を避けてシュバルツゼーブルグ近郊の間道を東へ進み、陽が沈んで暗くなったらグナエウス街道上に出てアルトリウシア方面へ進むことにしたのである。そしてペイトウィンたちはティフ達が実際にどのルートを通って行ったのか分からない。外は既にだいぶ暗くなっているのでティフ達はもう間道からグナエウス街道に出ているかもしれないが、グナエウス街道に出たティフたちは全力で進んでいるであろうから、今から馬を走らせても追いつける可能性は限りなく低かった。
「だけど、このまま何もしないわけにはいかないぞ!?」
デファーグが一人で頭を悩ませているペイトウィンをせっつく。そのデファーグの顔をペイトウィンは不安でいっぱいという表情で見返した。
「それよりも不味いことがあるぞ?」
「何だよ!?」
「こんなところに居たら、俺たち見つかっちまう!」
「「!!!」」
エイーとデファーグの表情が一瞬で固まる。
ルクレティアの一行がこれからシュバルツゼーブルグに到着する。ということは宿泊先はシュバルツゼーブルグの郷士ヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグの邸宅
「に、逃げるんですか!?」
エイーの声はわずかに震えていた。顔も青い。彼はこの三人の中で唯一、ブルグトアドルフの森で《
戦って勝てる相手じゃない……それはティフもペイトウィンも言っていたし、エイー自身の実感でもあった。そんな絶対に
「逃げるったって……アジトじゃ多分見つかっちまうぞ!?」
デファーグはまだ精霊と直接対決したことが無かったせいか、三人の中では一番冷静を保っていた。ブルグトアドルフの戦況を聞くかぎりでは、《地の精霊》は数百メートル程度離れたところに隠れていたティフたちを探知していたようだ。だとしたらシュバルツゼーブルグの市街地にあるアジトでは間違いなく見つかってしまう。街のすぐ外の農地にあるアジトでも、もしかしたら魔力を探知されてしまうかもしれなかった。
「じゃあ、街の外ですか!?」
焦るエイーの頭にはもう逃げることしか無いようだ。だが、今ここで一番冷静になってもらわなければならないペイトウィンが混乱した様子で待ったをかける。
「いや街から出たら、今度はスモルたちとの連絡が……」
「そんなこと言ってる場合か!?」
「スモルだって出たばっかりなんだ。
クプファーハーフェンは遠いし、たぶん一週間は帰ってこない。
スモルたちとの連絡はひとまず無視していいだろ!?」
「あっ!?ああ……そ、そうだな。」
デファーグが𠮟りつけるように言うとペイトウィンは素直に認めた。いつも
「おまちどぉ~……ん、どうしたんだいアンタら?」
唐突に声をかけられ、三人は驚いて一斉にビクッと身体を震わせた。見上げると声の主は先ほどのウエイトレスであり、その腕には料理が乗せられていた。ウエイトレスはテーブルを覆うように顔を寄せ合っていた三人が上体を起こしたことで空いたスペースに皿を並べていく。
「はい、
並べられた皿にはいずれも確かに育ち盛りの少年でも満足できそうなくらいに料理が山盛りになっていた。マッシュポテト以外のどれもこれもが暖かそうな湯気を立ち昇らせており、食欲をそそらせずにはいないであろう芳香を放っている。
だが、それらを目の前にしても三人の表情は浮かないままだった。
「ん?ホントにどうしたんだい、アンタら?」
「あ、あの……」
それまで三人の中で唯一ウエイトレスに口を利いたことが無かったエイーがおずおずとウエイトレスに声をかける。
「なんだい?」
「その、ス、スパルタカシア様って、もう着かれるんですかね?」
三人の視線が一斉にウエイトレスに集まった。彼女はその三人の目に怯えを感じ取ると、一瞬後にはプッと吹き出した。
「アッハハハハ!!
なんだいアンタら、ランツクネヒトが来るって聞いてビビっちまったのかい!?」
ひとしきり笑った彼女は目もとを拭いながら三人を慰めた。
「いくらランツクネヒトだからってそこまで怖がることはないさ。
兵隊さんたちだって気のいい人ばかりなんだよ?
酔っ払っちまうとハメを外しすぎちゃうけどね、それでも酒保じゃアタシら女たちを口説くために一生懸命歌うんだ。そりゃあもう情熱的にねぇ。
酒と女と歌に夢中で、アンタら坊やたちを構ってるほど暇は持て余しちゃいないだろうよ。
だから安心をしよ。
だいたいまだ先触れは来てないんだ。
あと半時間は来ないだろうよ?」
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