第853話 酒場
統一歴九十九年五月九日、夕 ‐
ペイトウィンたちは一軒の店に入った。暗くなり始めても店を開き続けている店は多くない。ほとんどの店が次々と店じまいをし始める中で、頑なに営業を続けている店の殆どは女たちが表で道行く男たちに声をかけたり、中で暇そうに
店から出てくる人たちはだいたい満足そうに膨れた腹を抱えて居たり、いい気分に酔っ払っていたりするし、客が出入りする瞬間に開かれた扉越しに見える店内の様子は間違いなく飲食店だ。
なんか、冒険者の酒場って感じじゃないか!?……その店を見つけたペイトウィンの感想は他の二人もワクワクさせた。どこがどうとは言えないが、そう言われてみればたしかに冒険譚や英雄譚に出てくる冒険者の酒場を彷彿とさせる雰囲気を
「よし、入ってみようぜ」
初めての街の初めての店……期待に胸を膨らませて握った店の玄関のドアノブは扉自体は安っぽいくせにやけに重々しく感じられた。
ゴゴッゴッゴリッ……建付けの悪い扉が床にこすり付けられ、かすれた音を立てながらゆっくりと開いた。冷たい外気に慣れていたせいか、店の中の空気が暖かく感じられる。
「「「おおお~~」」」
三人は低く感嘆の声を漏らした。
店の中は奥行きがあって表から見た以上に広いが決して明るくはない。
店の中央部分には二か所ほど直径四メートルほどの円形に一段高くレンガ敷きになっている部分があり、その中央に薪が小山のように積み重ねられて火がつけられていた。その上にはやはり同じくらいの
その二つの暖炉をが中心になるように壁際にテーブルが配置され、席の半分ほどが客で埋められており、妙に派手に見えるランツクネヒト族の
客や店員たちはペイトウィンたちが入ってきたことに気づいていたが「いらっしゃいませ」の一言もありはしない。チラッと横目でペイトウィンたちを見はしても、それまで楽しんでいた食事や雑談を止めることなく続けている。
そんな店内の様子を店の入り口で突っ立ったまま眺めた三人はポカンと口を開け、感動に頬を綻ばせた。
すげぇ……酒場だ!
これこそ酒場だよ!
「ヘイ!!エス・イスッ・カルッ!」
すぐ近くにいた男性客が面倒くさそうに振り返り、声をかける。突然かけられた男の声に驚きながらも何を言われたか分からず固まっていると、店中の視線が途端に三人に集まってきた。客たちの雑談も止まり、店内は急に静まり始める。
酔った男は動かない三人に苛立ち、腰を浮かせながら声を荒げた。
「シュリーズン・ズィ・シュネル・ディ・トゥア!!」
明らかに怒っている風だがペイトウィンたちにはドイツ語は分からない。困惑していると、怒りを爆発させそうな男の気配に気づいたウエイトレスが慌てて駆け寄ってきた。
「アンタらドイツ語わかんないのかい!?
早く扉を閉めなよ!
そっちのお客さんが寒いって怒ってんだろ!?」
ウエイトレスにラテン語で注意され、ペイトウィンたちは初めて自分たちが何で怒られているかを理解した。
「あ!ああ、すまない!!」
三人慌てて店内に入り、扉を閉める。すると怒っていた酔っ払いはヘッと一言吐き捨てると自分の席に座り直し、向かい合って座っていた友人と再び雑談を始めた。それに安心したのか、他の客たちもザワザワと何事も無かったかのように雑談と食事とを再開する。
「で、アンタら何なんだい?
よく見たら子供じゃないか!
子供はもう家に帰る時間だよ!?
日が暮れる前に帰りな。」
三人にラテン語で忠告してくれたウエイトレスは一人残り、三人の前に立ちはだかったまま胸を張ってそう言った。背がエイーよりわずかに高い彼女の丸っこい顔はランツクネヒト族特有の黒い肌のせいでこの暗がりでは大きく丸い目しか見えないが、その目は子供を叱る大人の目だった。
普段なら自分の半分も生きてないようなヒトに子供扱いされると途端に機嫌を悪くするペイトウィンだったが、今日は何故か気にならない。それどころか気持ち悪いくらいに機嫌よさそうにニヤリと笑みさえ浮かべていた。
「若く見えるかもしれないがこれでも子供じゃないんだ。
それより腹が減っててね。飯を食いたい。」
何言ってんのこの子?
でもよく見たらローブの下に凄い服着てるわね……どこかの貴族かしら?
ドイツ語わかんないみたいだし、サウマンディアの貴族?
それにしちゃ南蛮人みたいな肌ね。
彼女は
「ふんっ?
ここは店さ。だから客なら断りゃしないけどね……
で、お金は持ってんだろうね?」
「もちろんさ」
ペイトウィンはそう言うと金の入った革袋を一つ取り出して見せた。
「これだけあるんだ。
金の心配はないよ、いいだろ?」
ペイトウィンの手のひらに余る革袋を見てウェイトレスは右の眉毛を大きく持ち上げながらただでさえ大きく丸かった目を更に大きく丸くする。革袋の中身は分からないが、仮にその中身がレーマ帝国で最も価値の低いクォドランス銅貨だったとしてもこの店が育ち盛りの少年三人を満足させるには十分な金額になるだろう。
「ふ~ん、いいわ。
あそこの席が空いてるわね。
ついていらっしゃい。」
途端に商売用に態度を改めた彼女は三人を店の一番奥の開いてるテーブル席へ案内した。そのテーブルにはその席専用の燭台もあり、他よりも明るい。誰の目にも一番上等な席であることは間違いなかった。
店で一番いい席に案内されたことに満足したペイトウィンは上機嫌にウェイトレスに尋ねる。
「とりあえずエールを三人分だ。
あとこの店では料理は何が美味いんだ?」
子供にしてはやけに尊大な態度だったがウエイトレスは機嫌を悪くする様子もなく、むしろ冗談でも言われたかのようにフッと笑った。
「あいにくだね。
都会の店と違ってこんな田舎の店じゃ出せる料理なんて決まってんのさ。
ラテン語にはソーセージを表す単語が二つある。ファルチーメン【Farcimen】とボトゥルス【Botulus】だ。ファルチーメンは「詰める」という意味から生じた言葉で、食品のソーセージを表す単語としては本来こちらが正しい。一方、ボトゥルスの方は元々「腸管」を意味する単語であり、これを食品のソーセージを表すために用いるのは非常に下品な用法でもあった。
何故、実際にソーセージを作るための原材料であるはずの「
それを聞くと三人の表情の笑みが急に冷めた。だが別にウエイトレスの下品さに驚いたというわけではない。
「え、それだけ?」
御馳走を期待してた彼らは街で一番立派そうな店なのにその程度のメニューしか無いことに驚いていた。あえて下品な言葉遣いでビビらせようとしたウエイトレスは肩透かしを食らったような気がして内心ガッカリしていたが、それでもあっけらかんとして笑って見せる。
「種類はそれだけさ。
ほかにも何か食べたいんだったら、表の屋台で何か買うんだね。」
笑うウエイトレスの言葉が信じられず、三人はそれぞれ店内を見回してみたが、確かに客の前には食べ物はマッシュポテトと茹でたソーセージとパンとスープのいずれかしかない。あとは中身は見えないが酒が入っているであろうジョッキのみだ。
「どうすんだい?
やっぱり家に帰るかい?」
子供を
「いや、食って帰るさ。
腹が減ってるからな。
これで三人分、出してくれ。」
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