第945話 乾坤一擲

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 大の大人が二人掛かりで両手を広げてようやく囲えるほどの大木のような太い両脚。その両脚に負けないほど太い尻尾。それらに支えられた更に太く巨大な胴体。その胴体から伸びる、人間の腰回りよりも太いガッシリとした両腕。その先から伸びた五本の指はそれぞれが太腿ほどもあり、鋭く尖った爪は固い大地さえ切り裂く重犂プラウのよう。全体を岩石のような肌で覆われたその巨体の上には、ドラゴンのものとも悪魔のものともつかぬ顔が乗り、鋭く尖った牙を剥き出した口は嗜虐しぎゃく的な愉悦に歪み、赤く輝く両目はまっすぐこちらを見下ろしている。月明かりさえ届かぬ深夜の森の中、そいつだけが頭上から降り注ぐ月光を浴びて闇夜に浮かび上がっている。その光景は目の当たりにしたペイトウィンやエイー、そして盗賊たちにとってまったく現実感が無く、まるで神話を描いた絵画のような荘厳な雰囲気さえ醸し出して余計に混乱させた。

 

 ヴルルルルルル……

 ヴルルルルルル……


 呼吸音だろうか、何かがゴポゴポと泡立つような低い響きを伴った音が規則正しく耳朶じだをくすぐる。聞く者によっては愛嬌を感じるその音も、グレーター・ガーゴイルの邪悪な見た目と周囲を圧する存在感を前にしては印象にすら残らない。

 状況を理解しきれない人間たちを憐れむように、グルグリウスは身を屈めて顔をペイトウィンに近づける。


『さあ、これ以上の無駄な抵抗は辞め、大人しくしてください。』


 グルグリウスの顔を初めて間近で見たエイーが無意識に半歩後ろへさがり、踏みつけた木の枝が折れてパキッと小さく乾いた音を立てた。その音でペイトウィンがハッと我に返る。


「クッ、誰が!!??」


 ペイトウィンは咄嗟に右手に持っていた『火の神の杖』ヴァルカンズ・スタッフを突き出すと同時に先端の宝珠がきらめき、火属性攻撃魔法『爆炎弾』エクスプロージョンが放たれる。三メートルと離れていない至近距離から放たれた必殺の魔力弾は、しかしグルグリウスの顔面を捕えることは無かった。二人の間の地面が一瞬で噴き上がるように盛り上がり、泥の壁となって両者を隔てる。見えなくなる直前にニヤリと笑ったグルグリウスの顔に命中するはずだった魔力弾は泥の壁にぶつかり、激しい爆発を起こした。


「ぐわっ!?」

「くはあっ!!??」


 突如、目の前で起きた爆発にペイトウィンとエイーは吹き飛ばされ、悲鳴を上げながら地面に転がる。


「ぶはっあっあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーっ!!

 あ゛あ゛あ゛ーーーーっ!!!!!」


 対魔法防御能力を付与された魔導具マジック・アイテムで身を固めていたペイトウィンは爆風で転ばされただけで済んだが、エイーの方は火だるまになってしまい、悲鳴を上げながらのたうち、地面を転げまわる。


「ク、クソッ!!

 『消火』エクスティングリッシュ!!」


 エイーの尋常ならざる悲鳴に事態を察したペイトウィンは即座に魔法でエイーの身を焼く炎を消したが、エイーは既に深刻なダメージを負っていた。


「エイー!エイー大丈夫か!?」


 火は消えたもののプスプスと煙を上げるエイーに、ペイトウィンは立ち上がる手間も惜しみ、這いつくばったまま駆け寄った。エイーの髪は完全に焼けてチリチリになっており、既に頭皮が剥き出しになっている。顔面も赤黒く焼けただれてエイーは目も開けられず、喉の奥をヒューヒュー鳴らしながらなんとか呼吸を維持しているような状態だった。いつ死んでもおかしくない、非常に危険な状態と言える。


「待ってろエイー!

 今、今ポーションを……」


 ペイトウィンは魔法鞄マジック・バッグを漁り、貴重なガラス瓶に入ったヒール・ポーションを取り出すと封を切り、惜しみなくエイーの顔に振りかけた。それはこの世界ヴァーチャリアで複製されたまがい物レッサー・ポーションなどではなく、彼らの父祖にあたるゲーマーがのこした本物のヒール・ポーションである。その効果はすさまじく、焼死体同然だったエイーの患部が淡い緑色の光を放ちながら見る見るうちに元へ戻っていく。二呼吸ほどした後には、エイーの火傷は痕跡も残さず、綺麗に元通りに治ってしまった。身にまとっている衣服の焼け焦げが無ければ、彼が火だるまになったなどと言われても誰も信じないだろう。

 だが、エイーの意識までは回復しない。消火までに時間がかかってしまい、火傷が進んでショック症状が出たのか、あるいは酸欠状態に陥ってしまったのか、ペイトウィンがポーションを使った時には既に失神してしまっていたのだった。傷は回復したはずなのにエイーが目を覚まさないことに焦ったペイトウィンが、エイーの頬をペシペシ叩きながら必死に呼びかける。


「エイー!しっかりしろエイーッ!!」


「ルッ、ルメオの旦那ぁヘル・ルメオ!?

 ホエールキングの旦那ヘル・ホエールキンッぁ!?

 大丈夫ですかあ!?」


 突然の爆発音、そしてエイーの悲鳴に続いてペイトウィンのただならぬ様子に心配になったクレーエが声を張り上げた。普段なら一般人NPCなど相手にしないペイトウィンが珍しく直接応じる。


「おい盗賊ども!!

 エイーがやられたぞ!」


「旦那が!?

 死んじまったんですか!?」


「馬鹿言え、死ぬもんか!

 怪我して気を失っただけだ!

 早くこっちへ来い!

 エイーを助けろ!!」


 だが、地面にへたり込んだまま叫んだペイトウィンの命令に応える声は帰ってこなかった。ペイトウィンの周りにはマッド・ゴーレムたちの包囲網が既に完成しており、五メートルほどの距離を開けて南側をぐるりと半周囲んでいる。そして北側にはグルグリウスが展開した『地の防壁』アース・ウォール……それもズズズッと小さく地響きを立てながら地面に戻りつつあり、その向こうからグルグリウスが再び姿を現そうとしていた。ただの人間に過ぎない盗賊たちが突入など出来るような状況では既になくなりつつあったのである。


「ヴルルルル……だから無駄な抵抗は辞めるよう申したではありませんか?

 今のは貴方様が悪いのですよ、ペイトウィン・ホエールキング様ぁ?」


 慇懃いんぎんな口調は嫌味にしか聞こえない。ペイトウィンはグルグリウスが居るであろう『地の防壁』の向こう側を睨み、ギリッと歯ぎしりした。その時だった……


ぶっ飛ぶぞーグラナートっ!!!!」


 クレーエの声が突然響く。


 なんだ!?


 この期に及んで何も出来ない非力な盗賊NPCども……それがいったい何をしようというのか?考えの及ばないグルグリウスとペイトウィンが声の方向を見ると、そっちの方向にいた一体のマッド・ゴーレムめがけて何かが飛んで来た。


「フォイアー!!!!」


 パッパパパパパッ!!!


 クレーエの号令に続いて銃声が鳴り響く。それは先ほどペイトウィンが放った魔法などとは比べ物にならないほどお粗末で頼りない、どこか気の抜けた音だった。しかし、盗賊たちの放った弾丸はマッド・ゴーレムの右脚に集中して命中、ゴーレムはちょうど体重を移そうとしていた軸足を部分的に崩され、よろめいてしまう。しかし、倒れるには至らない。


 何を無駄なことを……


 味方ながら苛立たしさを感じさせる程ささやか過ぎる攻撃は、しかしそれだけで終わったわけではなかった。バンッという音共にペイトウィンの魔法『爆炎弾』にも引けを取らぬ爆発が起こり、周囲に無数の青銅の破片が飛び散る。それにやや遅れるように広がった猛烈な白煙に包まれながら、脚を吹き飛ばされたマッド・ゴーレムがその場に崩れ落ちたのだった。

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