第946話 奇跡の脱出

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 何が起こったのか、グルグリウスにもペイトウィンにも分からなかった。突然、爆発と共に広がった白い硝煙の向こうから、既に喉がれそうになっているクレーエの号令が聞こえる。


突撃ィアウフラードンッー!!」


「う、うぉおおおおーーーーっ!!」

万歳フラーぁぁぁぁぁぁ!!!!」

神様ゴット神様ゴット神様ぁゴォォット!!」


 ヤケクソにしか聞こえないときの声の主はどう聞いても二、三人といったところである。静まり返った深夜の森に、寂しい喊声かんせいは虚しく溶け込んでいくばかりだが、それでも声を嗄らして吶喊とっかんを叫び続ける五人の男たちは爆発が作り出した煙幕の中を突っ切り、ペイトウィンたちのところまで駆けこんできた。


ルメオの旦那を救えレッテ・ヘェン・ルメオ!!

 運び出せエントフューレン!!」


 突然駆け込んできた汚い姿なりの男たちはクレーエの謎の命令を待たずにエイーにとりつき、気を失ったままのエイーを担ぎ上げる。


 え!?何!?何だコイツラ!?!?


 盗賊たちがエイーをかつぎ上げるのを待たずに、クレーエが何が起こったのか分からず混乱しているペイトウィンに向かってしゃがみ込み、その肩に手をかけて揺する。


ホエールキングの旦那ヘル・ホエールキンッ!立てますか!?走れますか!?」


「え、あ、ああ……」


「なら立って!逃げますよ!?」


 言うが早いかクレーエはペイトウィンの背中に手を回し、該当越しに服を鷲掴みにすると力任せに強引に立ち上がらせた。ペイトウィンは立ち上がったが、強引に引っ張り上げられたせいでバランスを崩し、立ちくらみでも起こしたみたいによろけてしまう。それを見たクレーエはチッと小さく舌打ちすると、大きく前屈みになり、肩をペイトウィンの腹のあたりに押し当てるや否や両腕をペイトウィンの両太腿に巻き付け、そのままペイトウィンの身体を丸ごと地面から刈り取るかのように一気に身体を起こして立ち上がった。


「おっ、オイッ!?」


 初めての経験に何が起こったのか分からず、抗議の声を上げるペイトウィンを無視し、クレーエはエイーを担いで先に逃げ出していた手下たちを追って駆けだした。


よぉ~しイン・アードゥノン走れラォフ

 死ぬ気で走れぇツォ・トォーデ・レンネン!!!」


 前方を走る手下に命じるだけあってクレーエの脚も決して遅くはない。長身のペイトウィンを一人で肩に担ぎながら、山道とは思えぬ速度まで一気に加速し、手下たちとの距離をグングンと詰めていく。倒れたマッド・ゴーレムを飛び越え、硝煙の作り出した煙幕を通り抜ける頃には手下たちを追い抜こうとしていた。


「イヤァァアアアアアアッハッハァーーーーーーッ!!!!」

よーしヤーッヨシッヤッヨシッヤッ

 やったイッヒ・ハーベやったイッヒ・ハーベやったぜイッヒ・ハーベッ!!」

スゲぇぞグローサーティヒコイツぁスゲェエスッ・イスッ・グローサーティヒッ!!

 俺たち悪魔を出し抜いてやったぁヴィア・ハーベン・デン・トエフェル・ウバーリステッ!ハッハーッ!!」


 盗賊たちはペイトウィンには意味が分からない、まるで悪魔を召喚する呪文のような謎の言葉を発しながら走り続けている。

 ペイトウィンは他人に肩に担がれながら運ばれるという、物語の中でしか知らない状況に自らが置かれるという初めての経験に戸惑い、クレーエの脚から伝わってくる衝撃に耐えながら、その歩調と同じリズムで「オッ、オッ、オッ、オッ、オッ」と悲鳴とも感嘆ともつかぬ謎の声を漏らし続けていた。クレーエが地面に着地するたびにクレーエの肩から伝わってくる衝撃に耐えるため、タイミングを合わせて腹筋に力を入れるとどうしてもそんな風に間抜けな声が漏れてしまう。

 ペイトウィンは自分が運ばれているという状況をどう捉えていいかわからず、思考を完全に停止させていた。まるで自分が間抜けを晒しているようにも思えるし、とても新鮮な体験をしているようにも思える。


 果たしてこれは仲間たちに自慢していい体験なのだろうか!?

 なんだかとっても恥ずかしい状況な気がするが、でもアイツ等誰も絶対こんな経験したことないぞ!?

 それって自慢にならないか!?なるんじゃないのか!?


ホエールキングの旦那ぁヘェッル・ホエールキンッ

 アンタ、ガタイの割に随分お身体が軽いようだ。

 そこらの百姓女の方がよっぽど重いくれぇですぜ。

 ちゃんと、食ってんですかい!?」


 ペイトウィンの混乱した思考はクレーエの無遠慮な質問で中断された。ペイトウィンはハーフエルフたちの中ではむしろぽっちゃり系の体形であり、仲間たちと違って肥満気味でユルユルの腰回りにコンプレックスを抱いているくらいである。それなのに「そこらの百姓女の方が重い」と言われ、咄嗟に反駁はんばくした。


「うっ、うるさい!

 お前には関係ないだろ!?」


 実年齢が百歳近いとはいえ見た目と精神は年頃の少年である。コンプレックスを抱いている体型に関することで、しかも異性と比較されたことはペイトウィンにとって衝撃的なことだった。何故か理性が効かず、頭に血がのぼってしまう。

 クレーエはこの異常な状況で悪魔の包囲からエイーとペイトウィンを救出するという大博打に勝った興奮と、ペイトウィンの予想すらしてなかった軽さに対する驚きからつい質問してしまったのだが、ペイトウィンの激昂に自分が口を滑らせてしまったらしいことには気づけていた。

 エイーとペイトウィンを包囲網から救い出したとはいえ、安全圏まで脱しきれたわけでもない以上まだ油断はできない。なんとかペイトウィンを宥めようと言葉を選んで言いつくろう。


「旦那を運ぶコッチからすりゃむしろありがてぇくらいですがね。

 できれば大人しくしといてくだせぇ!

 暴れられると走りにくくてしょうがねぇ!」


 何とか気さくに話しかけたつもりだったが、ペイトウィンにとっては無礼の反省が感じられず馬鹿にされた様にしか聞こえない。とかく他人より優位に立ちたがるペイトウィンはクレーエに立場の違いを弁えさせなければと思い、語気を強めた。


「うるさい!

 俺を運べなんて命じた覚えはないぞ!?

 降ろせ!

 俺だって自分で走れるんだ!

 いつまでこうしてるつもりだ!?

 今すぐ俺をおろせ!」


 火に油を注いでしまったことに気づいたクレーエだったが、しかし本当にペイトウィンを降ろしてやるわけにはいかない。まだ悪魔たちからそんなに離れていなかったし、ここで降ろしてしまってそのままお説教が始まりでもしたらまたすぐに悪魔どもに追いつかれてしまうことにもなりかねないからだ。

 クレーエは何とかペイトウィンに状況を思い出させ、今だけなんとか我慢してもらおうと言葉を弄する。


「ああ、暴れないで!!

 どうか勘弁してくだせぇ!

 見たところ旦那ぁ山道に不慣れなようだ。

 旦那が走るよりアタシらが担いで走る方がよっぽど早ぇや。

 それに道だってわからんでしょぉ!?

 ここはひとつ辛抱してくだせぇ!」

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