第947話 反省

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 無力で何もできない同然に思われていた盗賊たちによってペイトウィンとエイーの二人が窮地きゅうちから救出された時、ペイトウィンたちを追い詰めていたグルグリウスはというと自ら展開した防御魔法『地の防壁』アース・ウォールに視界をさえぎられ、盗賊たちによる救出劇の全てを目撃出来ていたわけではなかったが、解除中の『地の防壁』が元の通りに地面へ戻る少し前には目の前にいたはずのペイトウィンたちがその場から姿を消しており、突入してきた盗賊たちによって担がれて煙幕の向こうへ消えようとしていたことにだけは気づいていた。

 人間たちの……それも何も出来まいと侮っていた盗賊たちの思わぬ活躍に呆気に取られていたグルグリウスだったが、煙幕と樹々の枝葉の彼方へ盗賊たちが姿を消すと拳を握りしめて歯噛みした。


「お、おのれ小癪こしゃくなぁ……」


 しかし、悔しそうな態度、セリフとは裏腹にその顔には笑みが浮かんでいる。今でこそ『勇者団』ブレーブスたちを圧倒するほど強大なグレーター・ガーゴイルへと進化を遂げているが、つい先刻までは普通の人間にすら勝てない弱小妖精インプだったのだ。召喚されて間もないグルグリウスは今はもうインプだった時よりグレーター・ガーゴイルになってからの時間の方が長くなりつつあるが、それでも同族同士の集合知を有していた彼は、自分以外のインプたちとの記憶と経験を共有していたため、今もなおインプとしての自覚や意識が強い。おそらく、彼のその精神のようは死ぬまで変わることは無いだろう。

 そんな彼にとって、心はいつも弱者の側にある。短い距離を不器用に飛ぶことと短時間だけ姿を消すことが出来る以外に特別な能力を持たないインプは、醜い容姿ゆえに人間たちからうとまれさげすまれながらも、報酬を得るために知恵と勇気だけを武器に過酷な任務に挑み続けた。その愚直なほどの契約主義精神……彼らインプが“誠実さ”と称するそれはインプにとって、そしてグルグリウスにとって誇りそのものである。

 そして今、人間たちをものともしないほど強大な存在となった彼の目の前で、人間たちが自分の目の前から仲間を救い出すという困難に挑み、それを成し遂げたのである。それも今この森の関係者の中で最も無力であるはずの盗賊たちが!!!


 ヴルッヴッヴッヴッ……


 グルグリウスの喉が鳴る。無謀な挑戦を成功させた彼らの姿に踊る心が、身体の奥から何かを湧き上がらせてくる。それは歓喜に近いものだったのかもしれない。


 だが、仕事は仕事。

 盗賊どもやつら吾輩わがはいの仕事を邪魔してくれたのだ。


 グルグリウスはそう自分に言い聞かせることで沸き起こる感情をモチベーションへ切り替え、果たすべき仕事へ集中する。


 ヴルルルルルルルーッ


 喉の奥でゴポゴポと何かが噴き出すような音を立てて盛大に息を吐き出すと、グルグリウスはギュッと両拳を握りしめて気合いを入れた。


 いいだろう。

 無力な盗賊と無視していたが、それは間違いだったようだ。

 あれほどの勇気、あれほどの働きを示した以上、認めて差し上げねば失礼というもの……

 もう侮りはしない。


 グルグリウスは視線をマッド・ゴーレムたちに戻した。六体のゴーレムの内、五体は既にいなくなったペイトウィンに対する包囲網を形成したまま突っ立って次の指示を待っている。そして脚を吹っ飛ばされて倒れた一体は地面に這いつくばったまま、脚が再生するのを待っていた。グルグリウスはそのゴーレムを見下ろし、短く嘆息すると手をかざし、魔力を送って再生を手助けしてやる。


 油断した。

 ハーフエルフならともかく、盗賊にゴーレムがやられるとは……


 ゴーレムの脚は見る間に再生し、回復したゴーレムはのっそりと立ち上がる。その足元には森には似つかわしくない金属片が落ちていた……先ほど爆発した、爆弾の残骸である。


「ヴルルルルルルルッ」


 グルグリウスはそれを摘まみ上げ、鼻先に持って来て観察しながら小さく唸った。


 これは……レーマ軍の投擲爆弾グラナートゥムか?


 レーマ軍は青銅製の容器に黒色火薬を詰め、真ん中に赤燐せきりんを利用した摩擦発火式の時限信管を備えた手投げ爆弾を装備している。爆発させれば青銅製の容器は火薬の燃焼ガスの圧力によって表面に刻まれた溝に沿って割れ、小さな無数の破片となって飛び散ることで周囲の敵兵を殺傷する構造になっていた。このため爆弾の容器はバラバラに飛び散ってほとんど残らないが、真ん中の信管の部分は多少焼け焦げるだけでほぼ無傷で残る。グルグリウスが摘まみ上げた金属片は、その信管部分だった。


 盗賊どもあいつら投擲爆弾こんなものを持っているなんて聞いてなかったぞ!?


 投擲爆弾はレーマ帝国では正規軍しか持っていない武器だ。爆弾なんて周囲にいる人間を無差別に殺傷するような兵器など、戦争以外で必要になるわけがない。爆弾としての構造は簡単なので知識があれば作れないわけではない程度の代物ではあるが、容器に使われている青銅は近年価値が下がっているとはいえ貨幣に使われる程度には希少な金属であり、そいつを爆弾の容器として大きな鍋が二つ三つ作れる程度の青銅を使い捨てにするのはなかなか贅沢でもある。つまり、民間人が所有している筈のない武器なのだ。

 それなのにそれを盗賊が持っているということは、盗賊が軍隊から奪ったと考えるのが妥当であろう。つまり、グルグリウスに《地の精霊アース・エレメンタル》を介してペイトウィンの捕縛を依頼してきたあのレーマの軍人たちは、盗賊たちが軍の兵器を装備していたことを知っていながら教えなかったことになる。


 人間どもはいつもこれだ。

 インプひとにやっかいな仕事をさせる癖に、教えるべきことを教えず、必要なサポートもろくにしやしない。


 グルグリウスは面白くなさそうに金属片を投げ捨てた。ゴーレムたちが一斉に盗賊たちの後を追って歩き始める。


「まあいい。」


 グルグリウスはレーマ軍人たちへの恨み節をもてあそぶのをやめた。仮に軍人たちがグルグリウスに武器のことを教えたとしても、おそらくグルグリウスは自分がそれに留意して作戦を変更するようなことはなかっただろうと気づいたからだ。


 己の力を過信し、人間たちを侮った結果だ。

 不慣れな力を与えられ、持て余しているということか……

 そう、油断した……すべてはそのために起きた失敗……

 忘れていた……インプは力ではなく知恵で戦うもの……

 吾輩わがはいも力に頼らず、知恵に頼るべきなのだ。


 横に広がりながら森の中へ前進し始めたゴーレムを見送り、グルグリウスは翼を広げてフワリと巨体を浮き上がらせる。


 投擲爆弾グラナートゥムなど、どうせそう何個も持ってはいまい。逃げ去った盗賊どもの脚は相当速かったが、こんな深い森の中ではあんなペースでいつまでも走り続けること等できるはずもない。マッド・ゴーレムでもすぐに追いつけるだろう。


 羽ばたきもせず、風も起こさず、音もたてず、グルグリウスは舞い降りた時に開けた頭上の穴をそのまま通って星空の元へと舞い上がった。

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