第944話 王手

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 そういえばグルグリウスアイツ、姿が見えないな……


 盗賊たちの懸命の働きにも関わらずマッド・ゴーレムの包囲網は着々と狭まっている。だが、肝心のグルグリウスの姿が先ほどから全く見えない。


 あの図体じゃこの森の中に入ってこれないってことか?

 そういや、俺が付けた火をイチイチ消してるみたいだった……

 そんなに山の樹が大事だってことなのか?


 エイーに肩を貸してもらいながら歩き続けるペイトウィンは、エイーとの会話が終わってからずっと周囲を観察し続けていた。エイーの回復魔法のおかげで魔力の方はとっくに回復しているのだが、いかんせん動悸がまだ止まらない。心臓の鼓動に合わせて胸に、そして頭にズキズキと痛みが走る。それもだいぶ弱まってきたおかげで、周囲を観察するだけの余裕は出来ているのだが、まだ本格的な魔法戦を戦うにはちょっと厳しい。


 グルグリウスアイツはどこだ?

 間違いなく近くにいる筈なのに、場所がつかめない……

 クソッ、森全体にグルグリウスアイツの魔力が満ちてるみたいだ。


 ペイトウィンも魔法の専門家である以上、魔力探知のスキルは持っている。近くに魔物がいればほぼ間違いなく気づくことが出来る。しかし、今はどうしたことかグルグリウスほどの強大な魔物の居場所を特定できない。自分の周囲のすべての方角からほぼ一様にグルグリウスと思しき魔力の波動が感じられ、魔力の発生源の方向がまるで特定できないのだ。

 過去、ペイトウィンはこのような状況を経験したことが無いわけではない。それも記憶を掘り起こすまでもなく、ごく最近の出来事……そう、《地の精霊アース・エレメンタル》と対峙した時である。

 アルビオンニウムの神殿前で、そしておそらくその前のブルグトアドルフでのスパルタカシアに対する最初の襲撃の時も、ペイトウィンは同じような経験をしていた。あの時は周囲に魔力が満ち、スライムなどの弱小モンスターの存在に気づくことすらできなくなっていた。


 今、思い返せばあの時感じていた魔力は《地の精霊》のものだった……

 あの霧みたいに広がる魔力のせいで魔力探知が阻害され、気づかぬ間にスライムに食いつかれて、みんな次々と魔力欠乏に陥っていった。

 いや、あのスライムたちはひょっとしてあの魔力のせいで発生したのか?

 とにかくこの状況は危険だ。


 突然そうなったというのなら警戒のしようもあっただろう。だが、霧のように広がって周囲を覆う精霊エレメンタルの魔力はあまりにもゆっくりと自然に高まり、徐々に濃くなり、気づけば……というような状態だった。今もそう。

 最初は何ということは無い、何度も通った何ということもない森の中の間道だった。それなのに気づけば周囲には魔力が広がっていて、グルグリウスが初めてペイトウィンの前に姿を現した時には既に魔力探知が利かなくなっていた。

 もしも弱小な魔物が普通に出てくるような森なら、グルグリウスが出て来る前に状況の変化に気づけていたかもしれない。だが、この森に魔物は居ない。だから魔物が居るのに気配を感じられなくなったとかいうような異常事態に気づきにくい。


 ひょっとして、これも奴らの戦い方なのか?

 魔力探知阻害か……どういう方法かわからないが、研究してみる価値はあるかもしれないな。


 こんな時に暢気のんきなことを考えている自分に気づき、ペイトウィンは思わず「ヘッ」と自嘲する。


「大丈夫ですかホエールキング様!?」


 肩を貸していたエイーはペイトウィンが咳き込んだのかと思い、体調を尋ねる。


「ああ、大丈夫だ。

 ああエイー、もう肩も、平気だ。一人で歩ける。」


 ペイトウィンはそう言うと一度歩みを止め、エイーの肩に預けていた腕を引っ込めた。動悸はまだするがかなりマシになってきている。不慣れな山道とはいえ肩を借りなければ歩けないほどではない。もっとも、マッド・ゴーレムを引き離せるほどの速度で歩けるかというとそこまでの自信はなかったが……


「御無理はなさらないでください。」


「大丈夫だ。ありがとうエイー。」


 気遣うエイーに礼を言うと、立ち止まり胸を手で押さえたまま二度、三度と深呼吸を繰り返す。


「急ぎましょう。」


 ペイトウィンが深呼吸をしている間、周囲を見回したエイーが焦りをにじませながら促した。マッド・ゴーレムの包囲網は既に二十メートルも無いくらいに狭まっている。そこへ……


 バキバキバキバキッ


「「!?」」


 轟音とともに頭上から何かが、エイーたちの眼前に降ってきた。舞い落ちる木の枝葉の向こうで、先ほどまで何もなかったはずの場所にうずくる巨体がむっくりと身体を起こす。


「ヴッヴッヴッヴッヴ……ヴァーラヴァラヴァラララララッ!!」


 頭上をすべて針葉樹の枝葉で覆いつくされた森の天井、そこに上空から舞い降りることで自ら開けた穴から差し込む月の光を、まるで舞台俳優を照らすスポットライトのように一身に浴びながら、ソイツは雄叫びとも哄笑ともつかぬ声を虚空へと放った。何が起こったのかも分からず呆気にとられ、完全に動きを止めてしまった人間たちの視線を集めたソイツは、岩石の肌で覆われた体高四メートルは超えるであろうドラゴンとも悪魔ともつかぬ巨体を持ち、背中からコウモリのような羽根を生やし、怪しく赤い光を放つ目を見開いてペイトウィンを見下ろしている。ペイトウィンとエイーには、その口角が心なしか持ちあがっているように見えた。


「グッ、グルグリウス!!!」


 やっとのことでペイトウィンの口を突いて出た言葉は、まるで呻くようだった。それを嘲笑うかのように、グルグリウスの念話が頭に飛び込んでくる。


『追い詰めましたよ、ペイトウィン・ホエールキング様ぁ。

 もう逃げられないのはお分かりいただけたでしょう?

 さあ、吾輩わがはいと共に来ていただきましょうか。

 なんなら、お友達と御一緒でもかまいませんよ?』

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