第217話 イェルナク上陸

統一歴九十九年四月十八日、昼 - セーヘイム/アルトリウシア



 ハン支援軍アウクシリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスを名乗る一団がセーヘイムに上陸したのは太陽が真上を少し通り過ぎたころだった。

 セーヘイムに入港してきた貨物船クナールが八日前に強奪されて行方不明になったはずの内の一隻だと誰かが気づいたのは、船の接舷を手伝ってやろうと桟橋へ向かった気の良いブッカの一人が、その船にハン族のゴブリン兵が多数乗っているのに驚いた後のことだった。

 亡霊でも見てしまったかのように愕然とするそのブッカに船からもやいが投げられた。そのブッカは驚きのあまり思考停止状態だったが、それがかえって良かったのだろう、半ば茫然としたまま夢遊病者のような手つきで受け取った舫綱もやいづなを杭に結わえたところで船からゴブリン兵が大声で名乗りを上げた。


ハン支援軍アウクシリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスであーる!

 軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムイェルナク様、御成ぁーりぃー!!」


 その声が響くとあたりは一瞬静まり返り、船から降り立った先触れのゴブリン兵がもう一度同じ名乗りを上げると今度は港中が騒然となった。


ハン支援軍アウクシリア・ハンだって!?」

「間違いねぇ、ありゃあゴブリン兵どもだ!」

「なんてことだい、また戦が始まんのかい?」

「武器を持ってやがるぞ!」

「おい、女子供を隠せ!早くしろ!!」

「男どもは武器を持って集まれ!」

「今更何しにきやがった!?」

軍使レガティオー・ミリタリスだって言ってるぜ?」

「今頃になって降参しに来たか!?」

「見ろ、あれは奪われた船だ!

 操ってんのはみんなブッカだぜ!」

「捕虜を奴隷にしやがったのか、クソ!」



 女たちは子供を抱えて家に走り、男たちは武器になりそうなものを持って集まってくる。魚の加工も船や漁具の手入れもそっちのけで船着き場の周辺には血の気の多い男たちがあつまり、その周辺に物見高い者たちが遠巻きに様子を見ようと人垣を作り始める。



「お前たち、帰りも来た時と同じようにちゃんと船を漕がなければ…わかっていますね?」


 イェルナクは船を漕いできたブッカたちにそう釘を刺してから桟橋へ護衛のゴブリン兵たちとともに降り立つ。そして、おかに集まったセーヘイムの住民たち、その敵愾てきがいしんに燃える目や恐怖と不安に震える目を見ながらフンッと鼻を鳴らした。


「下民どもが…それが貴族を迎える態度か、蛮族どもめ。」


 忌々し気に吐き捨てると、イェルナクは護衛に囲まれながら桟橋を陸へ向かって歩いた。大きく胸を張り、顎を突き出すような姿勢で、肩を怒らせるようにノッシノッシと歩くイェルナクの姿はセーヘイムの住民たちを挑発しているかのようだ。

 その彼らの前に一人のブッカが立ちはだかる。


「待て!お前たちは誰の許可を得て上陸した!?」


 その港の住民以外の船が入港し上陸するためには事前に許可を得るのが慣例である。イェルナクたちはそれを無視していた。


「我々は軍使レガティオー・ミリタリスである!

 お前は何者だ!?」


レーヴィの子、ヨンネヨンネ・レーヴィソンだ!

 質問に答えろ!誰の許可を得て上陸したか!?」


 ヨンネはヘルマンニの甥にあたる男でサムエルの従兄弟である。船乗りで軍人ではあったが、戦で右腕を失ってからは船を降り、サムエルの郷士ドゥーチェとしての仕事を手伝っていた。


「そのような者など知らん!

 お前の無礼は許してやるから、セーヘイムの郷士ドゥーチェ殿を呼んで来い!」


 一度は歩みを止めたイェルナクだったが、それだけ言うと再び歩き始める。


「待て!勝手に上陸するな!船へ戻れ!」


「うるさい無礼者!

 我々は軍使レガティオー・ミリタリスだぞ!?

 軍使レガティオー・ミリタリスの行く手を阻んではならぬことぐらい知らんのか、この愚か者め!!」


軍使レガティオー・ミリタリスだろうが何だろうが勝手な上陸は許されん!

 いいから船へ戻れ!」


 ヨンネがあくまでも立ちはだかると周囲の男たちも一斉に武器を構え、それを見てゴブリン兵たちも次々と短小銃マスケートゥムを構える。


「名誉ある軍使レガティオー・ミリタリスを襲うつもりか?

 戦いもせずにレーマにシッポを振ったお前たちには似合わぬ蛮勇だ。

 貴族パトリキに対する口の利き方も知らん無礼者め、イェルナクの寛大さに甘えるのはその辺でやめておくがいい!」


 イェルナクの態度はどこまでも尊大だった。自分より身分の低い相手を徹底的に見下すのは彼の悪い癖ではあったが、それが最大限に発揮されてしまっている。怒った群衆から次々と罵声が飛び始める。


「ふざけるな!の負け犬ども!!」

「不意打ちで女子供を襲う事しかできない卑怯者!」

「法も守れん奴が法を語るな!」

「野蛮人め!」

「護衛を引き連れた軍使レガティオー・ミリタリスなんざ聞いたこともねぇや、臆病者め!」


 ゴブリン兵たちは少なからず動揺しているようだったが、真ん中にいるイェルナクはどこ吹く風といった態度でヨンネを見たまま耳をほじった。


「やれやれ、しつけの出来ていない犬がよう吠えるわ。

 ほれ、ヨンネとやら、とっとと郷士ドゥーチェ殿を呼んで来んか。

 貴族パトリキであるイェルナクを待たせるつもりか?」


 言い終えると同時にイェルナクは耳をほじるのをやめ、今しがたまで耳をほじっていた小指にめんどくさそうにフッと大げさに息を吹きかける。

 イェルナクのそれは合図だった。ゴブリン兵たちが上陸直前に弾を込めておいた短小銃マスケートゥムの撃鉄をハーフコック状態からカチリと一斉に引き起こす。

 ヨンネはその統制の取れた動きに思わずごくりと唾を飲み込む。先ほどまで罵声を浴びせていた男たちも口を閉ざし、身構えた。

 それを見てイェルナクは一瞬わずかに口角を上げ、フッと鼻で笑うと冷めた表情のまま右手を自分の顔の高さぐらいに持ち上げる。これでイェルナクが指を鳴らせば護衛のゴブリン兵たちが一斉に発砲する手はずになっていた。


 発砲すれば間違いなく軍使としての役目は果たせないことになる。だから当然イェルナクとしても発砲させたくはない。今回のこの攻撃準備はイェルナクがこのままでは軍使としての役目を果たせないと判断した場合に、安全に撤退するための選択肢として用意しておいたものだった。


「やめんかバカ者!!」


 その声はまるで雷のようであった。全員がビクッとして声のする方を見ると、そこにはヘルマンニの姿があった。騒ぎを聞きつけて駆け付けたのである。


「双方武器を降ろせ!」


「オ、オヤっさんヘルマンニ、だけどこいつ等・・・」


 不満げに抗議するヨンネを手で制し、ヘルマンニは前へ出た。


「困りますなイェルナク殿、軍使レガティオー・ミリタリスと言えど上陸許可は必要ですぞ。」


「おおヘルマンニ卿、申し訳ありませんな。

 なにせ上陸許可を求めようにも、その相手が見当たらなかったものですから。

 それにしても。」


 イェルナクはヘルマンニを見て態度を急変させる。先ほどまでの尊大な態度とは異なり、随分と慇懃いんぎんな物言いであった。そしてそうした態度は周囲の住民たちの反感をより一層掻き立てるが、イェルナクにとってそんなことはお構いなしである。


軍使レガティオー・ミリタリスと伺いましたが、どちらへつかいなされるおつもりかな?」


「もちろん、侯爵夫人マルキオニッサ子爵閣下ウィケコメスです。

 ああ、道中の馬車をお借りしたいのですが、よろしいかな?」


「構わぬとも、今更だが上陸を許可しよう。

 ところで馬車は人数分かね?」


「いえ、兵どもは馬車を守るために歩かせますとも。

 侯爵夫人マルキオニッサ子爵閣下ウィケコメスティトゥス要塞カストルム・ティティでしょうな?」


「そうだと思うが、何しろの後始末でお二方ともお忙しくしておられるからな、最近はマニウス要塞カストルム・マニへ泊りがけでお出かけになることも多いようだ。

 先触れを出して所在を確認してから行った方が良いじゃろうよ。

 今日はウチに泊まっていくがよかろう。」


「おお!このイェルナク、感謝申し上げますぞ。

 では今宵はヘルマンニ卿の御親切に甘えさせていただきましょう。」


 このやり取りにヨンネたちは驚いた。


「オ、オヤッさんヘルマンニ、本気ですか!?」


「当然だとも。

 ちょうどいい、お前ヨンネイェルナク殿を迎賓館ホスピティオへ…いや、案内はワシがやろう。

 お前ヨンネはティトゥスへつかいしてくれ。イェルナク殿が軍使レガティオー・ミリタリスとしてセーヘイムへ上陸したとお伝えし、あちらの都合を聞いてくるのだ。」


「・・・ぐっ」


 ヘルマンニに言われて悔しそうにするヨンネの首根っこをヘルマンニは掴んで引き寄せた。


「え、オヤっさんヘルマンニ!?」


 戸惑うヨンネにヘルマンニは小声で耳打ちする。


つかいに行く前に兵を集めておけ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る