第271話 追加支援部隊

統一歴九十九年四月二十二日、午後 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



「ここに来て新たにブルギを作るのですか?」


「はい、アイゼンファウスト卿からの要請によるもので、建造するブルグスは一つだけであります。」


 ハン支援軍アウクシリア・ハンの動向が判明した事を受け、昨日到着したアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアロイス・キュッテル軍団長レガトゥス・レギオニスと本日合流したサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアのマルクス・ウァレリウス・カストゥス軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムを交えて開かれた会議の席上、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアで作戦担当を務める軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムゴティクス・カエソーニウス・カトゥスが新たなブルグスの建造を提案した。

 リュウイチとリュキスカは既に陣営本部プラエトーリウムへ戻っており、この席上に居るのはエルネスティーネとその家臣団、ルキウスとその家臣団、そしてアロイス、アルトリウスとその幕僚たち、艦隊司令プラエフェクトゥス・クラッススヘルマンニの代理として息子のサムエル、そしてサウマンディア軍団から派遣されているマルクスとバルビヌスといった実務者たちである。ラールとグスタフの二人の御用商人も兵站隊長の肩書で出席していた。


「待て、今は被災者のための住居整備を最優先にやらねばならん時だ。

 資材も人も全く足りておらず、全力を尽くしても冬までに間に合うかどうか分かっていないのだぞ!?

 それで一番割を食うのはアイゼンファウスト地区ではないか、アイゼンファウスト卿は何を考えておられるのだ?」


 アルトリウシアの内政を実質的に統括している子爵家筆頭家令ホスティリアヌス・アヴァロニウス・ラテラーヌスがまるで理解できないとでも言わんばかりに顔をしかめて難色を示した。


「エッケ島にハン支援軍アウクシリア・ハンが潜んでいることが判明したことを受けての要請であります。

 アイゼンファウスト卿はハン支援軍アウクシリア・ハンの騎兵部隊がエッケ島からアルトリウシア平野を通って長駆遠征し、アイゼンファウスト地区を襲撃することを懸念しておられます。」


「バカな!

 エッケ島は島だぞ!?」


 ホスティリアヌスは頭を振って否定した。他の家臣団たちも同じような反応を示す中、サムエルが補足説明する。


「エッケ島の南にはアルトリウシア平野との間に船が通れない浅瀬が続いており、干潮時には人間が歩いて渡れるのではないか…という噂が昔からあります。」


「噂なのでしょう?

 今まで誰も試していない。大の大人でさえ、波にさらわれる危険があるからだと聞いておりますぞ。

 だいたい、相手はゴブリンではないか!

 ただでさえ子供のような体躯で、我々ホブゴブリン同様泳ぎが苦手な種族だ。その彼らが危険を冒して海を渡ってくるのですか!?」


 子爵家でアルトリウシアの法務を司るアグリッパ・アルビニウス・キンナが半笑いを浮かべながらサムエルの説明を否定した。ホブゴブリンはゴブリンを過小評価したがる傾向があるのだ。

 

「ゴブリン兵では無理でしょう。ですが彼らのゴブリン騎兵はダイアウルフを駆っています。ダイアウルフの体躯ならば不可能ではないかもしれません。

 また、彼らは『バランベル』号を失ったとはいえ、我々から強奪した貨物船クナール七隻を保有したままです。いくら船の扱いに不慣れとはいえ、エッケ島からアルトリウシア平野の岸辺まで往復するくらいは問題なくできるでしょう。」


 サムエルがクスリともせず真面目な面持ちで答えると、それ以上ハン族がエッケ島から海を渡ってくる可能性を否定する意見は出なくなった。海のことに関してセーヘイムのブッカに意見できる者などここにはいないのだ。


「末席から失礼いたします!

 エッケ島の南が仮に陸続きだったとしても、アイゼンファウストまで何マイルあるのですか?

 途中、浅瀬とはいえ海を越えて来るのですから、馬の脚でも途中で一泊はせねばならんでしょう。ですが途中のアルトリウシア平野は何もない湿原だ。陣など敷けますまい。

 それにアイゼンファウスト地区とアルトリウシア平野の間には広いセヴェリ川が横たわっている。

 本当にハン支援軍アウクシリア・ハン来寇らいこうする可能性があるのですか?」


 サウマンディアからの支援部隊を率いるバルビヌスが焦るように質問してきた。彼の大隊コホルスはアイゼンファウスト地区で復旧復興事業に全力を傾注している。そこは本来、軍事的には安全な場所であるはずだった。だからバルビヌスの大隊コホルスも武器はマニウス要塞カストルム・マニの兵舎に置いて作業に当たっている。

 ところが、アルトリウシアの軍人たちの話によればハン支援軍アウクシリア・ハンが来る可能性は減じ的なもののようだ。もし、本当に軍事的脅威があるとすればそれなりに備えておかねばならないだろう。


「エッケ島からアルトリウシア湾まで…おそらく四乃至ないし五マイル(約七・二~九・三キロ)といったところでしょうか。そこからアイゼンファウストまで…正確な所はわかりませんが…海岸に沿って歩いたとしてセヴェリ川の河口までで十から十二マイル(約十八キロ半~二十二キロ)といったところだと思います。

 しかし、海岸沿いを歩けば近いですがすぐに見つかってしまいます。奴らがアイゼンファウストを攻撃するとしたら見つからないよう、内陸に入って行動するでしょうからもう少しかかるでしょう。」


 サムエルの答えを聞いたバルビヌスの顔に多少の安堵の色がにじんだ。


「その距離ならばやはり、途中で一泊せねばなりますまい。少なくとも、往路か復路の途中で…彼らとて野盗ではないのだ。無謀なだけで得るものの少ない作戦など実行しないのではありませんかな?」


 レーマ帝国では騎馬兵の作戦行動半径はおおむね二十二マイル(約四十一キロ)と考えられている。拠点から二十二マイル進出し、二十二マイル戻る…その範囲が騎兵戦力の活動範囲だ。それ以上となると騎手にも馬にも負担がかかりすぎてしまい、翌日十分な休養を与えないと消耗してしまう。

 もっとも、それは一つの拠点を中心に継続的な作戦行動を実施する場合の行動限界であり、ただ移動するだけなら当然その二倍は移動できることになる。途中で野営やえいするなどして数日がかりで遠征すればその限りではない。


 しかし、アルトリウシア平野は湿原であり、潮汐によって海水が逆流してくるため湿原を覆う水は海水混じりだ。飲み水の確保がままならない土地なのである。そんなところで野営しながら行軍するなど、不可能ではないが戦力維持…すなわち生活するだけでかなりな負担を強いられるはずだ。相当量の飲み水を持ち運ばねばならないからである。ましてや、彼らの拠点はエッケ島…アルトリウシア平野にいる部隊に海を越えて補給物資を供給するなど容易ではないはずだ。とてもではないが現実的とは思えない。


「いや、通常の騎馬兵ならばそうでしょうが、ハン支援軍アウクシリア・ハンの騎兵は馬ではなくダイアウルフを駆ります。

 ダイアウルフは大喰らいだが機動力は馬を上回ります。正確な所は分かりませんが四、五日程度は飲み食いせずに行軍できると聞いています。エッケ島からアイゼンファウストまでの往復は難しくは無いでしょう。」


「それに、ハン支援軍アウクシリア・ハンはかつて数か月にわたってアルトリウシア平野でをやった実績があります。信じがたい事ですが、どうやら彼らはアルトリウシア平野で自活できるようなのです。」


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムで作戦担当のゴティクス、そして後方担当のアシナがそれぞれ説明するとバルビヌスはゴクリと喉を鳴らして呻いた。


「ということは、アイゼンファウストは本当にになりうるのですか?」


「可能性はゼロではありません。が、限りなく低いと我々は考えています。

 四月十日の蜂起で我々はダイアウルフ十三頭を殺害し、二頭を捕獲しています。現時点でハン支援軍アウクシリア・ハンが戦力化できているダイアウルフは二十頭も居ないでしょう。ダイアウルフ自体は六十頭以上残っているはずですが、ダイアウルフは乗り手を選ぶそうですから、騎兵として戦力化するのは容易ではないはずです。」


 眼前の脅威を認識したバルビヌスを落ち着かせるようにゴティクスが説明すると、バルビヌスの隣に座っていたマルクスが得心が言ったとばかりに頷いた。


「なるほど、彼らにとっても貴重になってしまった戦力を、安易に投入しては来ないだろうということか?」


「ご賢察の通りでございます、ウァレリウス・カストゥスマルクス閣下。」


 ゴティクスは我が意を得たりと笑みを浮かべて会釈した。


「ならばいっそのこと無視してもよいのではありませんか?

 彼らはおそらく脱走しようとして失敗した。それでメリクリウス団などと陰謀論をでっち上げてレーマ帝国に恭順しようとしている。今、彼らがいかなる攻撃をとってもその企みを台無しにしてしまうだけで、得るものなど何もないはずでしょう?

 貴重すぎる戦力を投入して、自らの命脈を断つようなことなどしますまい。」


 それは現時点までにアルトリウシアから伝えられてきた情報、そしてアーディンがサウマンディウムで行った説明から状況を分析したサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの認識に基づく判断だった。マルクス自身、その状況認識を疑っていない。


「軍事的合理性、そして政治的合理性に基づいて考えるならば全くその通りだ、ウァレリウス・カストゥスマルクス閣下。」


 アルトリウスがおもむろに口を開き、一同の注目を集める。


「だが、民衆はそのような合理性とは別の次元で物事を考える。」


「つまり、これは純粋に軍事的脅威への対応ではなく、民衆の不安への対応ということですか?」


 マルクスのこの問いには筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのラーウスが答えた。


「その通りです。民衆には目に見える形で安心を提供せねばなりません。

 アイゼンファウスト地区のほぼ東端でセヴェリ川沿いに、ちょうど小さな丘のようになっているところがあります。高さはおそらく八ピルム(約十五メートル)あるかどうかぐらいですが、そこからならセヴェリ川の河口からマニウス要塞カストルム・マニふもとまで見通すことができます。ここにブルグスを築き大砲を据え、マニウス要塞カストルム・マニの要塞砲とあわせれば、要塞より西のセヴェリ川南岸全域を射界に収めることができます。」


 ラーウスは自信たっぷりに説明したが、子爵家筆頭家令ホスティリアヌスは渋面を崩さない。


「しかし、現時点で人手が足りていないことには変わりありません。建築資材の確保も課題です。既に建材の多くが値上がりし始めています。

 アイゼンファウストにブルグスを建造する意義も価値も理解しましたが、人手はどうするのですか?

 それに、建造した後も兵士レギオナリウスを常駐させねばなりますまい?」


 雪が降り始めるまであと二か月…それまでに住民たちに住居を提供するという課題をクリアするうえで最大の障害になっているのは人手の不足だった。ホスティリアヌスはこの十日の間ずっとその問題に頭を悩ませ続けてきたのだ。

 しかし、ホスティリアヌスの想像していなかったところから助け舟が出された。


「それについてはサウマンディアから追加支援部隊を手配しましょう。」

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