第272話 目覚めた捕虜

統一歴九十九年四月二十二日、夕 - 《陶片》リクハルド邸/アルトリウシア



 銃で膝を撃たれ、ダイアウルフから転落して排水路で昏睡状態になっていたゴブリン騎兵は、《陶片テスタチェス》に住まう農民でブッカの娘ファンニに助け出されて以来、ずっとリクハルドの監視下に置かれていた。とはいっても、傷口が化膿してしまっていた右脚と右手を手術で切断され、そのままずっと意識が回復することなく眠り続けていたため、特にどこかの牢屋に入れられるというわけでもなく、ただリクハルドの邸宅の一室で寝かされていただけだった。

 そのゴブリン騎兵が目を覚ましたのは今日の昼頃だった。毎日少しずつ口からヒールポーションを流し込み、巡回神官によって治癒魔法をかけ続けた効果がようやく目に見える形で現れたのだった。

 定期的に様子を見に来るリクハルドの手下の一人がゴブリン騎兵の目が明いていることに気づき、リクハルドに報告。リクハルドはさっそく神官を呼んでゴブリン騎兵の様子を診させ、回復状態を報告させると今度は自ら乗り込んでいった。

 その時、既に窓の外はだいぶ薄暗くなっており、本来なら夕食でも摂り始めようかと言う時間帯になっていた。


「邪魔するゼェ」


 自分の邸宅の中であったこともあり、特に名告げ人ノーメンクラートルを伴わずに訪れたリクハルドはその身分にもかかわらず唐突に現れた。このため、ゴブリン騎兵は最初誰が現れたかわからず、突然部屋に入って来た巨漢に無言のまま目を見張る。


「ふーん、なるほど意識は回復したってのは間違いねぇようだな。」


「は、灰色…リクハルド?」


「おぉ!?オレっちのこと知ってんのかよ?

 そいつぁ面倒が無くていいや。」


 ゴブリンはリクハルドを直接知っていたわけではなく、噂に聞く風貌ふうぼうから「まさか」と思いつつ口から出した名前がたまたま当たっていただけだった。だが、そんな事情などはどうでも良いことだ。

 ゴブリンは慌てて身体を起こそうとするが、リクハルドは「いいからいいから」と横になっているようジェスチャーしつつ、機嫌良さそうに笑みを浮かべたままゴブリンのベッド脇の椅子にドッカと腰を下ろす。リクハルドの後ろにはラウリと伝六でんろくとパスカルが並んで立った。


「さてと、お前さんの名前を訊こうか?」


「な、名前?」


「おうよ、お前さんの名前だ。ハン族の支援兵アウクシリオルム・ハンだろ?」


「バ、バランベル…」


 ゴブリンは少したじろぎながら答えた。


「バランベルぅ?」

「本当の名か?」


「う、嘘、違う!」


 ラウリと伝六がいぶかしむと、バランベルと名乗ったゴブリンはムキになって反論した。


「まぁまぁ、まぜっかえすな。

 バランベルってぇ名前なんだな?」


「ハ、ハイだ…」


 バランベルはハン族に文明をもたらしたとされる降臨者の名前だった。イスラム教徒にムハンマドという名前が多いのと同じで、降臨者の名を子供に授ける親はこの世界ヴァーチャリアでは珍しくない。ハン族の間ではバランベルは最もポピュラーな名前の一つであり、アルトリウスもアヴァロニアに文明を齎した降臨者アルトリウスの名にちなんでいる。


「でぇ…身体の具合ぇの方ぁどうだ?

 まあ、良かぁねえだろうがよ?」


 ガッハッハと笑うリクハルドだったが、バランベルもリクハルドの背後の手下たちも笑わない。バランベルは緊張しっぱなしだったし、手下たちはバランベルと名乗ったゴブリンを視線で尋問しているかのように無表情で黙ったままだ。


「まあバランベルよぉ、お前ぇさん命が助かってよかったぜ。

 お前ぇさんの面倒ぁしばらくオレっちが見てヤッからよ。しばらくは安心して養生するがいいぜ?」


 色々訊きたいことはあったが、治療に当たっている神官からはまだ安静が必要だと言われていたし、バランベルのリクハルドが入室してからのわずかの間に、急速に顔色も蒼くしつつあり、脂汗まで流して今にも失神しそうだ。その様子にリクハルドも話を聞くことを諦め腰を上げた。


「な…何故、撃つた?」


「ああん?」


 バランベルは青い顔を震わせながらも、その目だけはリクハルドをジッと見据えている。その緊張した顔立ちからうかがえる感情は怒りとも恐怖とも判別がつかなかった。


「アナタたち、撃った私たち、当たった弾私、私たちたくさん死んだ、私無くした手、足、何故だ」


 バランベルは前腕の半ばから先が無くなってしまった右腕を突き出してみせた。今は布団で見えていないが、バランベルの右足は太腿の六割を残してそこから先が無くなっている。傷口はポーションと治癒魔法のおかげでふさがってはいたが完全ではないため、まだ包帯が巻かれている。

 要は彼は抗議しているのだった。撃たれたことに対して、それによって仲間をうしない、自身も手足を失ったことに対して。リクハルド側からすれば理不尽な抗議でしかない。最初に暴れ始めたのはハン支援軍アウクシリア・ハンの側であり、バランベルたちが来る頃には《陶片テスタチェウス》とセーヘイム以外の全ての市街地から火の手が上がっていたのだ。自分たちの街を守るために門を閉ざすのは当然だし、突っ込んでくるテロリストに銃口を向けるのは当たり前のことだった。抗議されるいわれなど無い。


「何故だぁ!?そりゃお前ぇらが…」


 バランベルに対して伝六が何か言おうとしたがリクハルドは黙って手で制した。


「ああ~…海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアで戦が始まってたからよぉ、門を閉ざして兵隊たちに守らせてたんだよ。

 そしたらお前ぇたちがダイアウルフに乗って突っ込んでくるじゃねぇか?

 だから門を守ってた兵隊どもがビビっちまって撃っちまったのさ。」


 リクハルドはあえて刺激しないよう言葉を選びつつ、おどけたような仕草で簡単に説明する。だが、バランベルの表情はあまり変わらない。眉毛が少し持ち上がったぐらいで、フゥーッフゥーッと鼻を鳴らしながら荒い息を続けている。

 この時、バランベルの頭の上に「?」が浮かんでいることに気づいたのはリクハルドとパスカルだけだった。


「あ~…どうやらハン族の言葉の分かる奴が要るみてぇだな?」


「そのようですね、手配します。」


 呆れたように言うリクハルドに対しパスカルが事務的に返事をすると、ラウリと伝六もようやく言葉が通じてないようだと気づいた。伝六は小さく「チッ」と舌打ちする。


 ハン支援軍アウクシリア・ハンが面倒を起こしてしまう理由の一つが言語の違いによる意思疎通の困難さだった。ハン族は独自の言語を使うが文字を持たない。文字で何かを記録するという習慣が無かったのだ。このことが、レーマ人がハン族の言葉を習得する際の一つの障害となっている。

 そして、ゴブリンは一般的に知能がヒトより劣っており、大人になってもヒトの十歳児くらいの知能しかなく、またハン族は貴族であるホブゴブリンには教育を施す習慣があるが、貴族ではないただのゴブリンには教育を施さない、一種の愚民化政策にも等しい習慣が根付いていた。

 このため、ハン語の研究は専門家の間ではそれなりに進んではいるのだが、ハン族以外のハン語話者は極めて限られていた。


「バランベルぅ」


 頭を掻きながらリクハルドが呼びかける。


「ハイだ?」


 リクハルドはズイッと乗り出すようにして、ややドスの利いた声でゆっくり話し始める。


「今、身体、治す、集中、ハイか?」


「……ハ、ハイだ。」


「早く、治す、お前の、ダイアウルフ、待ってる、ハイか?」


 リクハルドのこの言葉にバランベルは初めて表情を変え、目を見開いた。


「私ダイアウルフ、生きる!?」


 リクハルドはバランベルの表情が明るくなったのを見て前かがみ気味にしていた上体を起こした。


「生きてる、生きてる、元気、元気・・・お前、元気になったら、会わせる、ハイか?」


「ハイだ!ハイだ…元気、なる。」


「よし、じゃあまたな」


 リクハルドは手下たちと共に部屋から出た。部屋の外で待っていた女中がリクハルドに会釈すると、粥を持って部屋へ入っていく。


「それにしても、ハン族の言葉の分かる奴なんて居るのかよ?」


「探してはみますが、リクハルドヘイムには居ないかもしれません。」


 ラウリが毒づくように言うとパスカルが珍しく弱音を吐いた。


「見つからなきゃ子爵様ウィケコメス侯爵夫人様マルキオニッサにでもすがってみるしかねぇな。

 ・・・できれば避けたいがな。」


「…全力で探します。」


 リクハルドがため息交じりに独り言ちると、パスカルは先ほどとは打って変わって力強く返事した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る