新たな聖女

第273話 ラクダ肉

統一歴九十九年四月二十二日、晩 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 通常、レーマ貴族が賓客ひんきゃくぐうするのであれば、毎夜毎夜ぜいを尽くし趣向をらした酒宴コミッサーティオをもってするのであるが、この世界ヴァーチャリアにとっての賓客ひんきゃくである降臨者リュウイチはどうやら毎夜のごとく宴会コンウィウィウム酒宴コミッサーティオを繰り返すことを好まないらしい事から、リュウイチの陣営本部プラエトーリウムで開かれる酒宴コミッサーティオは二日に一回のペースに抑えられている。昨夜もアロイスらを交えて酒宴コミッサーティオが開かれているので本当なら今日は無いはずだが、今日はサウマンディアからマルクスが到着したとあって、二日連続ではあるが酒宴コミッサーティオが開かれることとなった。

 「申し訳ありませんが、明日明後日は控えますので・・・」と恐縮しながら連日で酒宴コミッサーティオを開くことの許しを求めて来たエルネスティーネとルキウスに、リュウイチは『大丈夫ですよ。大切な客人が来たのならしょうがないじゃないですか』と快諾した。リュウイチ本人は別にそこまで厳格に「二日に一回」という取り決めを求めたつもりはまったく無かったが、どうやらこの世界ヴァーチャリアでは軽い気持ちの発言でも、降臨者の言葉ともなればかなり重く受け止められてしまうものらしい。リュウイチはむしろそっちの方に驚いていたし、困惑したくらいだった。


 しかし、いざ始まってみると本日の主催者であるはずのエルネスティーネの姿はなかった。今回はレーマの伝統にのっとり、男女別々に酒宴コミッサーティオを楽しむこととなったからである。理由は、食堂トリクリニウムの広さに対して参加者の数が多くなりすぎるからだった。


 リュウイチと同じ食卓を囲む栄誉を得た男性たちはルキウス、アルトリウスの親子とアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア幕僚トリブヌスたち、艦隊司令プラエフェクトゥス・クラッススのヘルマンニの代理で息子のサムエル、アルビオンニア軍団レギオー・サウマンディアのアロイスとアロイスの兄で兵站隊長を務める御用商人のグスタフ、マニウス要塞司令官プラエフェクトゥス・カストロルム・マニのカトゥス…そして、今回初めてリュウイチとの宴席コンウィウィウムに参加するサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアのマルクスとバルビヌス、アルトリウシアの御用商人ラールの十六人だった。リュウイチを含め十七人だが、これでもレーマ人の感覚からすると私的に開かれる宴会コンウィウィウム酒宴コミッサーティオの参加者としては、かなりな大人数である。


「本日の主菜であります。サウマンディアのウァレリウス・カストゥスマルクス閣下にお届けいただきました、ウァレリウス・サウマンディウスプブリウス伯爵より賜りしヒトコブラクダの脚肉のコンフィにございます。」


 前菜はとっくに平らげ、宴もたけなわとなったころ、アルトリウスの家令で本日の給仕長ストゥルクトルを務めるマルシス・アヴァロニウス・タムフィルスが高らかに宣言すると、奴隷たちが六人がかりで木製の板に載せられた巨大な肉塊を運び込み、一同が溜息をついた。

 今日はマルクスが持ち込んだサウマンディアの食材を使った料理とエルネスティーネとルキウスが用意したアルビオンニアの食材を使った料理が交互に出される趣向になっている。


「我が主、ウァレリウス・サウマンディウス伯爵より降臨者リュウイチ様とアルビオンニアの皆様へと授かったヒトコブラクダでございます。あいにくとサウマンディアの食材ではなく、お隣のチューアからの取り寄せ品でございますが、是非ご賞味ください。」


 マルクスが得意げに語るなか、全員の目の前でマルクスが連れてきた料理人がローストされた肉塊にザッザッとナイフで切れ目を入れていく。サウマンディウムを出る前に解体され、血を抜き下味をつけるためにたっぷりのハーブとスパイスと岩塩を加えた大量のワインに一昼夜浸け込み、それを巨大な鍋を使ってオリーブオイルでほぼ半日ほどかけて低温で茹であげたものだ。それをオリーブオイルに浸けたまま大鍋ごとアルトリウシアに運び込み、ここの厨房のオーブンを使ってあぶってある。このため、脂身を切っても意外と脂が流れ出ない。料理人は脂身の下の赤み肉をちょうどいい大きさに切り取って皿へ取り分けていく。

 一番おいしそうな部分を山盛りにした皿がマルシスの手によってリュウイチの前に出されると、一同から歓声が上がった。


「いやはや、ウァレリウス・サウマンディウス伯爵も思い切ったことをなさる。

 チューア産とは言えヒトコブラクダなど良く手に入りましたな。」


「ウァレリウス・サウマンディウス伯爵は、いと尊き降臨者様の御威光に相応しきものをとお考えになり、私にこれを託されました。」


『珍しいものなのでしょうね?』


「アルビオンニアはもちろん、サウマンディアにもラクダはおりません。

 サウマンディアの西に位置するチューアの、しかもずっと北の赤道にほど近い高原地帯に生息するものです。帝都レーマでもなかなか手に入りません。さあ、どうぞ、冷めないうちにさあ」


 マルクスは手を付けようとしないリュウイチに盛んに進めた。リュウイチ本人からすると、自分だけ先に勝手に食べる始めるのは他の人に対して悪いという、きわめて日本人的な遠慮から手を付けないでいたにすぎなかったが、そうとは知らないマルクスはせっかく用意した料理がリュウイチの好みに合わなかったのではないかと内心焦っていた。そのうち、他の者たちの前にも切り分けられた肉が並べられ、ようやくリュウイチが手を着ける。


『ん…おいしい。』


 その一言にマルクスはホッと胸を撫で下ろすと共に笑みを浮かべる。マルクスや他の者たちも次々とラクダ肉を口にし始める。

 正直に言うと肉の味はあんまりしなかった。まずいわけでは決してないが、肉の味というよりハーブやワインの風味とスパイスや塩などの味が支配的で、他の肉に比べてどうというような、肉そのものの印象はリュウイチの中に残らなかった。

 他の貴族ノビリタスたちはかなり喜んでいる様子で、長時間煮込んだせいで柔らかくなり、口の中でホロホロと崩れる肉塊に舌鼓したつづみを打っている。実際に美味かどうかというより、珍しい物や高価な物を食卓にあげることができ、そしてそれを口にできるという事に貴族ノビリタスとしてのステータスを感じているのが理由だった。


「今日は招待してもらえて本当に良かった。

 まさかラクダ肉の御相伴ごしょうばんにあずかれるとは」

しかり、ラクダなど帝都レーマでも滅多に食べられるものでは無い。」


 実際、珍しい食材や高級な食材が供されれば、こうして招待してくれたホストや食材を提供してくれた貴族ノビリタスを簡単に褒めることができる。招待してくれたホストを言葉と態度で喜ばせる責任がある招待客にとって、本心から褒められるネタを提供してくれる珍味の存在は、それだけでものだった。

 そしてそれは食材を提供した側にも言えることである。珍しい食材、高級な食材を提供するということは、それだけでも客人のことを持ち上げることにつながるからだ。


「降臨者リュウイチ様の御威光、そしてサウマンディアとアルビオンニアの友好を想えばこそでございます。」


 マルクスは持ち込んだ目玉料理でリュウイチを満足させられたことで得意になっていた。


「既に一個大隊コホルスを提供していただいている上にこのラクダ肉、おまけに更なる増援もお送りいただけるとのこと…アルビオンニアは感謝に堪えません。フォン・アルビオンニアエルネスティーネ侯爵夫人に成り代わり御礼申し上げますぞ、ウァレリウス・カストゥスマルクス閣下。

 いやはや、もう脚を北に向けては眠れませんな。」


「代わりと言っては何ですが、ティトゥス街道の再整備の件はお願いしますぞ、アヴァロニウス・アルトリウシウスルキウス子爵?」


「もちろんですとも。」


 マルクスはアルトリウシアへの二個大隊コホルスの追加派遣をする代わりに、ティトゥス街道の再整備を優先することを条件としてエルネスティーネとルキウスに約束させていた。

 ティトゥス街道はアルビオンニウムからティトゥス要塞までアルビオン島北岸を通る軍用街道ウィア・ミリタリスで、一昨年の火山災害関連の地震による崖崩れで不通となっている。これが再整備されれば街道沿いにある中継基地スタティオとアルビオンニウムの湾口にある灯台を使ってサウマンディウム~アルトリウシア間での手旗信号とモールス信号による高速通信が可能となる。いずれは復旧させねばと思いながら、予算や人員が確保できず放置されていた案件の一つだった。


「我々もティトゥス街道の再開通、そして信号通信の復旧はアルビオンニアとサウマンディアの連携強化のためにも必要だと考えておりましたからな。」


 中継基地を手旗信号、モールス信号で繋げば伝書鳩より早く、詳細に、大量の情報を伝達することができるようになる。それは今後もサウマンディアからの支援を要するアルビオンニア側にとっても、そしてアルトリウシアに滞在する降臨者の動向を詳細に掴み、より積極的に関係を築きたいサウマンディア側にとっても望ましいものだった。

 ルキウスの歓迎の言葉を受けてマルクスは酒杯キュリクスを掲げた。


「降臨者リュウイチ様と、アルビオンニアと、サウマンディアの友好のために…」

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