第270話 犯人の引き渡し
統一歴九十九年四月二十二日、午後 - セーヘイム迎賓館/アルトリウシア
予定にはなかった乗客…それは今
「公式な訪問なら前もって先触れを出していただかなぁ困りますな」
「ご迷惑をおかけしたことはお詫びいたしましょうヘルマンニ卿。
我らの誠意を示すためには一日でも早くお届けに上がるのが一番と思い、突然の再訪となってしまいました。」
「お届けに上がるとは、何かご持参なさったんですかの?」
「これにございます。」
イェルナクは脇に控えていたゴブリンから一つの箱を受け取ると、ヘルマンニに差し出した。スイカでも入りそうな大きさで、イェルナクの持ち方や置いた時の音からして重さもそれなりにありそうだ。
「コレは?」
「お渡しすると約束していたものにございます。
先の…セーヘイムの漁師が殺されてしまった事件がございましたな?」
「ああ、トイミとかいう漁師の?」
「そう、それです。それの犯人にございます。」
一瞬、意味が分からずヘルマンニは肩眉を持ち上げてイェルナクの顔を見据える。だが、イェルナクの表情にウソや冗談の類の気配は浮かんでいなかった。
イェルナクは口で言うより目で見てもらった方が早いと判断したのか、深呼吸をすると両手をバッと広げ、今度は打って変わってゆっくりと両手を箱の
「・・・・これは、首か?」
中に入っていたのは塩漬けになったゴブリンの生首だった。
「いかにも、犯人の首にございます。」
箱の中に敷き詰められた塩に顔だけだして沈み込むように収められたゴブリンの首を見てヘルマンニはため息をついてイェルナクに問いただす。
「何故、このように?」
「まずは経緯を御説明しましょう。」
イェルナクは手に取った蓋を置くと上体を起こして姿勢を正し、さも悲痛な表情のまま語り始めた。
「四月十八日、私がセーヘイムに来た日のことでございます。
この者は浅瀬にクジラが打ちあがっているのを見つけました。そこで、他の兵どもに声をかけ、クジラの肉を切り取るために船に乗り、無断で出撃したのです。」
「無断で?」
「ええ、その通りです。ところが我らは船の扱いに慣れておりません。出航に手間取っている間に、そのトイミ…でしたか?セーヘイムの漁師たちがクジラの肉を切り取り始めてしまいました。
自分が先に見つけたのに勝手に盗ったと激昂したこの者は、漁師たちを銃で脅し、追い払おうとしたようです。そして不幸な結果を招いてしまいました。」
「ふーん、他の兵たちは?」
「どうやら、軍命によるものだと勘違いしてこの兵に従ったようです。
独断で勝手に部隊を動かし、あまつさえセーヘイムの漁師を殺してしまった事は明らかに軍規に反しますゆえ、この者は即決裁判で処刑されました。私がエッケ島に戻った時には既に墓穴に投じられたあとでしたが、
ヘルマンニの見たところイェルナクの悲痛な表情にウソ偽りの色はまったく見受けられなかった。
「ふーん」
ヘルマンニは箱の蓋を閉めた。
「まあ、この者の首ぁありがたく頂戴しよう。
だが、この者はあの日あの時、トイミたちから解体道具やクジラから切り取った肉や脂も奪ったはずじゃが。そっちはどうなっとるんかな?」
「道具については持参いたしました。
しかし肉や脂については既に分配され、消費されてしまっておりますので、銀貨で支払いたいと存じます。」
「銀貨か・・・」
「相場は把握しかねますが、一千セステルティウスでいかがでしょうか?」
クジラ一頭丸ごと分としては少ない金額だった。ただ、トイミたちの船にクジラ一頭丸ごと載せられたかというと、そんなことはない。ヘルマンニたちの慣習に従うのならば、トイミの遺族や仲間たちがハン族に請求できる賠償額は、トイミたちが実際に切り取ったものの奪われてしまった分だけだ。そして、トイミたちの船に載せられるであろうクジラの肉と脂の量を考えれば、千セステルティウスは妥当か少し多いくらいの金額だろう。多少、色を付けたといったところだろうか。
「・・・クジラの相場としてはそんなもんじゃろう。」
「ご理解いただきありがとうございます。」
イェルナクはホッとしたように礼を言った。
「それはいつ支払える?」
「千セステルティウスなら今すぐにでも・・・」
イェルナクはそう言うと振り返って背後に控えていたゴブリン兵に合図すると、ゴブリン兵は壁際に置いてあった箱を持ち上げてイェルナクのところまで運んだ。イェルナクはその箱の中から革袋を取り出してはテーブルの上に乗せていく。そのたびに、袋の中からドシャッ、ドシャッとくぐもった金属音が響いた。
「一つに二百セステルティウス入っています。
三つ、四つ、五つ・・・これで千セステルティウスでございます。
どうぞ、お納めください。」
五つの革袋をテーブルに置くと、それを両手でヘルマンニの方へ押して滑らせる。それを見てヘルマンニはフーッと鼻を鳴らしてから部下を呼んだ。
「ヨンネ!」
「はい!」
「一応、中身を確認しろ。」
「畏まりました。…お預かりします。」
ヨンネはヘルマンニの脇から手を伸ばし、革袋を回収すると一つずつ中身を出して数え始めた。いつものイェルナクなら「信用できないのか」とか難癖をつけそうなものだが、今日はどういうわけか大人しい。
果たしてこれがホントにあのハン族なのか?
ヘルマンニは少し気持ち悪さを覚えていた。
「さて、道具の方は後で確認させいただくとして、イェルナク殿の御用件ぁこれで終わりかのぉ?
先日受け取った手紙は、今朝
「そうですか…いや、手紙にも書いてあった用件ですが、せっかくこうして来たことですし、叶うならば
ヘルマンニはふんぞり返るように上体を起こしてイェルナクに釘を刺す。
「この間も言われとったはずじゃが、イェルナク殿が
「そうです・・・ね・・・。」
ぐぅ…とイェルナクは
「手紙に書かれとったんなら直接伝わるじゃろう?」
「あの手紙に着いて内容はご覧になられましたか?」
イェルナクの質問にヘルマンニは呆れたように答える。
「他人様宛ての手紙を覗き見る趣味なんぞもっとりゃせんよ。」
「いや失礼、実は船大工をお貸しいただきたいという依頼なのです。」
「船大工ぅ?」
「ええ、我らが
それについて、手紙には書かれていない細かい話が出来ればと思いまして。」
ヘルマンニはフンッと鼻を鳴らした。
やっぱり自分たちじゃ修理なんか出来ねぇんじゃねぇか・・・
「お前さんらはウチから水兵を連れてったまんまじゃ。それを返しもせずに船大工を貸せと言われてものぉ?」
「水兵たちは今、『バランベル』号の修理を手伝ってもらっています。
やれるところは既に手を付けていますが、やはり専門家でなければ直せない部分があるようです。
そこで、船大工をお借りし、入れ替わりで水兵をお返ししたいと考えております。」
「いずれんせよ、
「
イェルナクは眉をひそめた。今日は日曜日でキリスト者である侯爵家は安息日と称して何もせず日曜礼拝にいそしむのが慣例であり、
「アロイス・キュッテル閣下が部下を引き連れておいでになられたのだ。その出迎えでな。」
「
イェルナクは驚きの声を上げた。心なしか背後のゴブリン兵も同様している。
「驚くことはあるまい?
冬までに住民たちにお主らが焼いちまった住居の代わりを用意してやらにゃならんのだ。今、集められるだけ人を集めとるところよ。」
「ヘルマンニ卿、誤解なきようお願いします。
街を焼き払ったのはメルクリウス団であって我々ではございません。」
イェルナクは引きつり気味の笑みを浮かべてヘルマンニに訂正を求める。だがヘルマンニの態度は冷淡そのものだった。
「同じことじゃ。住民たちゃあ、このままでは冬を越せんからの。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます