第958話 急降下!!

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 おいエンテ、いいから落ち着け!ダメだレルヒェ、アンタぁ寝てたから知らねぇんだ!何をだよ!?《樹の精霊トレント》さ、デカかった……何匹もいた、見上げるくれぇだ……あんなの絶対勝てねぇ、殺されちまう!殺されねぇさ、クレーエも言ってただろ?!ウソだ、俺たちミンナ殺されちまう、食われちまう!!食われねぇって、クレーエが一緒なんだ!真っ暗な中で、気づいたら樹の化け物に囲まれて……ああぁ~もしかしたら今ももう囲まれてっかも知れねぇ!!そんなわけねぇよ落ち着けエンテ、とにかく銃を下げろ!いやだっ、俺は、俺は死にたくねぇぇ!!わかった落ち着け、とにかくお前が持ってる銃の片っ方は俺のだ!俺の銃はひとまず返せ、な!?動くなレルヒェ!おい危ねぇだろ!?レルヒェ、アンタぁいい奴だ、だから殺したくねぇ、死なせたくねぇ!だったら俺の銃を返せ!


 クレーエに説得するように言われたレルヒェはとにかくエンテを落ち着かせようと無い知恵を絞って言葉を投げかけるが、肝心のエンテの方は完全にトチ狂っているらしく話がまったくと言っていいほど通じなかった。

 人を説得する……そのために最も重要なのは歩み寄ることだ。相手に共感して見せることだ。理論で武装し、理屈をこねくり回して相手を言い負かすことは「説得」とは言わない。ただの「論破ろんぱ」だ。今のエンテのように感情を爆発させてしまっている相手に「論破」は通じない。「論破」とはあくまでも相手を相手の理性によって絡めとることだからだ。理性を失ってしまっている相手に「論破」はむしろ逆効果になるだけである。

 その点レルヒェのしていることは真っ当な「説得」になっていた。がくが無く知恵が回らないのが却って功を奏したのだろう。だが、学が無く知恵が回らない以上、彼の説得も容易に限界を迎えつつあった。「説得」のために重要なのは歩み寄ること……共感して見せること……恐慌状態パニックに陥り理性を半ば喪失したエンテに共感などすれば、説得する側のレルヒェの方も冷静さを失って行かざるを得ない。学が無く知恵が回らないがゆえに自分を客観的に見ながらリアルタイムに自省するような器用な真似が出来ないレルヒェは、エンテの恐慌パニックに容易に引きずり込まれていく。

 最初はそれなりに落ち着きをもって何とかクレーエに言われた通りエンテを説得しようとしていたレルヒェは次第に感情をたかぶらせ、落ち着きを無くし、ヒートアップしていく。


 手前ぇエンテいい加減にしろよ!?うぅ~~~ダメだぁ、俺はダメなんだぁ~~~。俺やクレーエアニキに逆らってやってけると思ってんのか!?おぇが怖がってるトレントより先に俺がお前ぇを殺しちまうぞコラっ!!ダメだぁ、死んじまうぅ、殺されちまうぅ。トレントに殺されるのは怖ぇけど俺らは怖くねぇってのか、ナメんなよクソ野郎!!とっとと銃を返しやがれ!


 もはや泣き言と罵倒の応酬である。だがそれもドイツ語で行われていたのでペイトウィンには二人が何を言い合ってるのかサッパリ分からなかった。

 せっかくこちら側に付いたと思った盗賊の一人は理由は分らないが泣きわめくだけで一向にクレーエに攻撃を仕掛けないし、こちら側へ乗り移る二人目三人目も現れない。

 盗賊どもの様子からどちらへ付くか迷っているのだろうと考え、迷いを吹っ切ってこちらへ付きやすくなるよう度肝を抜いてやろうと、せっかく派手に魔力を投じて火炎を放出してハッタリを利かせたというのに、これでは全く意味がない。せめて二人が何を言い合っているのか意味が分かれば多少は何がどうなってるのか理解も出来るのに、ドイツ語だからペイトウィンには会話の内容を雰囲気から予想することすらできなかった。


 クッソ蛮族どもめ、いったい何を話してやがる???

 両方とも何か怒ってるみたいだけど、その割に何も変化がないじゃないか!?

 ひょっとして俺の知らない悪魔召喚の呪文でも唱えてんのか?

 ……ん、悪魔?……ハッ!!


 なんとしたことか、ペイトウィンはクレーエから『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアを奪うこと、そしてそのために盗賊同士を仲たがいさせることに集中しすぎてグルグリウスのことをすっかり忘れていた。気づけば背後のマッド・ゴーレムたちはもう十~十五メートルぐらいのところまで迫っており、樹々の間から姿を現している。


 ヤバい!時間をかけすぎた!!


 魔法の火を消し、すぐにでも移動しなければならない。しかし、それに気づくのはいくらなんでも遅すぎたようだ。何か急に気圧が変化するのに気づいたペイトウィンが頭上を見上げるのと、空から何かが降って来るのはほぼ同時だった。


 ゾザザザザザザザ、バキバキバキバキッ!!


 頭上を覆う樹々の枝葉を揺らし、枝を折り、ほぼ落下と言って良いほどの勢いで舞い降りて来たのは巨大なグレーター・ガーゴイル、その名はグルグリウス。ペイトウィンのすぐ眼前に着地したグルグリウスはそのままの勢いで広げた右手をペイトウィンめがけて振り下ろす。


「ぶはあっ!?」


 何が起こったのか、当のペイトウィンは全く理解できていなかった。頭上から何かが降って来るや否や、自分が掲げていた魔法の炎が自分に向かって吹き戻され、視界がオレンジ色に染まったと思った次の瞬間には衝撃と共に地面に倒されていたのだ。グルグリウスの巨大な右手はまるで蚊でも叩き潰すように、ペイトウィンの身体を彼が掲げていた魔法の炎ごと地面に叩き伏せたのである。


 目の前が急に真っ暗になったと思ったら、いつの間にか目を閉じていた。そのことに気づいたペイトウィンが恐る恐る目を開けた時、目に映ったのは地面を覆う落ち葉だった。その向こうに人が二人立って、こちらを見ている……クレーエとレルヒェだ。

 ぼんやりした視界がハッキリと見えるように回復してくるころになって激痛が襲い始め、反射的に目をギュッと閉じた。


「う、ぐ……くふっ……」


 何か言おうとしたが声が出なかった。身体のあちこちが痛い。頭がグワングワンする。せめて楽な姿勢を取りたいが、何か重たいものに全身を押さえつけられて身動きが取れない。


 クソッ……何が、どうなった!?


 状況がさっぱりわからないが、尋常な状況ではないことだけは確かだ。多分、かつて経験したことが無いほどのダメージを負っている。


「ヴァラッ、ヴァララッ、ヴァラヴァラヴァラヴァラヴァラヴァラッ!」


 井戸の底で何かが激しく泡立つような音を含んだ笑い声が低く、だが高らかに深夜の森に響き渡る。地面に押さえつけられているせいでややくぐもって聞こえるソレを耳にした時、ペイトウィンはようやく自分がグルグリウスの攻撃を受けたらしいことに気づいた。


 チクショウ……こんな時に……

 ……ダメだ、魔力が練れない……詠唱も、できん……

 エイー、エイーはどこだ!?

 早く、俺を回復しろエイー!

 こういう時のための回復役ヒーラーだろ!?

 ああ、なんてこった……そういえば、まだ気絶してやがるのか……

 くそぅ、こんな時に……役立たずめ……

 やっぱり、盗賊どもNPCなんか、構うんじゃなかった……

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