第957話 糸口

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 ブワォッ!!……ペイトウィンが掲げた左手から馬鹿でかい炎が音を立てて噴き上がる。魔法の初心者が『火炎弾』ファイア・ボールを撃つ際に魔力弾の形成に失敗するとよくこうなるのだが、ペイトウィンは盗賊たちを脅すために意図してやっていた。頭上を埋め尽くす針葉樹の枝葉に引火しかねないほどの火柱が広がり、辺りが突然真昼のように明るくなった。その炎に照らされたペイトウィンの狂気じみた笑みこそ、盗賊たちの目には悪魔のように見える。


「ホラどうした!?

 ゴーレムどもが追い付く前に片づけろ!

 さもなきゃお前らが火だるまだぞ!?」


「エンテ!

 銃を降ろしてこっち来い!」


 ペイトウィンとクレーエからそれぞれ相反する指示が飛ぶ。


「だ、旦那ぁ……ダメだ……《森の精霊ドライアド》の森だきゃぁ、俺ぁ行けねぇんだ。」


 ついに大粒の涙まで溢し始めたエンテが目を閉じ、震えながら訴える。


「行かなきゃさっきの悪魔ディーモンに食われちまうんだぞ、エンテ!?」


 レルヒェの呼びかけにもエンテは首を振った。


「ダメだ……行ったら……行ったら《樹の精霊トレント》に殺される。

 だから、俺ぁ、ホエールキングの旦那ヘル・ホエールキンッから離れるわけにゃあ……」


 なるほど、《森の精霊》の森へ行けば《樹の精霊》に殺される。かといって《森の精霊》の森へ行かなければ悪魔グルグリウスに殺される。だから本気を出せば悪魔を追い払えるというペイトウィンに頼るほかないというわけだ。ペイトウィンがホントにグルグリウスに勝てるならこうまで無様に逃げたりしないだろうが、エンテからは既に冷静な判断力が失われてしまったらしい。


 どうする?

 エンテアイツぁダメだ。完全にパニクッちまってる。

 ぶん殴って気絶させるにゃ遠すぎるし、レルヒェは動かせねぇ。他の盗賊どもは動こうともしやがらねぇ。


 すでにクレーエの頭の中ではエンテは殺してしまおうという結論が出てしまっているが、位置関係が悪い。剣で直接殺すには遠すぎる。ナイフを投げてもいいが、防寒のために分厚く重ね着したエンテを一発で殺すには顎下に命中させなければならない。残念だがこの距離でそんな小さな目標に命中を期待できるほどクレーエはナイフ投げの腕に自信はなかった。せいぜいナイフを投げて相手がそれに気を取られているうちに懐に飛び込み、剣で一突きに……要するに牽制の一撃に使う程度だが、それをやれば確実に横からペイトウィンの魔法攻撃を食らうだろう。今、クレーエは人間の盾エイー・ルメオを担いだレルヒェの影から出るわけにはいかないのだ。


 いっそホエールキングのボンボンがっちまってくれりゃ楽なんだが……


 問題の解決を他人の愚かさに期待するなど怠惰以外の何物でもない。まして自分の敵が自分に都合よく動いてくれるなど、期待する方が間違っている。クレーエ自身、そんなことはよくわかっていた。自分で自分が嫌になったかのように小さく舌打ちを繰り返す。

 解決策を考え続けるクレーエの頭の中に、無遠慮な女の子の声が響いた。


『クレーエ!何をモタモタしてるの!?

 もうアイツに見つかったわよ!?』


 《森の精霊》の呼びかけに驚きはしたが、クレーエは咄嗟に口に手を当てて声を漏らさないようにする。


 《森の精霊ドライアド》様!?


『そうよ!』


 今夜の幾度か繰り返した念話で、クレーエは《森の精霊》となら声を出さなくても会話できることを学んでいた。


 《森の精霊ドライアド》様、ちょっと待ってください……


「おいレルヒェ、ちょっとの間、エンテを説得しろ!」


「おっ!?おうっ」


 訳が分からないまでもクレーエとの付き合いの長いレルヒェは言われた通り「おいエンテ!」と説得を始める。その陰でクレーエは《森の精霊》との念話に集中し始めた。


 お待たせしました《森の精霊ドライアド》様!

 に見つかったですって!?


 「アイツ」とは言うまでもなくグルグリウスのことである。


『そこのが魔法の火なんか使うから、ゴーレムに見られちゃったのね。

 ゴーレムの目を通して、アイツもアナタたちを見つけちゃったのよ。

 もうすぐ空から降りて来るわ。』

 

 クレーエは思わず目を見開き、ゴーレムたちの居るであろう方へ視線を走らせた。既にバキバキと地面に落ちている枯れ枝を踏み折るゴーレムの足音はだいぶ近くまで迫っている。そして、樹々の間に身体を左右に振りながら歩くゴーレムの姿が樹々の間にチラリと見えた。


 ヤベェ、もう囲まれてる!?


 さっきはゴーレムたちにペイトウィンを追い立てさせながら、グルグリウスはペイトウィンの行く手を遮るようにゴーレムたちとは反対側に現れた。前回と同じやり方をするとしたら、今度はグルグリウスはクレーエやエンテたちがいるあたりに降りてくるだろう。もしそうなったら、もう逃げようがない。いや、逃げるどころかグルグリウスが頭上に舞い降りてくれば反応する間もなく踏みつぶされてしまうかもしれない。


 ア、アタシらぁどうすりゃいいんですか!?


『間に合わないかもしれないけど、を寄こしたわ。

 それまで時間を稼ぎなさい!

 できればコッチへ逃げてくれた方がいいけど……』


 時間を稼ぐったって、どうすれば……

 あんな化け物の相手なんてアタシらじゃ無理ですよ!


『そんなの分かってるわよ!

 の相手は私がするわ、心配しないで。

 戦いたくないなら大人しくして、下手にチョッカイ出さないことね。

 アナタのお友達にも伝えなさい。

 もしかしたら話だけで追い返せるかもしれないし?』


 大人しくするのはやぶさかじゃねぇんですが、が既に一人舞い上がっちまってましてね。

 そいつを何とか大人しくさせねぇと、何かの拍子に誰彼構わず攻撃しかねねぇんですよ。


『どうにかできないの?』


 いっそフンじばっちまえればいいんでしょうけど、ちょっと簡単にゃ行きそうにねぇもんで……


 クレーエはエンテを殺す方針を引っ込めた。「友達は助け合わなきゃ」と言って《森の精霊》を説得して命を長らえた手前、その《森の精霊》に自分の「友達」として認識させているエンテを殺すことなど相談することもできなければ、実際に殺すところを見せるわけにもいかない。

 《森の精霊》が話しかけてきたことでエンテを殺すという選択肢が事実上なくなり再び手詰まりになってしまったクレーエだったが、新たな解決策はクレーエから選択肢を奪った《森の精霊》によってもたらされた。


『ふーん……仕方ないわね。

 アナタに魔法を使わせてあげるわ。』

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