第956話 綻び

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 盗賊たちは絶句した。クレーエに至っては目を見開き、口元を引きつらせている。


 クレーエが魔導具マジック・アイテムを持っているのが気に入らない!?

 冗談じゃない!


 クレーエにしたところで欲しくて手に入れたわけじゃないし、好きで持ち歩いているわけでもない。あの状況で《森の精霊ドライアド》から「あげる」と言われて断れる者など居ないだろう。クレーエから言わせれば押し付けられたようなものなのだ。それに杖を手放さずに大事に持ってろと言ったのは『勇者団』ブレーブスのリーダーであるティフだ。

 《森の精霊》から押し付けられ、大事に持っているようティフに言われた杖。おまけに持つだけ持っていて使わないでいたら……もっとも、クレーエに使い方など分からなかったのだが……《森の精霊》から叱られてしまった。これはもう、普段から持ち歩き使わざるを得ないではないか!それなのにそれが気に食わないなどと言われてはどうしようもない。


「何度も言いますが、そいつぁ出来ねぇ相談です。」


 クレーエはギュッと『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアを握りしめた。


「相談じゃない、命じてるんだ!」


「同じこってすよ。

 コイツぁ《森の精霊ドライアド》様から授けられ、ブルーボールの旦那ヘル・ブルーボーからも持ってるように言われたモンだ。アタシにゃどうにもできねぇ。

 アタシがコイツを持つのが気に食わねぇってぇんなら、まずは《森の精霊ドライアド》様とブルーボールの旦那ヘル・ブルーボーに文句を言っておくんなせぇ。」


「渡さないんなら殺す!」


 ペイトウィンは挑みかかるように血走った目でクレーエを睨み、ドスを利かせた声で唸るように命じた。


「ならアタシぁ《森の精霊ドライアド》様の御加護に御すがりするだけでさぁ。

 旦那とは、ここで御別れでござんすね。」


 クレーエが冷たくそう言い放つとペイトウィンはギリッと歯ぎしりし、再び右手に居る盗賊たちに向かって命じた。


「お前ら!直ちにクレーエあいつを攻撃しろ!!

 人質を引き離すだけでいい!!

 ヤレッ!!」


 唾を飛ばして叫ぶペイトウィンの声はわめきすぎて既にれ始めている。その鬼気迫る姿に、さすがの盗賊たちも動揺を隠せない。が、動揺はしつつもペイトウィンの命令を聞く気はないらしく、ペイトウィンの方をじっと見たまま固まっているような状態だ。命令を聞く気はない、だがエイーという人間の盾がない彼らはクレーエのように大胆にもなれない。ペイトウィンは『勇者団』の魔法使いであり、実際に悪魔相手に戦っていたような奴だ。怒らせればどうなるかと考えると、あからさまに無視して逃げることも躊躇ためらわれるのだ。

 動こうとしない盗賊たちの様子にペイトウィンはギリギリと歯を食いしばり、苛立いらだちを募らせた。逆にクレーエは動揺しつつも誰もペイトウィンの言うことを聞こうとしないことにひとまず安心する。が……


 カチリ……一人の盗賊が銃の撃鉄を引き起こした。ペイトウィンは顔に喜色を浮かべて感嘆の声を漏らし、クレーエは逆に顔をしかめる。


「おおっ!?」


 銃の撃鉄を起こしたエンテは既に冬のような寒さだというのに玉のような汗を浮かべ、わずかに身体を震わせながらクレーエの方を向いた。


「だ、旦那……」


「エンテ、手前てめぇ……裏切る気か!?」


 絞り出すようなクレーエの声には明らかな殺気が混じっている。エンテは身も声も震わせながら、それでも銃をクレーエの方へ向けたまま他の盗賊たちから少しずつ離れる。


「そ、そうじゃねぇよ旦那。」


「どういうつもりだエンテ!?」


 言い訳しようとするエンテに今度はレルヒェが声を荒げた。エンテはクレーエとレルヒェの二人にビビりながらも、銃を逸らそうとはしない。銃口自体は地面へ向けられているが、そのまま銃を持ち上げればそのままクレーエたちを撃てるような状態を保ち続けている。


「こ、こ、これっ、これからっ、森ッ、《森の精霊ドライアド》の森へ、行くんだろ?!」


「ああ……《森の精霊ドライアド》様にあの悪魔ディーモンから守っていただくんだ。」


 声を震わせながら尋ねるエンテにクレーエが慎重に答えると、エンテは目を閉じブルブルと身体全体を震わせ、それからゴクリと固唾かたずを飲みこむと思い切ったように息を吐いた。


「だ、ダメだ……」


「何がだ!?」


 苛立ちを噛み殺すクレーエに、エンテは今にも泣きだしそうな情けない顔と声で答えた。


「あ、あ、あの森にゃ、《樹の精霊トレント》がいる……

 俺ぁ……俺が行ったら……殺されるぅ!」


 チッ……クレーエは短く舌打ちした。忘れていたがエンテは盗賊になる前は炭焼き職人だった。森に分け入っては樹を切り倒し木炭を焼くことを生業なりわいにしていたエンテは《樹の精霊》に復讐されることをひどく恐れていた。《森の精霊》の結界に知らずに迷い込んでしまったエンテは《樹の精霊》と出くわし、正体を失うほど怯えて半恐慌状態に陥っていたのだ。おそらく《森の精霊》の森へ再び戻ると聞き、あの時の恐怖が蘇ったのだろう。


「大丈夫だ!!

 俺には《森の精霊ドライアド》様の御加護がある!

 あの《樹の精霊トレント》様たちゃあ《森の精霊ドライアド》様のしもべだ!

 《樹の精霊トレント》様に殺されるなんてこたぁねぇ!!」


 クレーエは説得を試みたが、それを遮るようにペイトウィンが笑い出した。


「アーッハッハッハッハァッ!!」


 エンテとクレーエはドイツ語で話していたのでペイトウィンに意味は通じなかった筈だが、どうやらエンテの様子と「《森の精霊ドライアド》」「《樹の精霊トレント》」といった名詞から雰囲気を察したようだ。


「そうだ!

 《森の精霊ドライアド》の森には《樹の精霊トレント》が居るぞ!?

 馬鹿でかい奴だ!

 さっきの悪魔なんかよりずっとな!

 お前たち、行ったら食われちまうぞ!

 だが俺に付けば助けてやる!

 《森の精霊ドライアド》の森に入る必要はないし、さっきの悪魔からも俺が守ってやる!

 褒美だってやるぞ!?

 お前らが一生かかったって拝めないお宝をくれてやる!!

 さあ、クレーエあいつを攻撃しろ!!

 攻撃しない奴は、俺がこの場で焼き殺してやる!!」


 ペイトウィンが喚き散らし、再び左手で魔法の火の球を創り出した。森全体がオレンジ色の光で照らし出される。だがそれは、既に間近まで迫っていたマッド・ゴーレムたちに、そしてマッド・ゴーレムの視界を通してペイトウィンたちを探していたグルグリウスに、自らの位置を暴露することになるのだった。

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