第417話 突入、ケレース神殿

統一歴九十九年五月五日、夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース北壁/アルビオンニウム



 ケレース神殿の丘の北壁は、切り立った断崖絶壁といえば大袈裟すぎるが人が普通に登り降りするには厳しすぎる岩場である。崖と呼ぶにはやや緩やかであり、斜面と呼ぶには急峻きゅうしゅんすぎる。山羊や鹿などなら平気で行き来するだろうが、馬ではまず無理だろう。人間の場合も少々厳しい。手を使わなければ登れない場所が多々あり、大きな荷物を持っていたり武装していたりする人間が通るのはよほどの理由でもない限り断念せざるを得ない…そういう地形だった。実際、アルビオンニウムが放棄されて無人の廃墟と化してからというもの、野生化した山羊などが野犬や狼に襲われた際、その追跡を逃れるためにこの崖を利用することが度々あった。山羊は通れるが野犬や狼は通れない…そういうレベルの険しい地形である。

 その傾斜は緩いがピクニックには到底向かない崖を十二人の男たちが這い上っていく。どこかに夜盗が忍び込むには明るすぎるほどの月明かりが、彼らの崖登りを援けていた。この月明かりが無ければ彼らの内の何人かは途中で断念せざるを得なかったかもしれない。

 しかし、彼らが盗賊たちにやらせている陽動作戦が期待以上の成果を上げているらしいという情報が、彼らに岩場の険しさを苦と思わせぬほどに士気を高めていたこともあって、彼らはケレース神殿のある崖の頂上に到達しようとしていた。


「フゥーッ、フゥーッ、フゥ…思ったよりキツかったか?」


 先頭を進んでいたスモル・ソイボーイが頂上の手前で立ち止まり、振り返った。もう、そこから軽くジャンプすれば神殿前の広場が見えるくらいの位置である。神殿の前で警備しているであろう立哨りっしょうに見つからずに休憩できる最後の機会だった。

 スモルはデファーグ・エッジロードに次いでハーフエルフの中では二番目ぐらいに体力に自信があったが、重い防具を身に着けていることもあって息が上がっていた。


「もう、着いたのか?」


 スモルに次いでデファーグが追い付き、手で顔の汗を拭う。気温がもう少し低ければ、彼の身体から湯気が立ち昇っているのが白くなって見えた事だろう。スモルほどではないが重たい装備を身に着けているため、ハーフエルフの中では最も体力があるにもかかわらず、やはりスモル同様息を切らしているようだった。


「ああ、この上がもう神殿だ。」


 スモルが自分のすぐ頭の上あたりにある岩棚をポンポンと手で叩くと、デファーグは安心したようにフゥーッと大きく息を吐き、膝に手をついて上体を屈めた。


「なんだ、ヘバッたのか?」


「いや、ちょっと息が上がっただけだ。」


 スモルが笑いながら言うと、デファーグはその姿勢で息を整える。そして二度三度深呼吸をすると、改めてスモルに確認する。


「ここ、大丈夫なのか?

 すぐ近くに敵の見張りがいたりしないか?」


「ちょっと待て。」


 スモルは近くにあった岩の突起に足を乗せ、ゆっくり静かに伸びあがるようにして頂上の様子を見た。


「……大丈夫だ。玄関のところに歩哨ほしょうが二人いるだけだ。

 距離も七十ヤード(約六十四メートル)ぐらいあるから、大声出さなきゃ聞こえない。」


「たったの二人?」


 デファーグは耳を疑った。ここには四百人ちかい兵力が居たはずで、たしかに陽動で多数の兵力を引っ張り出したとはいえ、まだ数十人程度は残っているはずである。


「ああ、それしか見えない。

 神殿の中にいるのかもな…」


 スモルが頭だけだして頂上の様子を用心深く見回しながら答えると、彼らのリーダーであるティフ・ブルーボールがようやくたどり着いた。本当はティフは二番手を進んでいたはずだったが、途中でデファーグに追い抜かれたのだ。ティフに体力が無かったと言うより、ティフが進んだコースがたまたまデファーグの進んだコースよりキツい部分があったのが追い抜かれてしまった理由だった。


「ハァ、ハァ、ハァ、頂上か?」


「ああ、もうこの上が神殿だ。」


 声量を抑えたティフの質問にデファーグが労わるように答えると、ティフはよほど疲れてしまったらしく、その場にしゃがみ込んだ。


「ハァーーっ…で、どうだ?」


「この上はもう神殿だが、玄関の前に歩哨が二人いるだけだそうだ。」


「・・・・・・」


 デファーグの答えにティフは特に何の反応も示さず、しゃがみ込んで地面を見つめたまま息を整えることに集中しているようだった。そのうち、ボチボチ他のメンバーも到着し始める。到着した者から異口同音に頂上に到着したかを聞き、スモルかデファーグに到着したことを教えられると、やはりその場で休憩し始める。

 ゲーマーの血を引く彼らは常人よりも優れた体力を誇ってはいるが、やはり重い装備を身に着けたままこのような岩場を登ってくるのは体力的にこたえるようだ。もっとも、彼ら以外の普通の人間に彼らと同じ装備を身に着けさせて、この崖を登れと言っても無理だっただろう。


「ふぅ~、やっと着い…あっ、ああっ!?」


 ガガガッと岩場で足を滑らす音がして、到着したばかりの一人が下へ落ちてしまった。


「「「「なっ!?」」」」


 その様子をたまたま見ていた者は目を丸くし、そうでなかった者はまさかという顔で驚き崖下を覗こうと駆け出す仲間を見つめる。スモルは先ほどの悲鳴が聞かれなかったかを確認するため、一人だけ崖上に頭を出して確認した。


「おい、大丈夫か!?」

「今の誰だった!?」

「ペイトウィンだ!」

「おい!ペイトウィン!!」

「みんな騒ぐな!気づかれるぞ!?」


 メンバーは低く抑えた声で口々に言いながら、仲間の一人ペイトウィン・ホエールキングが落ちて行った崖下を覗き込む。だが、ペイトウィンは彼らの足元からすぐのところに仰向けになっていた。


「お、おい…ペイトウィン?」


「う、うーん…だ、大丈夫だ…」


 ペイトウィンは彼らのいる場所からすぐ下に突き出ていた岩棚の上にちょうど落ちて止まったらしい。高低差も無かったためダメージはほぼ無さそうで、仰向けに寝転がったまま手を振って答える。それを見て他のメンバーたちはホォーーっと安堵の溜息をついた。


「脅かすなよ」

「死んだかと思った」

「いや、死なないにしても下まで落ちてたら這い上がって来るの大変だったぞ?」

「ちゃんと身体を鍛えてないからだ!ゲーマーの子の癖に!」


「父さんはマジックキャスターだったんだ。せっかくハーフエルフに生まれたんだし、身体鍛えるより魔力を鍛えた方がいいだろ!?」


 崖の上から口々に小言を言う仲間に向かい、ペイトウィンは起き上がると身体の汚れを払いながら不満そうに言った。


「大きい声を出すな!」

「シィーッ!!」


 ペイトウィンの声が大きく聞こえ、それが気になったらしい仲間たちが注意する。それでそう言えば敵が近いことを思い出したティフが、崖の上の様子を伺い続けているスモルの方を向く。


「スモル?」


「大丈夫だ、気づかれてない」


 スモルは神殿の様子を見たまま答えた。それを聞いて他のメンバーたちは改めて息をつく。


「ほらペイトウィン、捕まれよ。」


 崖の上からデファーグが手を差し出す。


「あ、ああ、助かる…よっっと…」


 ペイトウィンが差し出されたデファーグの手を取ると、デファーグはそのまま一気にペイトウィンを自分たちのいるところまで引き上げた。


「運が良かったな、ちょうど岩棚があって。」

「ああ、助かった。下まで落ちてしまうかと思ったよ。」

「怪我は?」

「大丈夫だ…多分、痛くないし…」

「それにしても、あんなところに岩棚なんてあったか?」

「そりゃあっただろ?

 無きゃあそこに落ちるわけ無いし」


 全員がそろって気が緩んだのか、ペチャクチャしゃべり始める。ティフは小さく手を叩いて全員の注目を集めた。


「おい、いよいよだぞ!?」


 ティフの声を聞いて全員が口を閉ざし、ティフの方に注目する。崖上の様子を伺っていたスモルも足場にしていた岩から降りてティフの方に注目した。


「よし、俺たちには時間が無い。

 もう一度言うが、魔法は解禁する。だが油断するなよ?

 この神殿の主、ルクレティア・スパルタカシアにはどうやら強力な《地の精霊アース・エレメンタル》の加護がある。

 本人が魔力に優れているという話は聞いたことが無いし、スパルタカシウス家は俺たちのようにゲーマーの血を引いてはいない。聖貴族だがNPCだ。だから本人は多分、脅威になるような魔法は使えない筈だが、昨日俺たちを追い払った《地の精霊》の方は脅威だ。きっと、ボス・モンスター並の強さだぞ?」


 そこまで聞いてある者は不安そうに、またある者はやる気をみなぎらせる。


「だが俺たちは『勇者団ブレーブス』だ!

 ゲーマーの、勇者の息子だ!

 父さんたちは力を合わせてどんな敵にも勝って見せた!

 だから俺たちもきっと勝つ!

 『みんなが力を合わせれば、倒せない敵なんてない!』」


 最後の一言にティフは力を込めて拳を突き出す。それは彼らが好んでいた英雄譚の決め台詞の一つだった。彼らは同好の士だけあってたぎるものがあるのだろう、全員がフンッと気合を入れた。


「だが、忘れるな。目的はヴァナディーズだ。

 《地の精霊》は多分妨害してくるだろうが、そいつを倒す事が目的じゃない。いいな!?

 …よし、じゃあ行くぞ!!」


「「「「「おうっ!」」」」」


 低く、静かに掛け声をあげ、拳を突き出す。そして彼らは崖の上に躍り出た。それが罠だとは思いもしなかった。彼らは気づかなかったが、彼らの足元では先ほどペイトウィンを受け止めた岩棚が縮み、地中の元々あった場所に戻ろうとしていた。

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