第416話 秘密指令

統一歴九十九年五月五日、夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース南斜面/アルビオンニウム



 第八大隊コホルス・オクタヴァが遭遇した敵中央軍が撤退の際に広範囲に渡って火を放ったことから、もしやケレース神殿西に展開した敵左翼軍も火計を使うのではないかという予想はあった。そうであるがゆえにたかが一個百人隊ケントゥリア相当の兵力しかない敵左翼軍に対してサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軽装歩兵ウェリテス二個百人隊を投入し、早期の消火と鎮圧にあたらせている。

 残存兵力は三個百人隊で、内二個が重装歩兵ホプロマクス、一個が軽装歩兵という構成だ。これで南東に展開している敵右翼軍に対しては軽装歩兵一個百人隊を投入して対応させ、最後に北の崖を登って来る『勇者団ブレーブス』本隊に対しては重装歩兵二個百人隊を投入できる。

 南東の右翼軍に対して一個百人隊しか投入しないのは、南東の敵右翼軍もやはり一個百人隊相当の人数しかいないことと、南東の斜面が森林地帯で重装歩兵の苦手な地勢であること、そして風下であることから火計などの奇策は講じないだろうという予想に基づいている。


 これは《地の精霊アース・エレメンタル》からのにより、敵兵力の規模と展開している位置を事前に知ることが出来ていたからこそ立てることの出来た対応策だった。コレが無ければ今頃どうなっていただろうか?


 ともあれ、事態は当初想像していたよりもかなり好調に推移している。

 ケレース神殿に司令部を構えたレーマ軍…サウマンディアとアルトリウシアの連合軍の司令官トリブヌスたちは状況をそのように認識していた。ルクレティアを介してもたらされるが正確でありつづける限り、今後の展開もレーマ軍側の想定を外れることにはならないだろう。

 ケレース神殿西に派遣したサウマンディアの軽装歩兵が敵左翼軍と交戦を開始して間もなく、《地の精霊》のが敵右翼軍の進撃開始を伝えると、今日の作戦の総司令官を務めるサウマンディア軍団の筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスに対し、予定通り軽装歩兵一個百人隊を出撃させるよう命じた。そして、同時にハン支援軍アウクシリア・ハンのイェルナクに対し、援軍をしている。

 これはイェルナク自身が戦列に加わりたいと申し出たことを受けての事ではあったが、その申し出はレーマ軍人たちにとって渡りに船だったと言える。


 この後、予想では北側の崖から『勇者団』の本隊がケレース神殿へ攻めてきて、アルトリウシア軍団の重装歩兵二個百人隊と《地の精霊》によって迎撃することになっている。そして『勇者団』は降臨を起こそうとしている張本人…すなわち、イェルナクが主張するだ。

 イェルナクに彼らの存在が知られてしまえば「ハン支援軍は叛乱を起こしたのではなく、メルクリウス団の陰謀にハメられたのだ」という主張に根拠を与えることになってしまいかねない。ヴァナディーズの証言が正しければ彼らはリュウイチの降臨にも、ハン支援軍の叛乱にも関係ないはずなのだし、イェルナクの言う陰謀論には色々と無理がある。まずイェルナクの言っている事が口から出まかせであることは疑いようがない。

 イェルナクに知られないうちに『勇者団』を早急に逮捕し、その上でハン支援軍の叛乱事件とは別件として処理してしまう必要があった。


 である以上、イェルナクはケレース神殿から引き離しておきたい。本当は宮殿跡の方へ第八大隊と共に行って欲しかったが、それはイェルナクが断固拒否した。その時点では彼はまだ神殿テンプルム調を終えていなかったし、その後は第八大隊が予想より早く敵中央軍と遭遇し、戦闘に入ってしまっていたので送り出せなくなっていたのだ。わずか十二人のゴブリン兵しか連れていない彼を、火災が起きていて、しかも散発的に戦闘が行われていてどこに賊がいるかもわからない廃墟の街に送り出せば万が一のこともあり得る。イェルナクは邪魔者ではあったが、かといって死なれていい人間でもないのだ。


 イェルナクは確かに嫌われ者で面倒くさい人物ではある。レーマ貴族たちの間では話が通じないとさえ噂されている。だが、嫌われていて面倒くさくて話が通じないのは、ハン族全体に言えることだった。むしろ、他のハン族に比べればイェルナクはかなりマシな部類に入る人物なのである。その彼がフロントマンを務めているからこそ、ハン支援軍は何とか存立できていると言える。

 もしもイェルナクが死んでしまったら…おそらくイェルナクよりももっと話の通じない人物がフロントマンになるのだ。それはハン族の他の王族と接したことのある人間に言わせれば冗談では済まされない悪夢だった。

 また、彼は軍使レガトゥス・ミリタリスでもある。その身の安全は保障してやらねばならないし、今イェルナクを死なせればハン支援軍は責任取れとか謝罪しろとか賠償しろとか騒ぎだして面倒なことになるのは目に見えていた。


 そこでカエソーはイェルナクに南東方面への出撃を要請することにした。投入兵力だけを考えれば西の方が自軍有利ではあるが、あちらは火災も起きていて現場が混乱することが考えられる。何かの間違いで戦死されては困る。

 これに対して南東方面は彼我の戦力比は小さいが、そっちなら風下だから敵が火計を用いる心配は無いし、山林だからイザと言うときは身を隠すことも出来るだろう。何よりも『勇者団』が攻めて来る北側とはほぼ逆方向になる。


 かくして、イェルナクはアルトリウシア軍団の軽装歩兵一個百人隊と共に十二人のゴブリン兵を連れてケレース神殿から出撃したのだった。そして軽装歩兵たちが十人隊コントゥベルニウムごとに分かれて山林に分け入っていくのを、イェルナクは堂々と見送った。


「よし、お前たち、弾を込めろ。散弾が良い。散弾はあるか?」


「あ、あります閣下!」

「か、閣下、俺たちゃ行かなくていいんですかい?」


 兵たちは自分たちも戦をするんだと思ってついてきたのにホブゴブリンたちばかりに先行させ、ここで立ち止まって弾を込めさせているイェルナクの考えが良く分からなかった。イェルナクは彼らにとっては雲の上の存在で、それでいて気難しい。彼らには到底理解できない難しい理由で突然怒り出したりする、とても怖い存在だった。

 イェルナクは少しイライラした様子で兵たちに言った。


「もちろん行くとも!そのために来たんだ。

 だが、お前たちには秘密の命令を与える。」


「秘密の!?」

「何かするんですか!?」


 兵たちは思わず弾を込める手を止めてイェルナクを見上げる。イェルナクは彼らと同じハン族だが王族だ。彼ら兵士はゴブリンだが、王族であるイェルナクはホブゴブリンであり、体格が一回り大きい。だから一層、彼らを見下ろすイェルナクは酷く威圧的だった。


「捕虜をとってこい!」


「ほ、捕虜ですか!?」


 ゴブリン兵たちは驚いた。彼らゴブリンは体格が小さい。アルビオンニアにいる他の種族の中でも最も小さい。背の高さだけならドワーフと同じくらいだが、ドワーフは筋力がゴブリンの二倍くらいあるから勝負にならない。つまり、彼らはここアルビオンニアで最弱の種族だ。その彼らに「捕虜をとってこい」と言うのは、いくら相手が軍人じゃないとはいえ結構厳しい注文である。

 アルトリウシアで蜂起した時も彼らは多くの民間人をさらったが、それは女子供ばかりが対象だった。ハン族の子供を産ませる女が必要だったということもあるが、それ以上に男では体力的に捕まえ従わせることが難しかったからという理由が大きかったのだ。

 それなのに捕虜をとれ…相手は民間人だが男で、しかも武装した盗賊なのだ。子供に大人を捕まえてこいと言っているようなものである。まともに取っ組み合っては絶対に勝てない相手だ。


「そぅだっ!

 怪我してる奴が良い。そのための散弾だ。

 なるべく散弾で怪我をさせて捕まえろ。

 散弾が無くなったら一丸弾でもいいが、なるべく殺すな。

 死なない程度に重傷なのが一番いい。

 あと、できればゴブリン…いやホブゴブリンとかブッカで構わん。

 もし、怪我をして倒れている賊を見つけたら、そいつでもいい。

 お前たちが倒した奴じゃなかったとしてもかまわんから捕まえてこい。」


 ゴブリン兵たちは互いに顔を見合わせた。その表情が無言のまま「どうしよう?」と言っている。いくら銃があるとは言っても今は夜中で、しかも月明かりも届かない森の中でそれをやらねばならないのだ。

 その様子にイェルナクはイラっと来たようだ。胸を張り、身体を仰け反らせて彼らを見下ろし、少し低い声で不満をあらわにする。


「なんだ、出来んと言うつもりか!?」


「い、いえ!やります!やりますとも!!」

「貴族様の御意に逆らうつもりはありません!」


 慌てて弁明を始めるゴブリン兵を「当然だ!」の一言で黙らせたイェルナクは、フンッと鼻を鳴らし、叱られた子供の様に俯いたままイェルナクをチラ見しているゴブリン兵を威圧する。


「よし、特別に褒美を出す!」


「褒美?」


「そうだ、捕虜を捕まえた者には特別に銀貨をくれてやろう。

 いいな、怪我をしているが、ちゃんと生きている捕虜だぞ?

 それを私が買い取ってやる!」


 イェルナクは尊大な態度でそう言い放った。


「や、やります!な、おい?」

「お、おう!やります!やったぁ」


 ゴブリン兵たちはにわかに顔をほころばせて互いに喜び合った。もちろん、それは演技である。褒美があろうがなかろうが、出された注文は無茶以外の何物でもないのだ。だが、ここで喜んで見せれば少なくともこの場から解放される。彼らはそういう処世術を昔から身に着けていたのだ。


「よし、私はここで待っているからな。

 一応、護衛として四人残れ、他八人で捕虜を捕まえてくるのだ。

 行け!!」


 ゴブリン兵は弾かれたように森の中へ飛び出し、斜面を駆け下って行った。

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