テンプルム・ケレース事件

第415話 前途洋々

統一歴九十九年五月五日、夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース北壁/アルビオンニウム



 天から降り注ぐ青白く冷たい月の光と、地を覆う廃墟を焼き払う炎の光の両方から照らされた煙が西から立ち昇り、西山地ヴェストリヒバーグの漆黒の山肌と綺羅星の瞬く群青の夜空を覆い隠し始めてから半時間も経たないうちに最初の銃声が鳴り響いた。

 新たな戦場はケレース神殿のある丘の北側の、崖とも斜面とも言い難い岩場を登り始めた『勇者団ブレーブス』のいるあたりまで、距離にして半マイル(約八百五メートル)以上は離れているはずではあったが、無人となった廃墟の都市で、しかも夜の静寂に包まれていたこともあって、その銃声は意外と良く聞き取ることができていた。おそらく、戦場が風上であったことも、音を良く伝えた要因ではあっただろう。

 もっとも、最初の一斉射撃こそ派手に鳴り響いたものの、その後は投擲爆弾グラナータのものとおぼしき爆発音が時折聞こえる外は、まとまりのない散発的な銃声が継続して聞こえる状態が続いてた。そしてそのことにティフたちは一抹の不安を覚えていた。


 この世界ヴァーチャリアでの軍隊は一般に戦列歩兵戦術を採用している。《レアル》からもっと近代的な戦術は伝わっているが、そうした戦術は黒色火薬を使う前装式滑腔銃身スムース・ボアの銃が主流のこの世界では戦列歩兵戦術以上の有効性を認められていないのだ。

 今、西方で戦っている第二部隊が対しているのはアルトリウシア軍団レギオンか、それともサウマンディア軍団レギオンかは分からないが、いずれにせよ正規軍のはずである。ならば戦列歩兵戦術によって数十人の銃兵が一斉射撃しなければおかしい。なのに、銃声を聞く限り最初の一斉射撃以降、敵も味方も少人数ずつがバラバラに撃ち合っている。


 最初の一斉射撃…おそらく第二部隊側が実施したはずだ。もし最初の一斉射撃が敵のものだとしたら、第二部隊は奇襲に失敗して敵の先制攻撃を許したことになる。正規軍相手に先制攻撃を許したとなれば、盗賊団ごときが耐えられるはずがない。おそらく第二部隊はそのまま潰走かいそうしてしまい、戦闘は続かないはずだ。敵による追撃戦はあるだろうが、銃声はもっとまばらになるだろう。

 やはり第二部隊側が最初の一斉射撃を行ったとしか思えない。だが、その後の銃声…特に敵側が放つそれがまばらなのが分からない。銃声がずっと鳴り続けているという事は、両者の戦力がそこそこ拮抗しているということではないのか?ということは最初の一撃で敵に大損害を与え、敵が統制射撃出来なくなってしまったということなのか?


 ティフはいくら何でも盗賊団にそこまでの働きが出来るとは考えてなかった。荒事に慣れているとはいっても所詮は盗賊、戦に関しては素人である。しかも彼らは昨夜のブルグトアドルフの作戦で敵とろくに戦いもせずに逃げてしまった連中だ。そのことからもティフは第二部隊には火災を起こし、消火に来た敵部隊に一撃浴びせて逃げる以上の事は全く期待していなかったのだ。


 ひょっとして…逃げるのにすら失敗した?


 考えられない事ではない。だが、だとしてもこれほど戦闘が長続きするとは思えない。正規軍相手に奇襲失敗し、あまつさえ逃げられなかったのなら、あれだけ士気の低い盗賊たちならとっとと降伏してしまいそうな気がする。


 ともかく不可解だった。いずれにせよ、第三部隊には行動開始の合図を送っているし、丘の反対側なので様子は分からないがケレース神殿に向けて既に前進を始めているはずである。彼らの行動に変更はない…変更は無いが、第二部隊と第二部隊が引きつけている敵の動向次第では、作戦後の撤収に影響があるかもしれない。


 ペトミーがティフに頼まれて偵察に飛ばしたジャイアント・バットは、彼らがケレース神殿の丘の中腹に達したころに戻ってきた。

 ジャイアント・バットに気付いたペトミーが声を押し殺しながら、自分より少し上の岩棚を登っているティフに声をかける。


「ティフ!…ティフ!…戻ってきたぞ!!」


「ああ、分かった!

 全員、ちょっと休憩だ!!」


 同じく声を抑えながら答えたティフは、足元に用心しながらペトミーのいる辺りまで降りていく。その間、ペトミーは空に向かって左腕を突き出し、戻ってきたジャイアント・バットをとまらせた。

 「休憩」の言葉に、『勇者団』のメンバーたちは岩場をよじ登るのを止め、ペトミーのいる辺りににじり寄り始めた。


「ふぅ~…で、どんな感じだ?」


 ペトミーのいる辺りまで降りて来たティフが尋ねた。西から聞こえる銃声は最初に比べるとだいぶ勢いが弱まってきている。


「どうやら第二部隊もかなり頑張ったみたいだな。」


 ペトミーはジャイアント・バットから念話で聞いた内容を、空中に地図を描きながら説明し始めた。


「敵は神殿からかなりの人数を繰り出したらしい。

 第二部隊よりずっと多いそうだ。」


「何だと!?」


 ティフは自分の耳を疑い顔をしかめたが、ペトミーはそれを確認を求めての質問ではなく相槌と解釈し、そのまま説明を続けた。


「第二部隊は南から大きく弧を描いて北へ火を放って、火の壁でグルッと敵を半包囲するみたいにしているらしい。

 敵は半分が南側の火を消そうとしていて、もう半分が火の壁の北側から回り込んで・・・」


「ま、待ってくれ、ペトミー。

 今、敵は第二部隊よりずっと多いって言ったか?」


 ティフは敵戦力の方が気になってペトミーの報告を遮った。ペトミーは特に機嫌を悪くすることも無く、何か問題でもあるのかとでも言いたげに答える。


「あ!?…ああ、言ったぞ?」


「どういうことだ、第一部隊を蹴散らした敵が戻ってきたのか!?」


「あぁ~、ちょっと待て…」


 ペトミーは左腕にとまらせたジャイアント・バットと念話で確認する。


「いや、そいつらは南で消火活動と、あと第一部隊の追撃を続行中みたいだ。

 西で消火してる連中は火の北側にしかいないらしい。」


 それを聞くとティフは俯き、眉間に手を当てて考え始めた。


 このケレース神殿に元々いたのはサウマンディア軍団の二百人…その中には神官や民間人が多く居たようだから、戦力は多分ケントゥリア二隊というところだろう。そして、今日アルトリウシア軍団のホブゴブリン兵がざっと三百人が加わっている。これもやっぱり民間人が結構含まれていたから、ケントゥリア三~四個といったところか。中継基地の守備兵も途中で加わったようだったが、それらは人数も少ないし宮殿跡に籠っているはずだから無視して良い。

 つまり、神殿には五~六隊のケントゥリアが居たはずで、そのうち少なくとも二隊以上が第一部隊とぶつかっている。この時点で神殿には三~四隊が残っている。第二部隊は約九十人ほど居たはずだが、「それよりずっと多い」ということはケントゥリアを二隊以上繰り出したということになる。


 今、神殿に残っているのは一~二隊だけ!?


「ど、どうしたティフ?」


 ティフは思わずニヤケていた。しかし、月明かりの下で俯いていたため、ペトミーや周囲に集まって来ていた仲間たちにはティフの表情が見えない。だが、顔の横の筋肉の動きから何か表情を浮かべているのだけはわかる。怒りか、笑顔か…ティフが顔を上げた時、心配していた仲間たちが見たのは笑顔だった。


「いいぞ!

 もしかしたら俺たちは無防備になった神殿に招待されることになるかもしれん!」


「何!?」

「どういうことだティフ?」


「分からないか!?

 敵は元々二百人くらいだった。そこへ昨日ブルグトアドルフで戦った例のホブゴブリンどもの三百人が加わっている。レーマ軍はケントゥリアっていう部隊の単位で戦うが、これはさっきも言ったが一隊だいたい六十人から八十人だ。つまり、敵の兵力は五個から六個の部隊がいる。

 そのうち第一部隊が少なくとも二個の部隊を引きずり出した。

 そして第二部隊がまた二個の部隊を引きずり出している。」


「つまり、一個か二個の部隊が神殿に残ってるってことだよな?」


 ティフが何を言いたいか気づいたサブリーダーのスモル・ソイボーイがティフの言わんとしていることを要約した。するとティフは我が意を得たりとばかりに今後の展開を予言して見せる。


「そうだ、この状態で第三部隊が南東から襲い掛かったら?」


「「「「「おおーーっ!」」」」」


 今度はその場にいた全員が声を抑えた控えめな歓声を上げた。レーマ軍は伝統的に野戦を好む。砦や要塞があってもそれに頼ろうとはしない。敵が砦や要塞に近づいたとしても、撃破できそうだと判断すれば積極的に打って出て来る。そうでなくても神殿は籠城できるような防御設備はない。つまり、南東から第三部隊が襲い掛かれば、神殿の残存部隊は間違いなく打って出るだろう。

 第三部隊は七十人ほどで構成されており、さらに逃げて来た第一部隊も加わることになっている。これまで、敵は投入した攻撃部隊に対して常に二倍近い兵力を繰り出している事から考えて、おそらく第三部隊に対して残っている兵力を全力投入してくるに違いない。


 陽動作戦は間違いなく成功している。これ以上はないレベルで!

 仮に一隊が丸々残っていたとしても、『勇者団』の実力ならそれくらいはどうと言うことは無い。最悪、二隊が残っていたとしても魔法が解禁されている今なら、奇襲効果もあいまって撃破できるはずだ。


「第三部隊は!?

 もう動いてるんだよな!?」


 ティフは期待を込めてペトミーに問いかけた。第三部隊への連絡はペトミーが使い魔を使って行っていたからだ。


「もちろんだ!

 西で火の手が上がって直ぐに攻撃開始を伝えたさ。

 それで第三部隊はとっくに出発している。それは確認済みだ。

 いまごろ南側の斜面で敵と戦ってるはずさ。」


 南側は樹木が生い茂っているため上空からは様子が分からない。ジャイアント・バットでは図体が大きすぎて、暗い夜の森林の中を敵に気付かれない様に飛ぶのは難しいのだ。

 コウモリなんだから超音波使って暗闇でも自在に飛べるはず…と思うかもしれないが、コウモリのすべてが超音波を使うわけではない。超音波で反響定位エコーロケーションができるのは小型のコウモリだけで、大きい種は一部の例外を除いて使えない。

 ペトミーのジャイアント・バットは反響定位を行わないタイプのオオコウモリが魔物化モンストライズしたもので、夜行性だが超音波は使えず、完全に目に頼って飛行する。


「よし!聞いたなみんな!?

 今度の作戦は成功間違いなしだ!

 行くぞ!!」


「「「「「おう!!」」」」」


 ティフとペトミーの周辺に集まっていた約半数のメンバーが満面の笑みを浮かべてティフの呼びかけに応じた。

 前途は明るい。ちょうどこの夜空の天頂から大地を照らす満月のように、彼らの行く手は光り輝いていた。

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