第414話 対応部隊

統一歴九十九年五月五日、夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 宮殿跡に駐屯していたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軽装歩兵ウェリテス一個百人隊ケントゥリアは、『勇者団ブレーブス』に率いられた盗賊団によるケレース神殿テンプルム・ケレース襲撃に備えるため、もともと今夜は船着き場で一夜を明かす予定だった第八大隊コホルス・オクタヴァと急遽入れ替わる形でケレース神殿テンプルム・ケレースへの移動を命じられていた。ところが第八大隊コホルス・オクタヴァは宮殿跡に到着する前に宮殿跡の手前、だいたい北北西あたりのところで盗賊団と遭遇し、そのまま戦闘に突入してしまう。その直後に宮殿跡の北側一帯で一斉に火の手が上がり、百人隊ケントゥリアは身動きが取れなくなってしまった。


 彼らはケレース神殿テンプルム・ケレースへ移動しなければならないが、百余名の民間人たちが収容されていることを考えれば第八大隊コホルス・オクタヴァが来る前に宮殿跡を離れるわけにはいかない。いや、宮殿跡に火勢が及ぶ前に消火活動に入らなければならないだろう。火が宮殿跡に及べば避難してきている民間人は危険にさらされるし、仮に民間人が宮殿跡の外に避難できたとしても、今度は盗賊団に襲われる危険性もある。それに火が大きくなりすぎて《火の精霊ファイア・エレメンタル》が顕現すればどうにもならなくなってしまう。


 当然、百人隊長ケントゥリオは部下たちに消火を命じた。

 その後、ピクトル・ピトー率いる第八大隊コホルス・オクタヴァが到着して消火活動を引き継いでくれたので、彼らは無事にケレース神殿テンプルム・ケレースへ移動することが出来たが、それは予定よりも一時間以上も遅れてのことになってしまった。そしてケレース神殿テンプルム・ケレースの西の市街地で火の手が上がったのは、彼らが神殿テンプルムに到着して間もないころの事だった。


「西で火の手が上がっただと!?」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子は地図を見ながら頭を掻いた。敵中央軍(ケレース神殿テンプルム・ケレースの南に居た部隊)が火計を用いたことから、左翼軍(西にいる敵部隊)も火計を用いて来る可能性については当然考えていた。だが、ケレース神殿テンプルム・ケレースを攻めるための火計だとすれば、放火された位置が南すぎる。今夜の風は北よりの西風で、今はおおむね西北西ないし北西から風が吹いているのだ。ケレース神殿テンプルム・ケレースに火攻めをしかけるのであれば、その風上から仕掛けなければ意味が無い。


「やはり部隊の分断を狙った火計なのかもしれません。

 あるいは敗走中の敵中央軍を支援するために、第八大隊コホルス・オクタヴァの背後を狙ったとも考えられますな。」


 イェルナクが嬉しそうに言った。自分の予想が当たって存在感を示せている事に満足しているのだが、周囲の者はそうはとらない。レーマ軍が窮地に陥ろうとしているのを喜んでいる風にしか見えず、軍人たちは腹の中で苛立ちを募らせていたが、イェルナクにはそこまで気が回らないようだ。


 しかし、イェルナクのその指摘自体はあながち間違っているとも言えなかった。ケレース神殿テンプルム・ケレースのほぼ真西で発生した火災は西北西ないし北西の風にあおられて南東に向かって広がるだろう。その先に居るのは敵中央軍追撃と消火活動のため、市街地に広く散開してしまった第八大隊コホルス・オクタヴァなのだ。彼らは前方の盗賊団と、背後から迫る火の手とに挟まれることになってしまう。


 前方の盗賊団は敗走中ではあるが、見事なまでに逃げに徹しているため被害らしい被害を受けている様子はない。現時点で第八大隊コホルス・オクタヴァが確認した戦果…盗賊団の死骸や捕虜は十人にも満たないままなのだ。そして保有する六個百人隊ケントゥリアの内、一個を宮殿跡の民間人保護に回し、三個で消火活動、二個で盗賊団追撃を行わせているが、盗賊団は少人数で物陰から射撃を加えては全力で逃げるという行為を繰り返しており、軍勢はかなり広い範囲に散開してしまっている。

 もはや大隊長ピルス・プリオルのピクトル自身にも自分の部下たちがどのあたりまで広がっているのか把握しきれなくなってきており、追撃部隊に再集結の命令を出していたが、その命令がどこまで届いているのかもよくわからない状態に陥りつつあった。


 そのような状況で背後から火の手が迫れば、第八大隊コホルス・オクタヴァがバカにならない損害を出してしまう可能性は確かにあった。敗走している盗賊団の逃げっぷりはあまりにも見事すぎる。偽装である可能性は否定できないし、仮にここから敗走中の敵中央軍が敵右翼と合流して反転攻勢に出てきたら…さらに敵左翼が火計に乗じて背後から襲い掛かったら…いくら敵総兵力の二倍の正規兵レギオナリウスと言えども無事では済むまい。

 もしも、ケレース神殿テンプルム・ケレースの北から迫っている『勇者団ブレーブス』の存在を知らなければ、盗賊団の本当の目的はケレース神殿テンプルム・ケレースではなく、最初から第八大隊コホルス・オクタヴァの撃破にあったのではないかと疑いたくなる状況だ。西から上がった火がこのまま燃え広がれば、ケレース神殿テンプルム・ケレースから第八大隊コホルス・オクタヴァへ救援部隊を送ることもできなくなるであろうことは、想像するまでもないほど自明のことだからだ。


「今すぐ、対応すべきであると愚考いたします。」


 イェルナクが胸を張って自信たっぷりに言った。まあ、それくらいの事はここにいる軍人たちにとっては言われるまでも無いことだ。問題は、どう対応するかだ。

 ケレース神殿テンプルム・ケレースの南東には一個百人隊ケントゥリア相当と推定される盗賊団の右翼軍がおり、敗走中の敵中央軍が合流する可能性も否定できない。それらはおそらく比較的傾斜の緩やかな南から南東にかけての森林地帯を突破して攻めて来ることが予想されている。それに対して一個百人隊ケントゥリアは用意しておきたい。

 そして、イェルナクには知られていないが北から『勇者団ブレーブス』が迫っているのでその対処も考えねばならない。一応、《地の精霊アース・エレメンタル》には協力をお願いしてあるが…どういう戦いになるかは見当もつかないのが実情だ。そもそもハーフエルフの実力など全くの未知数なのである。


 今、ケレース神殿テンプルム・ケレースには五個百人隊ケントゥリアの兵力があり、うち二個が重装歩兵ホプロマクス、三個が軽装歩兵ウェリテスだ。敵右翼軍への備えには軽装歩兵ウェリテスが望ましい。

 となると、残りは重装歩兵ホプロマクス軽装歩兵ウェリテス百人隊ケントゥリアが二個ずつ…。


「仕方がない、我々サウマンディア軽装歩兵ウェリテスを送り出そう。

 アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿、それでよろしいかな?」


 カエソーは地図を睨み、顎をさすりながら沈思黙考したのちに意を決したように顔を上げて言った。

 西で起きた火災…おそらく敵左翼軍との戦闘が確実と思われる消火活動に対し、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軽装歩兵ウェリテス二個百人隊ケントゥリアを投入するという決断だった。それは必然的に、ケレース神殿テンプルム・ケレースに残る兵力はすべてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの三個百人隊ケントゥリアしか残らないことを意味する。

 それを聞いてサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムマルクス・ウァレリウス・カストゥスは心配そうに言った。


「よろしいのですか?」


 今回、敵である『勇者団ブレーブス』は降臨術の再現を目指し、そのためにケレース神殿テンプルム・ケレースを攻略しようとしている。それを阻止する事が今回の作戦の最大の目的となる。そして『勇者団ブレーブス』は事実上メルクリウス団であり、その捕縛に成功することは、今作戦における最大の功績となるだろう。

 今ここでケレース神殿テンプルム・ケレースの守りをアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに任せ、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの部隊を出撃させるという事は、『勇者団ブレーブス』捕縛と言う手柄をアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに譲るという事を意味していた。


「うむ、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスは連日の戦闘で疲労も溜まっておろう。

 敵右翼軍はこのまま動かない可能性も無いわけではない。

 ここは我々サウマンディアが動いた方が良いだろう。」


 カエソーはチラっとイェルナクの方を見てからそう言った。『勇者団ブレーブス』のことは、まだイェルナクの前で言わない方が良い。カエソーはその仕草でマルクスに注意を促している。


「そこまでご配慮いただき感謝に堪えません、伯爵公子カエソー閣下。

 我らアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアとしたしましては、異存ございません。」


 セプティミウスは特に何の感慨もなさそうな様子で礼を言い、頭を下げた。この場所はアルビオンニア属州の領域であるが、今回の作戦は対メルクリウス作戦の一環と位置付けられており、作戦の指揮権はサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア側にある。このため、自動的にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの最上位者であるカエソーの指揮下に入らざるを得ない。そのカエソーがそういう決断を下したと言うのであれば、セプティミウスとしては何の異論も無かった。


「いかがでしょう?

 せっかく私も兵を連れてきているのです。

 もしお許しいただけるのでしたら、ハン支援軍アウクシリア・ハンとして作戦に参加させていただきたく存じますが?」


 イェルナクが割って入り、その場にいた軍人たちが一斉にイェルナクに注目する。


「先ほどもそのようにおっしゃっておられたが、兵と言ってもわずか十二人ではありませんでしたかな?

 それも、イェルナク殿の御本人の護衛のはず。

 まさかイェルナク殿自ら戦場に出られるおつもりか?」


 カエソーは一度全員の顔を見渡した後、イェルナクに真意を問いただした。

 どうせまた口先だけのおべんちゃらだろうが、本気で言っているのなら邪険にすることも出来ない。一応、ハン支援軍アウクシリア・ハン皇帝インペラトルがアルビオンニアへ派遣したれっきとしたレーマ本国の部隊なのだ。協力の申し出を正当な理由もなく断れば、皇帝インペラトルの権威を否定することになりかねない。

 しかし、だからと言って下手な戦線へ投入してイェルナクに戦死されては困る。ここでイェルナクの兵を借りて万が一手柄でも挙げられてしまうと、ハン支援軍アウクシリア・ハンに対してが出来てしまうというのも無いわけではないが、その心配はするだけ無駄だろう。なにせ弱兵ゴブリンがたったの十二人だ。

 イェルナクは大方の予想を裏切って胸を張った。


「もちろん、私自ら戦場に立ちましょう。

 私だって軍人です。軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムですからな。」

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