第342話 聖女の条件

統一歴九十九年五月一日、昼 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「さてと、ルクレティア様?」


 挨拶が終わり、席についてルキウスが話しかけるとルクレティアはビクッとその身体を揺らした。


「…は、はい…」


 その様子を見て一同は一斉に静かにため息を漏らす。

 この応接室タブリヌムはリュウイチがエルネスティーネやルキウスといった上級貴族パトリキたちと会うための部屋で、リュウイチの意向によって身分差等の序列で席順が決まらないように中央に円卓が設けられていた。だが、円卓なら席順なんて関係ないだろうというのはリュウイチの勝手な思い込みであり、レーマ文化に従うならば円卓であっても席順は厳密に定められていた。円卓には今、時計回りにリュウイチ、ルキウス、ルクレティア、ヴァナディーズの順で座っている。

 レーマでは円卓での席の並び順は身分の高い順に時計回りが基本だ。ホストが座った左隣にメインゲストが座り、メインゲストの席から身分順に座っていく。ホストが妻子を同伴している場合はホストの右隣に座る。

 ルクレティアはチラリとヴァナディーズを見た。ホントはそっちに座りたい…今ヴァナディーズが座っている席は最も身分の低い者の席ではあるが、仮にリュウイチをこの場のホストに位置付けるならば、そこはリュウイチの妻の席となるからだ。


「ルクレティア様……あ~、いや、ルクレティア、話は聞いたよ」


 ルキウスはルクレティアとヴァナディーズが入室した際に淹れなおされた香茶を手に取った。


「それで、君はどうしたいね?」


 ズバッとダメだと言われるんじゃないかと恐れていたルクレティアは、まるで信じられないとでも言うような、あるいは縋るような顔をルキウスに向けた、


「ッ!

 そんなこと……お、御受けするわけには……」


 ルクレティアの口から出てくる答えは尻すぼみに小さくなり、本人も言いながら次第に俯いてしまう。

 その様子を見ていたルキウスはルクレティアから視線を外し、手に持った茶碗ポクルムに視線を落とした。


「いや、そうなんだが、君自身はどうしたいね?」


「そ、それは……お受けしたい……です……でも……」


 俯いたままチラチラと目だけでルキウスの様子を伺いながら、ルクレティアはモジモジと答える。


「そうだな、君が聖女サクラならともかく、君はまだ正式な巫女サセルダですらない。聖女サクラ候補ではあるが厳密には巫女サセルダ見習いだ。

 私たちは既に君のことを聖女サクラとして扱ってはいるが、これはあくまでも暫定的ざんていてきなものにすぎない。」


 そう言うとルキウスは香茶を一口啜り、目を閉じて天井に向かってハァーッと大きく息を吐いた。ルクレティアは俯いたまま黙って聞いている。


「だが、聖女サクラに迎える証』として受け取ってほしいと言われれば断ることも出来ないと……」


「……はい……」


 コトリと卓上に茶碗を戻し、ルキウスは再びリュウイチの方を向いた。


「リュウイチ様、我々は大協約というこの世界ヴァーチャリアで最も基本的な規則に服しており、その定めに従う限り、ルクレティアが魔導具マジック・アイテムを受け取ることは出来ません」


『しかし……』


 リュウイチが困り顔で抗議しようとするのをルキウスは右手をかざして制した。


「ルクレティアが聖女サクラや、せめて巫女サセルダならば頂戴することは出来ます。あるいは女奴隷セルウァならば…

 ですが、彼女はまだ聖女サクラではないし、正式な巫女サセルダですらないのです」


 リュウイチはため息をつきながら起こしかけていた上体を背もたれに沈めていく。その残念そうな顔を見ながらルキウスはかざしていた右手をひっこめ、そのまま右ひじを肘掛けに突いてリュウイチの方へ身を乗り出す。


「ですが、あくまでもです。」


 わずかに悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言ったルキウスに、三人はわずかに目を丸めて一斉にルキウスに注目する。ルキウスは同席する二人の女性には目もくれず、リュウイチの方を見たまま上体を起こし姿勢を元に戻した。


「リュウイチ様、ルクレティアの同衾どうきんを御認めください」


「「!?」」

『ど…同衾っ!?』


 全員が一斉に目を丸くして背を伸ばしルキウスを見た。自分の耳を疑っているのだ。ルクレティアは青かった顔を赤くし、ヴァナディーズなどは手を口に当てている。


「さすがにリュウイチ様と同衾もしていない者を聖女サクラと認めるわけにはいきません」


『で、でも……』


「ええ、もちろんリュウイチ様が十八に満たぬ娘にはおつもりなのは承知しております。手は付けずとも構いません。

 ただ、同衾だけでもさせていただければ、聖女サクラとしての格好は付きます」


『しかし、こちらの法でも十六に満たなければ……』


「おっしゃる通りで十六に満たなければ正式な巫女サセルダにすることは出来ません。ですが聖女サクラと花嫁は違います。

 結婚とは違いますから、聖女サクラは妻ではありません。だからこそ複数の聖女サクラを持つことも出来る。

 聖女サクラとは単にのことでしかありません。もちろん、聖女サクラ本人はもちろん、巫女サセルダを捧げる我々や家族たちは嫁に出す気持ちで送り出します。ですが、誰もかれも送り出すようになれば収拾がつかなくなる。だから巫女サセルダは成人になってからということにはなってはいますが、未成年であっても巫女サセルダ見習いとして降臨者様のお世話に当たることができないわけではありません。今のルクレティアがまさにそうです。

 そして、降臨者様のば、それはすなわち聖女サクラなのです」


『そ、それはその……』


 ルキウスは眉を持ち上げ、何か面白い冗談でも聞いたかのような顔をすると卓上の茶碗を手に取った。


「先ほども申しましたが本当に手を付けなくても構いません。

 他の者共とて同衾したとなれば、その先のことなど詮索はしません。いや、まあ詮索はするでしょうが、大っぴらに追及することなど誰にもできません。詮索する方が野暮やぼと笑われ、恥をかくだけでしょうからな」


 ルキウスは楽し気にそう言うと、香茶をズズっと啜った。リュウイチはゴクリと唾を飲み、茶碗に手を伸ばす。


『私が、その、彼女に手を付けたと、そう思わせるっていうことですよね?』


「手を付けたとリュウイチ様が認める必要はありません。

 手が付いたと我々も吹聴ふいちょうして回るつもりもありません。

 ただ、同衾はしていただきますが、そこから先何があったとか何が無かったとか言う必要は無いのです。

 そもそも……」


 ルキウスは茶碗をテーブルに戻して続けた。


「娘の年齢がどうあれ、リュウイチ様が女に手を付けたとして何の罪にもなりませんよ。この世界ヴァーチャリアではね。

 それともこの世界で罪を犯したとして、《レアル》で裁かれるのですか?」


 ルキウスはどこか悪戯っぽい笑みをかすかに浮かべている。リュウイチは一瞬ルキウスが揶揄からかっているのかとも疑った。しかし、目は真剣そのものだ。いや、確かに真剣に言っているのだろう。ルキウスにしろアルトリウスにしろ、リュウイチに対してハッキリとこの世界ヴァーチャリアで子を成してほしいと告げている。そのための女もいくらでも用意するとすら言っていた。それがルクレティアであれば、彼らにとっては万々歳なのだ。ルキウスとしては、これを機にルクレティアをリュウイチのベッドに放り込みたいに違いない。


 気づけば二人の女たちは先ほどまでルキウスに向けていたはずの視線をリュウイチに向けていた。ヴァナディーズの方はワクワクと瞳を好奇心に輝かせているが、ルクレティアの方はまるで捨てられた子犬のように縋りつくような目をしている。


 リュウイチとしては純粋に好意のつもりでいた。感謝のつもりだった。そして若すぎることを理由に拒絶してしまった事や、リュキスカを連れ込んだことで彼女の心を傷つけてしまった事に対する負い目もあった。彼女が十八になるまで、せめて彼女が少しでも楽しく聖女気分を味わってもらえたら、少しは罪滅ぼしになるかと考えていた。

 だが、とんだ藪蛇やぶへびになってしまった。


 ここで「やっぱ無し」って言ってしまえば問題はそれで終わる。だが、ルクレティアの心はどうなるだろうか?これまで散々振り回して傷つけ、迷惑をかけてしまった彼女の心はリュウイチの不用意な提案のせいでズタボロになってしまっている。

 リュウイチは女の子を泣かせる趣味も、弱い者を痛めつけて喜ぶ趣味も、自分の世話をしてくれる恩人に仇で報いる趣味も持ち合わせてはいなかった。憔悴しょうすいしきった顔で目に涙を浮かべ、哀願するようにリュウイチへ向けられたルクレティアの瞳を前に、リュウイチはノーを突きつけることなどできなかったのである。


 ただ、リュウイチがいずれの答えを出したとしても、結局ルクレティアが口を手で押さえながら、その目から大粒の涙をボロボロとこぼすことになるのに変わりはなかったが……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る