第343話 アルビオンニウムへ
統一歴九十九年五月一日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア
ルクレティアを
二人はネロの淹れなおした香茶をしばらく無言で楽しんだ。ほかに何もすることが無かったからではあったが、二人がまだ熱い香茶を少しずつ
『それにしても……いや……思った以上に話が大きくなってしまいました。
その、お騒がせして申し訳ありません』
ルキウスは香茶を啜りながら横目でリュウイチの顔を見、それからフゥと短く息を吐いて答える。
「なんの、《レアル》からすれば
この世界は、まだまだ未成熟な世界ですからな」
『いや、《
面倒の種類が違うだけでね』
リュウイチがそう言うとルキウスはフッフと楽し気に笑った。
「まあ、人がおる限り面倒というやつは無くならんのでしょうな」
『それにしても本当に大丈夫なんですか?』
「何がですかな?」
『その……手は出さなくても同衾したなら、その、聖女だっていう…』
ルキウスは茶碗を口元に当てフフーっと息を吐いた。それが笑ったものなのか、単にお茶を冷まそうとしていたのかはリュウイチには分からなかった。ルキウスはそのままお茶をズズっと音を立てて啜ると、茶碗を降ろして膝の上で両手で包み持つ。
「厳密には、もちろん許されんでしょう」
『・・・・・』
「なので、これは他言無用です。私の首が飛ぶかもしれません」
ルキウスはリュウイチに微笑みかけながら言った。冗談めかしているが、本当のことを言っているのは間違いない。
「ルクレティアの喜びよう、見たでしょう?」
『ええ』
「意外でしたか?」
『え?…ええ、まあ…』
「
特に女はそうですし、ルクレティアのような
もちろん、庶民なら気楽だと言うつもりはありません。この世界で真に自由に生きている者など、ごくわずかでしょう」
ルキウスが両手に包み持った茶碗を転がし、中で回る香茶を見つめながら言うと、リュウイチも自分の茶碗を回しながら覗き込んだ。そのリュウイチの様子に気付いているかどうかはわからないが、ルキウスはそのまま続けた。
「リュウイチ様の降臨がなければ、ルクレティアは従兄と結婚させられる予定だったのですよ。今年の末か来年の頭あたりにね」
リュウイチはビクッとしてルキウスの方を見た。ひょっとして自分は知らない間に他人の縁談をぶち壊したのかと思ったからだ。ルキウスはリュウイチが驚いた様子に気付いていたが、気づかぬふりをして続ける。
「ルクレティアにそれを拒否することなど出来ません。彼女もそのことは理解していましたし、降臨者スパルタカスの血を
ルキウスは再びズズーッと香茶を啜り、ハァーッと熱すぎる湯気の混ざった吐息を吐き出して続ける。
「ただ、そうした覚悟が決まったのは割と最近の事でしてね。
まあ、この世界の十歳前後のほとんどの少女がそうであるように、自分の運命から目を逸らせるように
……いや、もしかしたら、覚悟なんて決まっていなかったのかもしれませんな」
茶碗を膝の上に戻すと、ルキウスは背もたれに上体を預けて何か遠くを見るような目つきで天井を見上げた。
「とにかく、あの年頃の娘は運命に
あるいは、現実からかけ離れた理想の結婚生活を夢見たりね」
『そこに私が現れた……というわけですか……』
リュウイチのその一言にルキウスは背もたれに預けていた上体を起こし、リュウイチに微笑みかける。
「出会ったばかりの娘が、あれだけ激しく入れ込む理由はご理解いただけましたかな?」
『ま、まあ……何となくですが……』
困ったようにはにかむリュウイチにハハッと小さく笑って、ルキウスは茶碗に視線を落とし、手の中で回し始めた。
「ルクレティアにとって、リュウイチ様は運命そのものなのですよ。
少なくとも、あの娘はそう思っています」
『
リュウイチの照れ笑いにフンッと噴き出すように鼻で笑った。
「なに、現実に幻滅しない者などおりますまい。
欠陥の無い人間もおりませんし、欠陥ばかり見ていたら誰も愛せはしませんよ」
その時、ドアがノックされようやくルクレティアが戻ってきた。目はまだ腫れていたし、鼻の頭も少し赤いままで涙で化粧が少し崩れていたが、気持ちはだいぶ落ち着いたようである。
「その。ご迷惑をおかけしました」
ルクレティアはたったままそう言い詫びると、ルキウスに「お掛けなさい」と促されてヴァナディーズと共に席に着く。
「さて、これでようやく予定にあった方の本題に入れるな」
そう言いながらルキウスは残り少なくなった香茶を飲み干し、空になった茶碗を
「この間、申し上げておりましたルクレティア様にアルビオンニウムへ行っていただくという話ですが、やはり代役を立てることといたしました」
『え、そうなんですか!?』
リュウイチは驚いた。これでは何のために急いで魔導具をルクレティアに渡そうとしたんだか分からない。
だが、リュウイチ以上に驚いたのはルクレティアの方だった。それまで無意識に縮こませていた上体を跳ねるように伸びあがらせ、ルキウスに問いかける。
「あ、あの子爵閣下、お待ちください。
代役っていったい誰がアルビオンニウムへ行くのですか?」
「
「お父様が!?」
ルクレティアは信じられないという風に目を丸くし、口元を手で押さえながら息を飲むと、次の瞬間ルキウスの方へ身を乗り出した。
「無理です!
父はあの身体なんですよ!?」
「それは承知していますが、ルクレティア様はリュウイチ様の御傍に仕えられた方が良いだろうという事でね。代役が誰かいないかと御相談申し上げたところ、御自分で行くと申されたのですよ」
ルキウスが困ったように小さくはにかみながらルクレティアに説明すると、ルクレティアは力強く言った。
「大丈夫です! 私が行きます!!」
「しかし、君……いや、ルクレティア様はせっかく
ルクレティアはリュウイチの傍から離れたがらない。リュウイチもルクレティアが出かけるなら一緒に行きたいと言っていた。ここは代役を立ててルクレティアにはリュウイチの傍に留まってもらった方が、リュウイチがまた不意に出かけようとするのを防げるし、ルクレティアにとっても嬉しいはず。ルクレティウスが代役を務めるというのは関係者全員が丸く収まる妙案のはずだ。
予想とは全く逆の反応に
「いえ!リュウイチ様は私が立派に
ならば降臨者様の御期待に応えるのは
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