ルクレティアの出立

第344話 女たちの宴

統一歴九十九年五月一日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ルクレティアが魔導具マジック・アイテムを受け取りアルビオンニウムへ行くことが決まった後、ルキウスはその後の処理をするために一旦陣営本部プラエトーリウムを辞して隣接する要塞司令部プリンキピアへ赴き、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの幹部たちに計画の変更を指示するとともにティトゥス要塞カストルム・ティティに早馬を走らせた。ルクレティアの父であるルクレティウスはアルビオンニウム行きの準備を進めており、明日の昼までにはティトゥス要塞を出立してグナエウス街道を東へ向かう予定だったからである。

 ルキウスが去った陣営本部では、リュウイチから魔導具を受け取ったルクレティアが早速身に着けてその威力や機能を確認し、見守るカールや侍女や奴隷たちを驚かせていた。


 リュウイチが召喚したのに比べれば一回りも二回りも小さいがコボルトの戦士くらいはありそうなマッド・ゴーレムや『鬼火』ウィル・オ・ザ・ウィスプを召喚したりした。治癒魔法や浄化魔法、補助魔法に攻撃魔法なども試した。

 ルクレティアは常人よりも優れているとはいえゲイマーガメルに比べれば断然魔力が弱いので、魔導具の力を借りてもごく低位の魔法しか使えない。『魔力共有指輪』リング・オブ・マナ・シェアリングによってルクレティアはリュウイチからの魔力補充を受けることが出来るが、それは魔法を使用したことによって消費した分を指輪を通してリュウイチから補充できるというだけで、魔法を使用するための魔力自体は自前のものを使うしかないからだ。


 だが、人間の生命エネルギーそのものである魔力は枯渇すれば即座に死に至る。訓練を積んだ神官フラメンであっても、自前の魔力の三割を失えば意識の混濁こんだくが始まり、大変危険な状態になってしまうのだ。このため、通常は自分の意思で魔力を絞り出そうとしても、自己防衛本能による抑制により一割ほども使えないのが普通であり、それがいにしえの魔法が失われていった理由の一つともなっている。

 だが、リュウイチの魔導具を使えば、術者の自己防衛本能による抑制という制約を受けない。しかも、消費した魔力は随時『魔力共有指輪』で補充されるので、ルクレティアは自身が有する魔力のほとんどすべてを魔法行使に使えるようになっていた。

 おまけに低位魔法とはいってもこの世界ヴァーチャリアではゲイマーの消滅と共に絶えて久しい高威力の魔法ばかりである。それを試すルクレティア本人はもちろん、それを見守る人たちも興奮を隠せない様子であった。


 興奮と感動の半日はあっという間に過ぎ、日は早くも傾いて夕食ケーナの時間……今日はルキウス、アロイス、アルトリウス他、軍団レギオーの幹部たちが正餐ケーナをリュウイチと共にするために訪れていたため、夕食の会場は男女別々に分けられることとなった。

 男性陣は人数の多さもあって賑やかなのはいつものことであったが、今日はルクレティアが魔導具を貰えたお祝い気分のせいで、女性陣はたったの三人しかいないにも関わらず大いに盛り上がっている。


「良かったじゃないさぁ、ルクレティア様ぁ!?」


「ありがとうリュキスカさん」


「ホントに凄かったわ、ルクレティア。いえ、もうルクレティア様って呼ばなきゃいけないわね」


「そんな!

 ヴァナディーズ先生はまだ私の先生なんですから、これからもルクレティアと呼んでください!」


 食堂トリクリニウムに集まって以来こんな調子で大はしゃぎが始まった。今泣いたカラスがもう笑うとはこのことだろうが、彼女らにすれば無理からぬことでもある。


 ルクレティアにとっては手が届きそうだった聖女サクラという夢が永遠の彼方に消えかねないところであった。そしてヴァナディーズにとってもリュキスカにとっても、ルクレティアは直接ではないにしても一応スポンサーに近い存在である。そのルクレティアが失敗するような事になれば、彼女らの今後に大きく影響があったであろうことは間違いない。


 リュキスカはルクレティアの代わりにリュウイチの夜伽よとぎをするのが仕事だったのだ。既にリュキスカ自身が聖女と化しているので、いきなり路頭に迷うことはあり得ないが、ルクレティアが退場すれば本来代理に過ぎなかったリュキスカがルクレティアを追い出したような形にならざるを得ない。ルクレティア自身がどう思うかはともかくとして、リュキスカがスパルタカシウス家から嫉妬なり恨みなりを買うことは確実であろう。聖女になったとは言え他にのないリュキスカにとって、上級貴族パトリキを敵に回すなんてことは考えたくもない最悪の展開である。


 ヴァナディーズに至ってはもっと深刻だった。彼女はムセイオンから来た学士だが、ルクレティアの家庭教師をする代わりにアルビオンニアでの学術調査や研究の支援をしてもらう契約を、ルクレティアの父であるルクレティウス・スパルタカシウスと結んでいるのだ。ルクレティアの身に何かあったら……極端な話、ルクレティアが失意のあまり自殺でもしようものなら、彼女はアルビオンニアでの調査活動を諦めてムセイオンに帰らざるを得なくなってしまう。

 今はカールの家庭教師もやっているが、それもカールがマニウス要塞カストルム・マニに居る間の話にすぎない。リュウイチの存在を秘匿するために連れてきていないだけで、カールには本来別の家庭教師が居るのだし、リュウイチの存在や降臨の事実が世間に公表されることになれば、現在の秘匿体制は解除されるのだからヴァナディーズの家庭教師の仕事は完全になくなってしまうのだ。


 だが、それらの不安もルキウスが条件付きとはいえ魔導具を受け取ることを認めたおかげで一挙に解消した。三人とも万々歳というわけだ。緊張が一気に弛緩した分、ハメも外れようというものである。


「いやホント大したもんだよ。

 治癒魔法に浄化魔法なんて、まさに聖女様そのものじゃないさ!?」


「ええ、でも、魔法を使えばその分リュウイチ様から頂戴するわけだし、あんまり調子に乗るわけにはいかないわ。」


「いいじゃないさ!

 リュウイチ様は気風きっぷのいいお方だよ。

 それに暗黒騎士ダークナイト》様だってぇんだろ?

 ご本人が言うにゃ大魔法だってバンバン使えちまうそうじゃないさ。ルクレティア様がどんだけ魔法使ったところでケチケチ文句言ったりするもんかい」


 リュキスカが機嫌よさそうに笑うと、ヴァナディーズが割り込むように質問をあびせてくる。


「それで、実際のところどんな感じなの?

 魔力を使ったら、その指輪を通じてリュウイチ様の魔力を戴くんでしょ?」


「え!? ええ……」


 二人の視線が左手に集まっていることに気付いたルクレティアは、自分でもその指輪に視線を落とし、それからウットリするような表情としぐさで左手を胸の前に持ってくると、右手でやさしく包み目を閉じた。


「なんかぁ……魔導具を使うと、それに魔力を一気に吸われる感じがするんだけどぉ、すぐにこの指輪を中心に左手全体がポォーッて温かくなってぇ……なんだかリュウイチ様の御力が私の中に流れ込んでくるみたいなぁ…」


「「きゃ~~~~」」


 二人がはやすように黄色い声をあげ、ルクレティアは目を開けて正面に両手を伸ばしてかざすと、左右の手の薬指に嵌った二つの指輪を眺める。その瞳は潤んでロウソクの光にキラキラ輝き、目はとろけそうになっていた。


「この指輪を通じてリュウイチ様と繋がってるんだって、すごく感じるの」


 右手の薬指には《地の精霊アース・エレメンタル》を封じた『地の指輪』リング・オブ・アース、そして左手の薬指には『魔力共有指輪』が、ルクレティアの瞳にも負けず劣らず輝きを放っている。

 これでリュウイチ様と繋がっている……そう考えると自然とうれしさがこみ上げてきて胸がドキドキしてくる。

 ルクレティアはその両手をギュッと握りしめ、二つの拳を胸に抱いて目を閉じ身を捩り始める。


「ああ~ん、もう絶対離さない!!」


 その様子を決して呆れることなく、むしろ素直に喜ばしく思いながら二人は小声で話し出す。


「いやぁ、聖女様サクラもすっかり恋する乙女じゃないさ?」

「あら、そこは新妻というべきでは無くて?」

「何だろうねぇ、見てるコッチが嬉しくなってきちまうよ」

芽出度めでたい事なんですもの。それでいいじゃない!」

「そうだけどさぁ、なんていうかアタシらからするとスパルタカシア様って言えばこう、清純っていうか生真面目っていうか、雲の上の人って感じだったからさぁ。

 意外と普通に女の子なんだなって思ってさ」

「あら、彼女私と二人きりのときはこんな感じよ。幻滅した?」

「そんなことないよぉ! むしろちょっと安心した」

「このまま順調に行くといいわねぇ」

「行くに決まってるじゃないさ!

 そうじゃないとアタイ困るよ、ねぇフェリキシムスぅ~」


「そうだ!」


 一人の世界に没入していたルクレティアだったが、いつの間にか聞こえ始めていた二人の会話に大事なことを思い出す。


「何!?」

「どしたんだい、いきなり」


「リュキスカさん……その、実は……」


 ルクレティアはリュキスカに向き合い、それまでの弛緩した態度を改める…が、言いづらそうに口ごもる。その態度にヴァナディーズはルクレティアが何を言おうとしているのか察し、ヴァナディーズもまた姿勢を少し正して口元を拭った。


「何だい改まっちゃってさぁ?」


「わ、私、実は、リュウイチ様と同衾どうきんするお許しを戴いたの」

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