第248話 牙を研ぐエッケ島の狼たち

統一歴九十九年四月二十一日、昼 - エッケ島北部/アルトリウシア



 ハン支援軍アウクシリア・ハン・・・いや、ハン族のゴブリン騎兵は彼らが駆るダイアウルフの戦闘力と相まって、かつてアーカヂ平野では常勝無敗を誇っていた。静かに、速く、草原を縦横に駆け抜け、何処からともなく突然現れ、敵を翻弄ほんろうし、反撃する間もなく姿を消す。

 その無敵を誇ったゴブリン騎兵も火砲を備えた戦列歩兵とまともにぶつかることはできなかった。当時、ハン族は鉄砲は敵から奪った数十丁程度しか無かったし、火薬も消耗する交換用部品も調達できず、鉄砲を戦力化できなかったからだ。

 ある日レーマ帝国軍の数十万もの銃兵がバカみたいに長い横隊を組んでゴブリン騎兵の機動力を封じ、ハン族のキャンプを包囲した時、彼らの栄光の時代は終わりを告げた。ダイアウルフの脚力を持ってすれば、レーマ軍の矢鱈やたら長い戦列の横から回り込むくらい簡単にできたが、それをやる間に女子供のいるキャンプは無防備になってしまうため、いかなゴブリン騎兵と言えどもあまりキャンプから遠くに離れることはできない。結局彼らは、キャンプに残る女子供を守るため機動力を発揮する間もなく銃火にたおれ、あるいは女子供とともに軍門に降るしかなかったのだ。


 早期にレーマに恭順した部族は許されたが、抵抗した部族はキャンプを一つずつ潰され、最終的にムズクたちの先祖たちを中心にいくつかの強硬派だった部族がアーカヂ平野から追われることになった。レーマ帝国の庇護下に入った親レーマ派部族はレーマと共に強硬派部族をアーカヂ平野から追放したのだ。

 以後、彼らはハン支援軍アウクシリア・ハンとしてレーマの走狗そうくとなって生きることを余儀なくされている。流浪の傭兵部隊アウクシリアとなって時代は過ぎ、今ハン支援軍アウクシリア・ハンを構成している兵士らは三~四世代目になる。


 ゴブリン騎兵の中でもハン支援軍アウクシリア・ハンに編入された彼らは特別最強の最精鋭だったはずだ。だからこそ最後までレーマ帝国に抵抗を続けていたのだが、その結果が今の状態なのだから時代の流れは皮肉な物である。

 アーカヂ平野で最強を自負していたゴブリン騎兵は、今やたったの十五騎になってしまった。もちろん、アーカヂ平野にはレーマに恭順した穏健派のハン族が今でも存在し、彼らは彼らでダイアウルフを飼っていてゴブリン騎兵も居るだろう。だから、ハン支援軍アウクシリア・ハンが全滅したとしても、ハン族そのものが滅亡するわけでもないし、ダイアウルフも絶滅しないし、ゴブリン騎兵も世界からいなくなるわけではない。


「ディンクル、小僧どもは付いてきてるか?」


 ドナートが振り返って副官に尋ねると、彼は彼らが登って来た山道を振り返りながら返した。


「ダメだな、二人遅れてる。」


 四月十日の蜂起の日、あの時点でゴブリン騎兵は総数三十騎しかいなかった。三騎が伝令役として残され、残りの二十七騎で要塞城下町カナバエへの襲撃作戦を実施…結果、半数が未帰還となった。

 今も残っていて戦える騎兵はたったの十五騎…その数を少しでも回復すべく、ドナートたちは新人騎兵の育成に専念していた。ダイアウルフ自体は六十六頭残っているが、プライドの高いダイアウルフは誰彼構わず背中に乗せたりしないし、仮に乗せてくれたとしても言うことを聞いてくれるとは限らない。遊びで乗せただけで騎手として認めたわけではない…というパターンもあるからだ。


 五体満足なゴブリンの中でダイアウルフと相性の良さそうなのを選んでをさせたところ、ダイアウルフが背中に乗せたゴブリンは七人だった。そこから、こうして色々行軍やら狩りやらやらせてみて、ちゃんとゴブリンとダイアウルフが一体となって動けるかどうかを確認する。


「…あの二人はダメだな。」


 あの二頭のダイアウルフはどうやらでゴブリンを乗せてみただけのようだ。背中にゴブリンを乗せたまま、隊列から勝手に離れて穴を掘ったり木の臭いを嗅いだりしている。

 こういう場合はゴブリン側にばかり原因があるわけではなく、ダイアウルフ側にも原因があることもある。ダイアウルフにも個性があるのだ。集中力が無く、自分勝手な行動をしてしまうダイアウルフは一定数必ず存在する。そういうダイアウルフに当たってしまうと、騎手のゴブリンがどれだけ優秀でも戦力にならない。


「残りの五人も、まだわかりませんがね。」


 五人の新人が跨るダイアウルフは隊列に付いて来てはいる。だが、それが騎兵として機能している結果なのか、それともたまたまダイアウルフが隊列に付いて来ているだけなのかはまだわからない。ダイアウルフは自分の背中に乗せている騎手ではなく、部隊内にいる他のゴブリンに従っている事もあるし、他のダイアウルフに調子を合わせているだけだったりすることもあるのだ。そういう場合、部隊として行動している分には騎兵として機能しているように見えても、単独での任務は全くこなす事ができない。それを見極めるまでは安心して戦力化できない。それは今後、時間をかけて確認していくしかない。


「この先のピークで休憩しよう。

 開けた場所があったはずだ。」


 ダイアウルフがゴブリンを乗せたとしても、騎兵になれるのはその半数か、下手すると三分の一程度だ。今回、ダイアウルフに乗ることのできた七人のゴブリン兵の内、実際にゴブリン騎兵になれるのはおそらく三人程度だろう。それがハッキリするのは半年くらいかかるはずだ。


 ドナートが告げた休憩ポイントにたどり着くと、そこには既に先客がいた。ホブゴブリンが二人と、その御供のゴブリン歩兵が七人。明らかに体格の大きいホブゴブリンを見てドナートが慌ててダイアウルフから降りると、その足音に気づいて先客たちが一斉に振り向いた。


「んっ?…おお、そなたは『単騎駆け』のドナートか!?」


 『単騎駆け』とはドナートの異名だった。かつて、アルトリウシア平野で野営地がアリスイ氏族の夜襲を受けた際、戦場を単騎で駆け抜けて王族であるオクタルの息子を救い出した功績にちなんでいた。


「はっ!貴族様の邪魔をしてしまい、申し訳ありません。」


 ホブゴブリンに声をかけられ、ドナートはひざまずいて頭を垂れる。


「いや、良い。我らのここでの用事は既に済んだ。

 そなたらは訓練か?」


「はっ!行軍訓練であります。」


「丁度よい、参考までに訊きたいのだが、南の入り江からここまでダイアウルフの脚でどれほどかかる?」


「はっ…何分山道ですので半時間ほどはかかるかと…」


「ダイアウルフの脚でもか?」


「道がある程度整っておれば十分とかかりますまい。

 ですが、人が歩くのもやっとの山道で藪も多ございます。また、まだ地形を覚えておりませぬ。

 地形を覚えきってしまえば四半しはん時間程度で行けるかもしれませぬが、乗り手がよほどの名手でなければ途中で振り落とされましょう。」


「そうか、相分あいわかった。」


おそれながらお尋ねします。島のこちら側はいずれも断崖絶壁、急ぎで兵をやる必要があるのですか?」


「うむ、ディンキジク様の言いつけでな、こちら側に大砲を据えるように言われたのだ。」


「大砲を!?」


 ドナートは思わず驚きの声を上げた。大砲は大破たいは着底ちゃくてい中の『バランベル』号から降ろされているが、まだ南の入り江に陸揚りくあげされたままになっているはずだ。ここまで人が歩くのがやっとという山道があるだけで、砲車ほうしゃを転がしてくることなどまずできない。分解してかついで持ってくるしかないだろう。それは大変な苦労なはずだ。

 そして何より、敵が攻めてくるとしたら南側だ。エッケ島は南側以外すべて断崖絶壁に囲まれているから、軍勢が上陸できる場所は南にしかない。なら、大砲は南に集中した方が良いはずだ。

 ホブゴブリンは上機嫌で説明を始めた。


「この下に広がっているのはトゥーレ水道。あそこに見えるのがトゥーレ岬だ。

 ここに大砲を据えれば、アルトリウシア湾に出入りする船をすべて狙い撃ちにできよう?」


「水道を封鎖するのでありますか?」


「イザという時は・・・な。

 この島に軍勢を上陸させようと思ったらアルトリウシア湾から船で乗り入れるしかない。だが、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは現在戦力が乏しい。この島に攻め入るとすれば援軍を頼むはずだ。

 その援軍はどこから来る?」


「なるほど、さすがにございます。このドナート、感服かんぷくつかまつりました。」


「ディンキジク様の御考えだ。俺のじゃないよ。

 まあ、ここに兵を常駐させておけば、アルトリウシアへ出入りするすべての船を見ることができる。奴らが何かたくらんでも、だいたいのことは事前に察知することができるだろう。」


「しかし、ここに来るには歩きでは三時間はかかりましょう?」


 ここまでの山道はダイアウルフの脚でさえ一時間かかっている。人が歩いたのではかなりな時間がかかるはずだった。ホブゴブリンは苦笑した。


「いや、もっとかかったな。

 今日は朝から出てさっき着いたところだから。

 ここまで大砲を運び、据え付けることも考えると気が重いよ。

 そなたの言う通り、道も整えねばならんだろうしな。」


「お勤めとはいえご苦労様です。」


「いや、良い。

 だが、ここは北に面しているから日当たりが良い。

 案外、ここに詰める兵士は一番居心地がいいかもしれんぞ?」


 そう言ってホブゴブリンは海を見渡した。そして東の海に一隻の軍船を発見し、表情を曇らせた。


「あれは…セーヘイムの軍船ロングシップか…」


 その一言に全員が東を見る。

 そこには確かにあの日見た黒い船体の軍船ロングシップによく似た船が航行していた。

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