第248話 牙を研ぐエッケ島の狼たち
統一歴九十九年四月二十一日、昼 - エッケ島北部/アルトリウシア
その無敵を誇ったゴブリン騎兵も火砲を備えた戦列歩兵とまともにぶつかることはできなかった。当時、ハン族は鉄砲は敵から奪った数十丁程度しか無かったし、火薬も消耗する交換用部品も調達できず、鉄砲を戦力化できなかったからだ。
ある日レーマ帝国軍の数十万もの銃兵がバカみたいに長い横隊を組んでゴブリン騎兵の機動力を封じ、ハン族のキャンプを包囲した時、彼らの栄光の時代は終わりを告げた。ダイアウルフの脚力を持ってすれば、レーマ軍の
早期にレーマに恭順した部族は許されたが、抵抗した部族はキャンプを一つずつ潰され、最終的にムズクたちの先祖たちを中心にいくつかの強硬派だった部族がアーカヂ平野から追われることになった。レーマ帝国の庇護下に入った親レーマ派部族はレーマと共に強硬派部族をアーカヂ平野から追放したのだ。
以後、彼らは
ゴブリン騎兵の中でも
アーカヂ平野で最強を自負していたゴブリン騎兵は、今やたったの十五騎になってしまった。もちろん、アーカヂ平野にはレーマに恭順した穏健派のハン族が今でも存在し、彼らは彼らでダイアウルフを飼っていてゴブリン騎兵も居るだろう。だから、
「ディンクル、小僧どもは付いてきてるか?」
ドナートが振り返って副官に尋ねると、彼は彼らが登って来た山道を振り返りながら返した。
「ダメだな、二人遅れてる。」
四月十日の蜂起の日、あの時点でゴブリン騎兵は総数三十騎しかいなかった。三騎が伝令役として残され、残りの二十七騎で
今も残っていて戦える騎兵はたったの十五騎…その数を少しでも回復すべく、ドナートたちは新人騎兵の育成に専念していた。ダイアウルフ自体は六十六頭残っているが、プライドの高いダイアウルフは誰彼構わず背中に乗せたりしないし、仮に乗せてくれたとしても言うことを聞いてくれるとは限らない。遊びで乗せただけで騎手として認めたわけではない…というパターンもあるからだ。
五体満足なゴブリンの中でダイアウルフと相性の良さそうなのを選んでお見合いをさせたところ、ダイアウルフが背中に乗せたゴブリンは七人だった。そこから、こうして色々行軍やら狩りやらやらせてみて、ちゃんとゴブリンとダイアウルフが一体となって動けるかどうかを確認する。
「…あの二人はダメだな。」
あの二頭のダイアウルフはどうやら遊びでゴブリンを乗せてみただけのようだ。背中にゴブリンを乗せたまま、隊列から勝手に離れて穴を掘ったり木の臭いを嗅いだりしている。
こういう場合はゴブリン側にばかり原因があるわけではなく、ダイアウルフ側にも原因があることもある。ダイアウルフにも個性があるのだ。集中力が無く、自分勝手な行動をしてしまうダイアウルフは一定数必ず存在する。そういうダイアウルフに当たってしまうと、騎手のゴブリンがどれだけ優秀でも戦力にならない。
「残りの五人も、まだわかりませんがね。」
五人の新人が跨るダイアウルフは隊列に付いて来てはいる。だが、それが騎兵として機能している結果なのか、それともたまたまダイアウルフが隊列に付いて来ているだけなのかはまだわからない。ダイアウルフは自分の背中に乗せている騎手ではなく、部隊内にいる他のゴブリンに従っている事もあるし、他のダイアウルフに調子を合わせているだけだったりすることもあるのだ。そういう場合、部隊として行動している分には騎兵として機能しているように見えても、単独での任務は全くこなす事ができない。それを見極めるまでは安心して戦力化できない。それは今後、時間をかけて確認していくしかない。
「この先のピークで休憩しよう。
開けた場所があったはずだ。」
ダイアウルフがゴブリンを乗せたとしても、騎兵になれるのはその半数か、下手すると三分の一程度だ。今回、ダイアウルフに乗ることのできた七人のゴブリン兵の内、実際にゴブリン騎兵になれるのはおそらく三人程度だろう。それがハッキリするのは半年くらいかかるはずだ。
ドナートが告げた休憩ポイントにたどり着くと、そこには既に先客がいた。ホブゴブリンが二人と、その御供のゴブリン歩兵が七人。明らかに体格の大きいホブゴブリンを見てドナートが慌ててダイアウルフから降りると、その足音に気づいて先客たちが一斉に振り向いた。
「んっ?…おお、そなたは『単騎駆け』のドナートか!?」
『単騎駆け』とはドナートの異名だった。かつて、アルトリウシア平野で野営地がアリスイ氏族の夜襲を受けた際、戦場を単騎で駆け抜けて王族であるオクタルの息子を救い出した功績にちなんでいた。
「はっ!貴族様の邪魔をしてしまい、申し訳ありません。」
ホブゴブリンに声をかけられ、ドナートは
「いや、良い。我らのここでの用事は既に済んだ。
そなたらは訓練か?」
「はっ!行軍訓練であります。」
「丁度よい、参考までに訊きたいのだが、南の入り江からここまでダイアウルフの脚でどれほどかかる?」
「はっ…何分山道ですので半時間ほどはかかるかと…」
「ダイアウルフの脚でもか?」
「道がある程度整っておれば十分とかかりますまい。
ですが、人が歩くのもやっとの山道で藪も多ございます。また、まだ地形を覚えておりませぬ。
地形を覚えきってしまえば
「そうか、
「
「うむ、ディンキジク様の言いつけでな、こちら側に大砲を据えるように言われたのだ。」
「大砲を!?」
ドナートは思わず驚きの声を上げた。大砲は
そして何より、敵が攻めてくるとしたら南側だ。エッケ島は南側以外すべて断崖絶壁に囲まれているから、軍勢が上陸できる場所は南にしかない。なら、大砲は南に集中した方が良いはずだ。
ホブゴブリンは上機嫌で説明を始めた。
「この下に広がっているのはトゥーレ水道。あそこに見えるのがトゥーレ岬だ。
ここに大砲を据えれば、アルトリウシア湾に出入りする船をすべて狙い撃ちにできよう?」
「水道を封鎖するのでありますか?」
「イザという時は・・・な。
この島に軍勢を上陸させようと思ったらアルトリウシア湾から船で乗り入れるしかない。だが、
その援軍はどこから来る?」
「なるほど、さすがにございます。このドナート、
「ディンキジク様の御考えだ。俺のじゃないよ。
まあ、ここに兵を常駐させておけば、アルトリウシアへ出入りするすべての船を見ることができる。奴らが何か
「しかし、ここに来るには歩きでは三時間はかかりましょう?」
ここまでの山道はダイアウルフの脚でさえ一時間かかっている。人が歩いたのではかなりな時間がかかるはずだった。ホブゴブリンは苦笑した。
「いや、もっとかかったな。
今日は朝から出てさっき着いたところだから。
ここまで大砲を運び、据え付けることも考えると気が重いよ。
そなたの言う通り、道も整えねばならんだろうしな。」
「お勤めとはいえご苦労様です。」
「いや、良い。
だが、ここは北に面しているから日当たりが良い。
案外、ここに詰める兵士は一番居心地がいいかもしれんぞ?」
そう言ってホブゴブリンは海を見渡した。そして東の海に一隻の軍船を発見し、表情を曇らせた。
「あれは…セーヘイムの
その一言に全員が東を見る。
そこには確かにあの日見た黒い船体の
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