第247話 新しい立場

統一歴九十九年四月二十日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ルクレティアは結局のところ、リュキスカの調査をするとも諦めるとも決断することができなかった。リュウイチの秘匿を優先すべきではあるが、かといってリュキスカと言う人物の背景を調べないわけにはいかない。実際の人柄については今後付き合いを深めていく中で色々知っていく必要はそれはそれであるのだが、リュキスカをリュウイチの傍に置く以上は彼女から情報が漏洩する危険性も確認しておかねばならない。

 たとえば彼女の親戚などだ。家族はどうやら赤ん坊一人きりのようだが、どこかに親戚がいないとも限らない。その親戚が突然いなくなったリュキスカを探そうとするかもしれないし、リュキスカの方がその親戚などに会いたいとか手紙を出したいとか言い出すかもしれない。その時になってからリュキスカとの関係を調査しなおしたのでは、取るべき必要な対応が取れなくなるかもしれないからだ。

 アルトリウスはアルトリウスで調べるような事を言っていたが、ルクレティアはルクレティアで調べられる限りのことは調べておきたい。


 結果、インニェルはなるべくリュウイチが関係する内容の噂が立たないようにリュキスカのことを調べるという、なんともハッキリしない依頼を受けることになってしまった。


「まあ、どうせそうなるとは思ってましたけどね。」


 インニェルは達観したように半ばあきれ顔でそう言ったものだ。ルクレティアは自分がひどく都合のいい事を言っているような気がして申し訳ない気持ちになってしまう。そして、その申し訳ない気持ちに付けこむように、インニェルとメーリの質問責めが始まったのだった。


 それで、今リュウイチ様との関係はどうなってんの?まあ、聖女候補ならよかったじゃない!アナタ、リュウイチ様の気を引くために何かやってるの?それじゃあダメよぉ、もっとアピールしないと…まあそうなの!?それは違うのよ、男の人っていうのはね…そうなのよ、ウチの亭主もね…バカねぇそんなことないわよ、アナタの場合はね…何言ってるのぉ、男の人ってそういうとこは見てるものなのよぉ?…バカね、それがチャンスなんじゃない!


 ルクレティアが解放されたのは昼を過ぎてようやくだった。イェルナクたちの出港を見届けたアルトリウスとヘルマンニが寄越した迎えが来た時、ルクレティアは胸を撫で下ろし、インニェルとメーリに別れを告げることができた。

 それからアルトリウスの乗る子爵家の馬車に便乗しティトゥス要塞カストルム・ティティへ戻り、サウマンディアから来るマルクスとの会談には参加しなくてよいという許しを得てクィントゥスの部下たちに守られながら馬車でマニウス要塞カストルム・マニへ向かった。


 ルクレティアがリュウイチの待つ陣営本部プラエトーリウムへ到着したのは、日もだいぶ傾いた第十一時ホーラ・ウンデシマ(午後四時ごろ)を過ぎた頃だった。気の早い連中ならもう夕食ケーナを始めてる時間である。

 今日予定されているリュウイチとルキウスの晩餐ケーナには間に合ったが、今日はまだ風呂に入っていない。入る暇がなかったのだ。本当なら一旦お風呂バルネウムで身を清め、身だしなみを整えてからリュウイチの前へ出たいが、晩餐ケーナの時間を考えるとそんな暇はない。仕方が無いから急いで侍女たちに浴室バルネウムから寝室クビクルムへお湯を運ばせ、着替えながらお湯で身体を拭く。その間に侍女が晩餐ケーナの詳細な予定を確認しに行ったところ…


「ええ、私も!?」


 ルクレティアの声は驚きのあまりひっくり返ってしまった。


「はい、帰ってきているのならルクレティア様もご一緒にと、リュウイチ様とルキウス様が申されておられるようです。」


 侍女の報告にルクレティアは急に慌てだした。レーマでは家族だけの食事は別として、基本的に食事は男女別々に摂る。女性が晩餐ケーナを男性と共にするとしたら、ホスト自身が女性の場合か、父や男兄弟または夫が招待されていてそれに付き添う場合に限られる。

 本来なら遠慮して断らねばならない招待だ。だが、ホストがリュウイチとなれば断わるわけにはいかない。いや、こういう場合、この招待にはどういう意味を求め解釈すべきなのだろうか?招待を受けるとしても未婚の女性が父親の許しも無く男性の招待を受けて良いのか?受けた場合その後リュウイチや自分は世間からどう評価されるだろうか?


「どうしましょう!?

 てっきり晩餐ケーナの給仕をするのつもりだったのに…クロエリア、香水変えた方がいいかしら!?

 そうだ!晩餐服ケナトリアを着ないといけないのではなくて!?」


「お嬢様、リュウイチ様は臥台レクトゥスを好まれませんのでおそらくストラで大丈夫です。誰か、念のため子爵ルキウス閣下は御召し物をどうされるか訊いてきて!

 それよりもお嬢様、御髪おぐしを先に整えてしまいましょう。」


「ヤダ、乱れてる!?」


「いえ、髪型そのものは…ですが、これから夜ですから髪飾りがサンゴのままでは目立ちませんわ。それより早く胸帯ストローピウムを巻いてしまいなさいませ!」


「ねえ、胸帯ストローピウムに何か入れて膨らませろって言われたんだけど…」


 レーマの女性は乳房を保護するためにストローピウムと呼ばれる胸帯(サラシのようなもの)を巻くが、ルクレティアはインニェルとメーリから聞いたアドバイスの一つが頭に残っていて手間取っていた。胸帯ストローピウムに何か詰め物をして乳房を大きく見せるのは、《レアル》古代ローマから変わることのない女性が自分の魅力を引き上げるための常套手段の一つである。


「それなら…ああ、お前、そこの布巾スダリオを取って!

 はい、お嬢様これをこう…折りたたんで…はい、これを御入れなさいまし」


「こんなに入れるの!?」


「これくらい入れなきゃ目立ちませんよ!」


「入れ過ぎよ!この半分でいいわ!!」


「いいえっ!胸帯ストローピウムをもう少しきつめに締めて…ほらイイ感じになった!」


「締め過ぎよ!胸が上にはみ出て盛り上がってるじゃない!?」


「これで上からストラを着ればちょうどいいんですよ、ホラ!!」


 彼女たちの戦場は約四十分ほど続いた。一昨日、早く帰ると言いながら二日も帰れなかった分、今日のルクレティアは少しでも印象を良くしようと必死だった。

 もちろん、この喧騒は外には漏らさない。知られてはいけない。一歩部屋を出たら優雅に上品に振舞うのが貴族パトリキである。ルクレティアは朝もやけぶる湖上の白鳥のように優美に食堂トリクリニウムに現れた。


『おかえりなさい、大変だったみたいですね。』


「いえ、二日もご不便をおかけして申し訳ありませんでした。」


 レーマ風食堂トリクリニウムと言えば真ん中に食卓メンサをコの字型に囲むように三つの臥台レクトゥスを置き、その上に寝そべって食べるのが伝統的なスタイルだが、リュウイチがあまり寝そべっての食事を好まないため、ここでは椅子に腰かけて食べるスタイルに変えてある。

 用意された食卓メンサは無理すれば八人くらいは座れそうな少し大きめの円卓で、今日は等間隔に椅子が六脚用意されていた。円卓が良いと言ったのはリュウイチで、上座とか下座とかの席順が曖昧になると考えたためだったが、残念ながらリュウイチの考えは甘かったと言わざるを得ない。


 コの字型に並んだ臥台レクトゥスに横たわって食事をするレーマではもちろん立場によって座るべき(寝そべるべき?)席が決まっている。向かって右手、奥手、左手の三方に臥台レクトゥスがあるとするなら、左手がホスト一家の席、奥手がメインゲストの席、右手がサブゲストの席となる。左手最奥がホストの席でその家族がホストの右手に並び、奥手の向かって最左のホストに一番近い席がメインゲストの席になる。他、メインゲストから時計回りに離れていくほど立場が低いゲストになっていく。

 当然、この並び順は円卓に椅子で座ったとしても同じでホストの右隣りはホストの家族(通常は妻)の席であり、左隣はメインゲストの席になる。ここでルクレティアが座るべき椅子はリュウイチの右隣りのはず。だが、椅子が六脚あって今部屋にいるのはリュウイチ、ルキウス、ルクレティア、ヴァナディーズ、そして軍団筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのラーウスの五人だ。


 え、あと一人って誰!?


『リュキスカはまだ授乳が終わってないみたいでね。先に食べてていいって言ってたから、席につこうか?』


 リュウイチがまず座り、その右を一つ飛ばしてヴァナディーズが座る。それは良い、だがリュウイチの右隣りを一つ開けてルキウスが座り、リュウイチの対面にラーウスが座った。


「???」


 常識的に考えてリュウイチから左はルキウス、ラーウス、リュキスカになるはずだ。なのにメインゲスト席であるはずの左隣を一つ開けてルキウスが座るということはメインゲストがルキウスではないことになる。


 メインゲストはリュキスカかルクレティア!?


 どちらだとしても不可解だ。いや、もしかしたら新しい聖女であるリュキスカを歓迎するという意味かもしれないと思い、ルクレティアがリュウイチの右隣に行こうとしたら、今日の給仕長を務めるネロに何故か左隣に案内されてしまった。


 え、間違ってない!?


 だがリュウイチもルキウスもラーウスもヴァナディーズもニコニコしながらルクレティアを見ている。


 てことは、リュウイチ様の右隣りがリュキスカ…いや、それは仕方ないことかもしれないけど…待って、私がメインゲストってどういうこと!?


 混乱しながらも席に着くと、リュウイチが口を開いた。


『リュキスカがまだだから先にをしちゃいますか?』


「ええ、いいでしょう。」


 ルクレティアを挟んでリュウイチとルキウスが話を始めたかと思いきや、リュウイチとルキウスは二人でルクレティアに話しかけ始めた。


『実はルクレティアに相談というか頼みたいことがあるんだ。

 ただ、その前に君の意見を聞きたい。』


「え、あ、はい?」


「ルクレティア、ルキウスは先ほどリュウイチ様から思いもかけない面白い提案を受けたのだ。

 君が賛同してくれるなら心強いし、ぜひ協力して欲しくてね。」


 どうやらルクレティア以外の全員が既に結託しているようだった。

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