第246話 スケープ・ゴート

統一歴九十九年四月二十日、夕 - エッケ島/アルトリウシア



「それでは、明日か明後日以降は毎日、貨物船クナールが五百二十三人分の食料を運んでくることになったのだな?」


 エッケ島の上陸したハン支援軍アウクシリア・ハンの中枢、王宮の玉座に腰を下ろしたムズクは満足そうに頷いた。彼の左右にはハン族を支えて来た二人の参謀ディンキジクとイェルナクが控えている。


「しかし、先ほども申しましたようにさらってきたブッカどもは返さねばなりません。返せばその分の食料は減らされましょう。」


「飼料の方はどうなっておるのだ?」


 イェルナクが残念そうに報告すると、ディンキジクが質問をしてきた。彼の元には六十頭を超えるダイアウルフがいたし、他にもヤギや羊などの家畜も連れて来てある。レーマ帝国から脱出後の移住先で生計を立てるための家畜だった。すべてではないが、半分ちかくは蜂起した際に奪ってきたものだった。


「ひとまず今回は豚を生きたまま六頭だ。ヤギや羊用のは今回は無理だった…船に積み切れなかったものでな…島の草ではやはり足らなそうなのか?」


 連れて来たヤギや羊たちは既にエッケ島内で放牧を始めていた。冬越し用の飼料の用意は『バランベル』号と共に海水に浸かってしまっている。一応、回収できる限りは回収したが、おそらく冬を越すには足らないであろうことが予想されていた。


「ヤギや羊たちだけなら島の草木で何とかなるかもしれん。

 だが豚も放牧するとなると足らなくなるかもしれんな。」


 ディンキジクが難しい顔をして首を捻りながらそう言うと、イェルナクは驚いて訊き返す。


「待て、豚はダイアウルフに食わせるんだから、放牧なんぞする必要ないだろう?」


「ふっふっふ、実は貴公イェルナクが出かけた後で獲物があったのだ。」


 笑みを浮かべるディンキジクの物言いにイェルナクはけげんな表情を浮かべる。


「獲物だと?」


「おう、クジラだ!

 島の南の浅瀬にクジラが打ちあがっておってな…それを気を利かせた兵どもが回収したのだ。半分はもう食ってしまったが、残りの半分は干し肉にしているところだ。

 豚が生きたままならしばらくクジラ肉でやりすごし、豚はこのまま放牧で増やして食料事情を改善…なんだ、どうした?」


 ディンキジクが能天気に明るい未来を語るのを聞きながらイェルナクは「あちゃあ」と額に手を当て、ディンキジクは気づいて話を中断した。イェルナクは渋面を見せながらディンキジクに問いただす。


「そのクジラを回収したのは一昨日だな?」


「おう、知っておったか?」


「うむ、セーヘイムで騒ぎになっておった。

 どうやらブッカの漁師を一匹殺したらしいな?」


「ん?そんな報告は受け取らんな…銃で脅して追い払ったとは聞いたが…」


「撃ち殺しておるらしいぞ、ディンキジク。

 死因が鉄砲傷だから事故なんかだとはごまかせん。

 関わったのは何人だ?」


「さあな、兵士だけで三~四十人と聞いておる、それに船を操るブッカどもが二十人ほどだったか?」


「まずいことをしてくれたな…」


 イェルナクは両手で顔をおおいうつむいてしまった。


「どうかしたのか?」


「犯人の引き渡しを要求されておるのだ。さらったブッカたちとともに、殺人犯として引き渡さねばならん。」


「「なんだと!?」」


 イェルナクが顔を上げて言うと、ディンキジクもムズクも驚きの声を上げた。


「閣下、こればっかりはどうにもなりません。

 漁師が死んだのは事実、そしてその死因が鉄砲傷ではハン族とは関係ない事故であると主張することはできんでしょう。ブッカの漁師どもは鉄砲なんぞもっておりませんからな。

 まして、こちら側のブッカの船乗りどもが見ていたとなると、隠しきれはしません。あいつらは直ぐにでも返さねばなりませんから、我々がいくら知らんと言っても帰還した水兵どもが証言するでしょう。」


 イェルナクの説明を聞くディンキジクとムズクの顔色が青くなる。

 今、ハン支援軍アウクシリア・ハンの兵力は二百五十人を下回っている。エッケ島の人口五百二十三人のうち二百三十三人がさらってきたブッカたちであり、ハン族の女子供など非戦闘員が四十人ほどだ。他にレーマへ軍使レガティオー・ミリタリスとして送り込んだのがアーディン以下四名。その他成人男子をムズクやイェルナクを含めても兵数は二百四十五名で、そこには先の蜂起の際に重軽症を負った負傷兵も含まれている。つまり実際の兵数は二百名と少々しかいないのだ。

 その二百名から三~四十名も犯罪者として引き渡すことになれば、戦力の二割近くを戦うことなく失うことになってしまう。


「待て、ダメだダメだ!

 そんなことは認められんぞ!!」


「だが、そのゴブリンどもは明らかにレーマの法を犯しておる。

 黙っておればバレんとでも思ったかも知れんが、今更隠しようがないぞ。」


「今回の件も、そのメルクリウス団とやらのせいにはできんのか?」


「無理を言うな、ディンキジク!

 たしかにメルクリウス団は便利そうな手札だが、使い過ぎればボロが出る。

 蜂起した事実を糊塗ことする以外のことには使うわけにはいかん!」


 ハン支援軍アウクシリア・ハンにはもはやレーマと戦うだけの戦力はない。離脱する手段すら残されていない。レーマに従って活路を見出すほかない以上、レーマの法を無視することなどできなかった。

 ディンキジクとイェルナクの会話を聞きながら頭を抱えていたムズクがおもむろに口を開く。


「イェルナクよ、仮にその兵どもを殺人者として引き渡したとして、どう扱われようか?」


「偉大なるムズク閣下、お答えします。

 おそらく死罪、良くても奴隷に落とされましょう。

 もはや、ハン支援軍アウクシリア・ハンの戦列に再び加わることはありますまい。」


 イェルナクの答えはムズクの心痛を取り除くものではなかった。ムズクは頭を抱え込んでしまった。


「わずか数日分の肉と脂のために・・・」


 嘆くムズクにディンキジクが何か思いついたように明るく呼びかける。


「いや閣下ムズク、お待ちください。

 イェルナクよ、引き渡すのは一人ではならんのか?」


「何を言うのだディンキジク!?

 遺体の銃創は三発分以上はあったぞ?

 被弾した怪我人も五人くらいいたはずだ。」


「いや、一人が独走して勝手に部隊を動かし、他の兵たちは軍命と勘違いして従っただけということにする。

 それで責任者一人の首を差し出すのだ。」

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