第245話 追跡艦隊の帰還

統一歴九十九年四月二十日、夕 - セーヘイム/アルトリウシア



 北寄りの西風という、九鬼群島からアルトリウシアへ向かうには一番不向きな天候を考え、朝食も交代で船上で摂るつもりで夜明けの少し前には九鬼群島を発ったのが功を奏し、当初は日暮れ前にトゥーレスタッドまでたどり着ければ御の字くらいに考えていたにもかかわらず、サムエルたち追跡艦隊はトゥーレスタッドどころかセーヘイムまでたどり着くことができていた。


 アルビオーネの真珠のおかげだろうか?今日は潮に恵まれた。


 《水の精霊ウォーター・エレメンタル》の加護に感謝しながら、サムエルは胸にぶら下げた巨大な真珠の入った袋を優しく握りしめるように手でさすり、船首楼せんしゅろうの上からセーヘイムの港を見渡した。夕日で赤く染まったセーヘイムはいつもと変わらないように見える。

 海辺には『ナグルファル』号と『グリームニル』号の黒い船影に気づいた人たちが、乗員たちの家族を呼びに行ったり出迎えようと走り回り、船着き場にはドヤドヤと人が集まりつつあった。気の早い者は松明を持ち出し、かがり火を付けようとしている様子も見受けられた。


 サムエルたちの航海は結局空振りに終わった。九鬼群島は無人のままで、漁船や交易船が立ち寄った痕跡は残っていたが、数百人のゴブリンが立ち寄ったような形跡はなかった。そのまま南蛮まで進み、アリスイ氏にルキウスからの親書を手渡して叛乱軍の捜索への協力を要請したが、ハン支援軍アウクシリア・ハンは南には来ていないらしく彼らはハン族を見てないと言われた。

 まあ、たしかにかつて夜襲を受けて一夜で半数以上を殺されるという被害にあったハン族がアリスイ氏の領域に踏み込むとは考えづらい。アリスイ氏にハン族を匿う理由も無いし、嘘はついていないだろう。


 サムエルたちはアリスイ氏からハン族捜索および討伐への協力を約束してもらえた上、その日は熱烈な歓迎を受けた。昼から酒が振舞われ、飲めや歌えの大宴会が、日が沈み夜が更けるまで開かれた。

 翌日、二日酔いに苦しみながら出港するサムエルたちは抱えきれないほどの贈り物やら手紙やらが預けられた。それらは『ナグルファル』号と『グリームニル』号の船倉を埋め尽くしてなお足らず、一部は後甲板上のテントの中や前後の鐘楼しょうろう下の砲室にまで積み重ねられている。



「ハン族を見たか!?見つけたか!?」

「戦にならんかったか!?」


 接舷せつげんのため桟橋に船を寄せると早速おかから声がかけられた。桟橋に集まったせっかちな男たちがはやすように口々に叫んでくる。


「いや、空振りだった。ゴブリンのゴの字も見なかったよ!」


 船首楼からサムエルのすぐ脇にいたパーヴァリが手でメガホンを作って大声で返事する。


「そんな筈ぁねぇ!」

「すれ違ったろ!?」

「ゴブリンどもの貨物船クナールを見んかったか!?」


「何だってぇ!?何を言ってる!?」


 話が見えず、パーヴァリがそう聞き返すと桟橋の上の連中はガックリするやら呆れるやら笑いだすやらと様々な反応を示し、中には腹を抱えて笑い出す奴までいた。


「奴らぁ来たんだよぉ!軍使レガティオー・ミリタリスとか言ってよぉ!」


「何だと!?」


 サムエルたちから顔色が消える。


「そいつら今日の昼頃帰ってったんだ!分捕ぶんどった貨物船クナールでなぁ」

「それも食いもん積めるだけ積んでだ!」


「お前ら無駄口利いてねぇで手ぇ動かせ!!」


 岸の方からヨンネが歩いてきて桟橋の上で騒いでいる連中を叱りつける。


「パーヴァリ、すまんが後頼んでいいか!?」


「あ?ああ、親父ヘルマンニさんトコ行くのか?

 船着けて荷物揚げるだけだから大丈夫だ。」


「それでいい。兵隊レギオナリウスはそれぞれの百人隊長ケントゥリオに任せときゃいいから!」


「わかった!」


 パーヴァリが返事をする前にサムエルは船首楼から駆け下り、まだ距離があったにもかかわらず船べりから桟橋へジャンプした。


「ヨンネ!!」


「サムエル!おかえり!!」


 隻腕のブッカは駆け寄ってくる従兄弟を見て笑顔で出迎える。


「さっきアイツらが言ってたのは本当か!?」


「ああ、奴らエッケ島に隠れていたらしい。」


 ヨンネは笑顔を曇らせ、少し残念そうに答えた。


「エッケ島!?…くそっ、なんてこった!!」


 まさかの目と鼻の先…そんなところに潜んでいたとは意外ではあるが、気づけなかった自分があまりにも間抜けに思えて怒りがこみあげて来る。自分の頭に拳を打ち付けて悔しがるサムエルにヨンネは説明をつづけた。


「一昨日、イェルナクってヤツが奪った貨物船クナールの一隻に乗って来やがってな。

 昨日と今日、アルトリウスが交渉して、そんで話がまとまったらしくて。食料を船に積めるだけ積んで昼頃に帰ってったんだ。」


「話が付いただぁ?!」


「いや、ああ、詳しいこたぁ俺も知らん。

 だが、昨日の午前にアルトリウスが聞いて持ち帰ったハン族の要求はだいたい飲んじまったみたいな様子だったな。昨日のうちにはハン族に渡す食料を用意するように言われたし…」


「タダで食いもんやったのかよ!?

 人質は!?」


「人質の解放はまだだ…それどころか誰がさらわれたすらまだ定かじゃねぇ。」


親父ヘルマンニは!?」


「ティトゥス要塞へ行ったぜ?

 アルトリウスが帰る時に一緒に付いて行ったさ。

 たぶん、侯爵夫人に報告してるんだろうが…おい、どこへ行く!?」


「ティトゥス要塞だ!」


 サムエルは自分の家へ向かって歩き出した。家に帰れば馬が残っているはずだ。


「おい、待てよ!船置いてくのか!?

 どうせ、もうすぐ帰ってくるぜ!?」


「大人しく待ってろってのか!?」


「どうせ上はもう方針決めてんだ、今から行ったってどうせ途中ですれ違うさ。

 それとも何か急ぎで侯爵夫人マルキオニッサに報告せにゃなんねぇことでもあんのか!?」


 サムエルは立ち止まった。たしかに急いで報告しなきゃいけない事はない。なのにティトゥス要塞へ乗り込んでいったところで意味はないし、侯爵家や子爵家に迷惑をかけるだけで終わってしまう。郷士ドゥーチェであり艦隊司令プラエフェクトゥス・クラッススでもあるヘルマンニの跡取り息子がそんな真似をするわけにはいかない。

 立ち止まったサムエルに背後から近づいたヨンネが慰めるように話しかける。


「サムエル、お前ぇにゃお前ぇの仕事があんだろ?

 さあ指示をくれよ。俺ぁ兵隊さんレギオナリウスたちが今晩泊まる場所を用意してやんなきゃなんねぇ、そうだろ?」

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