第244話 イェルナクの凱旋

統一歴九十九年四月二十日、夕 - エッケ島/アルトリウシア



 夕日を浴びてエッケ島へ帰還したイェルナクは万雷ばんらい歓呼かんこを持って迎え入れられた。貨物船クナール接舷せつげん作業が終わり切らないうちからイェルナクが桟橋へ降り立つと、早速迎えに来ていた部下たちが即席の座輿ざよにイェルナクを乗せて、ムズクたちの待つ王宮へと運ぶ。それを見送った後、ゴブリン兵たちは船いっぱいに積まれた食料を降ろし始めた。


 エッケ島の南斜面中腹よりやや高い位置にある小ピークにある海賊の根城跡…それが今のハン族の王宮である。

 長さ三ピルム(約五メートル半)ほどの丸太を正三角形を描くように交叉させたものを約二ピルム(約三・七メートル)間隔で並べ、その上に梁を渡して基本構造とした竪穴式住居のようなホールであり、床面の幅は奥行きは約十七ピルム(約三十二メートル弱)に達する。床面は幅はざっと五ピルム弱(約九メートル)、奥行きは約十七ピルム(約三十一メートル)と広いが、窓は屋根中央の頂点付近に排煙用の小窓があるのみであるため、中は日中でも暗く常に火を焚かねばならない。

 屋根板の上には全面に渡って土を被せて草が植えられているため、断熱性能は抜群だ。


 何故、海賊たちが海から離れた山の上にこれほど大きなホールを作ったのかは今となっては分からない。ただ、今の住人であるハン族にとっては内陸に位置し、見晴らしの良い場所にある巨大なホールは、王宮にするにはとても相応しいように思えた。


 ホール内に床はなく、地面がむき出しになっているが、最奥のエクセドラ(半円形のホール)となっている部分だけは一段高くなって木の床が設えられており、その半径二ピルム半(約四メートル半)の半円形のエリアが族長エラクの空間だった。絨毯を吊るして仕切ったホール側が玉座の間であり、それより奥がムズクとその家族の生活空間である。そしてそれ以外の貴族やその家族たちはホールの両脇に雑魚寝同然で生活をしている。


 プライベートも何もない、薄暗くみすぼらしい王宮での生活に、希望も見いだせず憔悴しょうすいしきっていたハン族貴族たちが、家ごとに小さな焚火をかこんでジッとたたずんでいる。


「イェルナク様の御帰りーっ!イェルナク様がお戻りでございます!!」


 入口で見張りに立っていた若いホブゴブリンが喜色に富んだ声で声高に報告すると、ホールのいたるところから喜びの声が沸き起こり、貴族たちが立ち上がって入り口に注目する。

 そこへイェルナクが姿を現すと皆がひざまずき、救いの主でも迎え入れるかのようにあがめ始めた。いや、彼らにとってイェルナクはまさしく救いの主だった。


「おお、イェルナク様!」

「我らが希望」

「ハン族の叡智えいちよ」


 ハン支援軍アウクシリア・ハンの食料事情は危機的状況にあった。

 ハン族は蜂起後、アルトリウシアを脱出してから最初の冬までに永住の地を見つけ、次の秋までにそこで食料を自給できる体制を築く…それまで食つなぐ分として一年分の食料を用意し、更にいざという時に買い足せるよう大量の銀貨や銅貨も用意してあった。だが『バランベル』号がアルトリウシア湾で座礁した結果、船体の板のコーキング(隙間を塞ぐ水密処理のこと)が傷んで浸水が発生…船倉に積み込まれていた食料が海水に浸かってダメになってしまったのだった。


 浸水は浅瀬から離礁したことで余計にひどくなった。海底と接していたおかげで浸水が防がれていた部分もあったのに、離礁によって穴を塞ぐものがなくなったからだ。だが当初、誰も浸水に気づかなかった。離礁後、ゴブリンたちは浸水を警戒して何度も船底を点検したが、船底に水は無かった。すべて、船倉に積まれた穀物が吸っていたからだった。

 浸水に気づかぬまま『バランベル』号は湾外へ向かって前進を続けた。しかし、浸水したままだったので船はどんどん重くなり、次第に喫水が深くなっていく。船底が海底に接する頻度ひんども次第に増えていった。何度も浸水を疑い船底を点検するが、浸水していたなら船底に溜まっているはずの水が全くない。

 どうも様子がおかしい…どこか安全な所へ船を泊めて点検することにした。そして最寄りのエッケ島の入り江に入った時、突然悲劇は起こった。


 バキッバキバキバキッ


 未明の入り江に鳴り響いたそれは『バランベル』号の断末魔であった。

 船倉に積み込まれていた大量の穀物が海水を吸って膨張した結果、『バランベル』号の船体にかかる内圧が限界を超えて高まり、船体が破壊されてしまったのである。

 突然の轟音とともに裂けた船体から致命的なまでの海水が流入し、船倉内の穀物は海水に溶けながら流出…船体は浮力を一気に失った。


 水深の浅いアルトリウシア湾で、しかもエッケ島の入り江の中だったのが幸いだった。船は一番下の漕ぎ手たちがいる甲板が水没する前に海底に着底し、死者は一人も出さずに済んだが、ハン族の絶望は計り知れないものがあった。

 脱出するための船と、次の秋までの食料を一挙に失ったのである。あらゆる希望が、目の前で轟音とともに打ち砕かれていく様を見て、皆が皆ハン族は神か悪魔に呪われているに違いないと嘆き悲しんだ。


 彼らは夜明けとともにエッケ島へ上陸した。残っていた食料や物資を運びあげ、海賊たちが残していた建物の多くが使えることを確認すると、ひとまずそこへ避難した。

 回収された食料は辛うじて冬は越せる程度しか残されていなかった。

 漁業のノウハウも道具もない。五百人分の腹を満たせるだけの野生動物もいない無人島では、もはや自分たちだけで生き延びることなどできるわけもない。


 レーマ帝国の領域を脱する前に移動の手段も無くし、生きる術すら失われた以上、レーマ帝国からの離脱は最早あきらめざるを得ない。レーマ帝国の領域内で食料を自給できる手段を持たない以上、レーマ帝国から食料を得るしかない。だが、レーマ帝国から食料を略奪できるほどの武力はなく、買うための金も無限にあるわけではない。残された途はレーマ帝国へ戻り、再びハン支援軍アウクシリア・ハンとして活動することのみ。

 だがレーマ帝国へ戻るという事はアルトリウシアへ戻るという事だ。あれだけの事をしでかした後ですんなり受け入れてもらえるわけもない。


 そこで策を練り、ハン族の命運を背負って交渉へと向かったのがイェルナクだった。そのイェルナクが帰って来た。船イッパイに食料を積んで!!

 ホールの中央を玉座に向かって進むイェルナクの前に、玉座の背後に吊るされた絨毯の向こう側からムズクが姿を現す。それに続いて奥方のクレカも、赤ん坊をその胸に抱いて現れた。


「偉大なる我らが族長エラク!このイェルナク、今戻りましたぞ!!」


「おお!イェルナク!イェルナク!!」


 ムズクは玉座に座ることなく、そのまま舞台から降りてきてイェルナクを迎える。脇からディンキジクも姿を現し駆け寄ってきた。


「イェルナクよ、よくぞ戻った!首尾はどうであったか?」


「陛下…いえ、もはや閣下ドミヌスとお呼びしなければなりません。」


 それはムズクがハン族の王から支援軍アウクシリアの将へ身分を下げることを意味する。一つの民族の長としては屈辱極まる勧告ではあったが、彼の率いるハン族の生存の途が拓かれたことをも意味した。


「で、では、レーマへ復帰できたのか!?」


「閣下、まだ安心はできませんが、当面の食料は確保できたと言えましょう。」


「「「「おおお・・・」」」」


 ホールを感嘆の声が満たした。


「よくぞ、よくぞやってくれたイェルナク!そなたこそハン族の勇者だ。」


「過分なるお言葉、勿体のうございます。

 まだ道半ばなうえ、完全な勝利は逃しました。」


 イェルナクが辛そうな表情を浮かべ、吐露するように言うとムズクの顔から喜色が失せる。


「何かあったのか?」


「はい閣下、やはりさらってきたブッカどもは返さねばならぬようです。」


 ハン族再興のため、ハン族の子を産ませるためにさらってきた女たち…それを返すということは、ハン族再興は再び遠のくことを意味していた。


「そこは何とかならなかったのか!?」


 ディンキジクが口をはさんだ。今回の蜂起でハン族は戦力の四割に達する多大な犠牲を払っている。常識的に考えて、「全滅」の判定を出されるような甚大な損害だ。その犠牲と引き換えに手に入れた女たちは、今回の蜂起で得ることができた唯一の戦果なのだ。それを失うということは、オクタル以下ハン族将兵たちは無駄死にしたことになってしまう。

 作戦を立案し、指揮したディンキジクにとってそれは身を切られるようなものだろう。


「水兵とその家族はすぐにでも返さねばならなくなるだろう。

 その他は…なるべく粘ってみるつもりだ。できるだけ時間を稼ぎ、その間に女が子を孕んでくれれば、子を孕んだ女だけでも守れるはずだ。」


 イェルナクの表情を見るに苦渋の決断だったであろうことは疑いようがない。そもそも交渉で食料を確保することだけでも困難だったはずなのだ。ディンキジクはそれ以上何も言えなかった。ムズクもまた、力なく言葉をこぼす。


「やむをえまい…」


「「「エラク」」」


 イェルナク、ディンキジク、そして妻クレカがムズクを労わるように言うと、ムズクは弱弱しく笑い、そして周囲を元気づけるように言った。


「ふふ、余は既にエラクではない。

 今は耐える時だ…そうであろう?

 これまで耐えたのだ…まだ耐えろというなら耐えて見せよう。

 さあ、詳細を訊かせてくれ、イェルナクよ!」

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