第431話 ソーン・バインド

統一歴九十九年五月五日、深夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 ヒトに比べると圧倒的に筋肉量の多いホブゴブリンは、同じ体格でもヒトよりドッシリと重い。しかも武装を整え鎧に身を固めていれば、ほぼ同じ体格のヒトの倍以上の体重になるだろう。だがホブゴブリンはそうであるがゆえに不意打ちを食らうと重症を負いやすい。

 例えば同じ力で棍棒でぶん殴ったとして、体重の軽い人間なら身体全体が吹っ飛ぶことで打撃のエネルギーを逃がすことができるかもしれない。しかし、体重が重いとその重さが慣性抵抗となるため、身体全体が吹っ飛ぶということがない。身体が飛んで力が逃げないから打撃エネルギーは打撃点に集中してしまう。大人は転んだだけでも大怪我してしまうのに、子供は軽傷ですんでしまう理由の一つだ。

 ホブゴブリンが重いのは筋肉量が多さゆえなので、力を入れれば多少の打撃には耐えることもできるのだが、不意打ちを食らえば筋肉でガードすることもできず、打撃エネルギーが体組織を破壊する加害効率が大きくなってしまう。脇腹に太矢ダートを食らったカルスが、いとも簡単に肋骨を折ってしまったのはそうした背景もあった。

 だが、そうした常識に反する出来事が、今ファドの目の前で起こっていた。


 あらぬ方向を向いてラウンド・シールドを構えるホブゴブリン。気づかれぬようにその右側に回り込み、その右上腕に全力で蹴りを入れたら、普通は上腕を骨折するか、骨折しないまでもその場によろけて倒れてしまうだろう。

 だがそうではなく、ファドの蹴りを食らったホブゴブリンは派手に向こう側へ飛ばされて行った。蹴った瞬間、足の感触がやけに硬く、そして軽すぎたことに感じた違和を分析する時間は、残念ながらファドには与えられなかった。

 足元で床で寝転がっていた別のホブゴブリンがラウンド・シールドを跳ねのけ、その下から月光にきらめくショートソードを突き出してきたのである。


「くぉっ!?」


 ファドの脚を刈り取るように横なぎに突き出されたショートソードを、ファドは寸でのところで飛び上がってかわした。そしてヴァナディーズに投げつけるはずだった太矢で反撃しようとしたところで何かが前方でキラリと光る。


「くっ!?」


 それはファドが全力で蹴り飛ばしたはずのホブゴブリンの投げたショートソードだった。ファドは既に床に足が着いてはいたが、まだ体重がかかりきっておらず躱しきれない。床で寝転がっていたホブゴブリンに投げようとしていた太矢ダートを使い、投げつけられたショートソードの軌道を反らせながら上体を捻ったものの、ショートソードは左胸の脇へ突き刺さった。

 ファドは知る由も無いが、投げつけられたショートソードはリュウイチがリウィウスに授けたミスリル・ショート・ソードだった。その刃はこの上なく鋭く、触れる物を容易たやすく切り裂いてしまう。ゆえに、ファドの着ていた薄い革鎧では完全に防ぎきることは出来なかった。しかし、ミスリルであるがゆえに軽く、その軽さゆえに投げつけられたショートソードの貫通力は限定的なものにしかならなかった。上体を捻っていたこともあって、ショートソードは革鎧を切り裂き、その下の鎧下ジャックさえも貫いていたが、ファドの肉に食い込んだところで勢いを失ってしまった。


「うっ、クソッ!」


 ファドは自分の胸に斜めに突き刺さり、左脇の肉へ食い込み、肋骨で阻まれたそのショートソードを引き抜き、投げ捨てる。その間に床に転がっていた方のホブゴブリンはゴロンと床を一回転転がって立ち上がり、ファドに向かってラウンド・シールドを構えた。気づけばショートソードを投げつけた方のホブゴブリンも態勢を整え、ファドに向かってラウンド・シールドを構えていた。


 なるほど、わざと蹴りを食らって隙を突こうとしたわけか…蹴った感触がおかしかったわけだ。


 ファドはヒトでありホブゴブリンには及ばないまでも、常人を上回る体力を誇っている。筋肉が弛緩しているところへ全力で蹴りを入れれば、たとえホブゴブリンでも骨にひびが入るくらいはするはずだ。だが、筋肉に力を入れて受けられれば、与えられるダメージなどたかが知れている。蹴られた力を利用して飛びのいたとあれば、全くのノーダメージだろう。


 暗いのにもう目も慣れてきてるか…ハッタリだと思ったが、あながち嘘でもなかったらしいな…。


 ファドは自分に向かって盾を構える二人のホブゴブリンを見比べながら状況を確認する。既に暗闇という優位点は失われ、さして広くもない室内でホブゴブリンの兵士二人に囲まれてしまっている。一人は剣を投げてしまったが、レーマ軍兵士のことだからどうせあのラウンド・シールドの裏に数本の太矢を隠し持っているだろう。


 どうする…爆弾を使うか?


 ファドは腰のポーチに手を触れた。その中にはシュバルツゼーブルグでも使った焼夷爆弾が入っていた。それを使えば今からでもヴァナディーズを殺せるだろう。だが同時に間違いなくルクレティアにも被害が及ぶ。ルクレティアはレーマ帝国でも高位の貴族で、危害を加えれば間違いなく問題になるだろう。

 昨日、ルクレティア殺傷を試みたのは、まだこちらの正体に気付かれていない可能性も残されていたし、盗賊の犯行に偽装できる可能性があったからこそだ。だが、今は実行犯がファドであること知られている。この場にいる全員を皆殺しにでもしない限り、罪は免れない。そして、さすがにホブゴブリン兵士二人を相手にこの場にいる人間を皆殺しにする自信はなかった。


 いや、貴族様の眼前で武器を振るったのだ…既に言い逃れなどできようはずもないか…


 ファドは今更ながら己の迂闊うかつさ、軽率さを悔いていた。正体を見破られた時点でヴァナディーズ暗殺を諦めて撤退すべきだったのだ。にもかかわらず戦闘を続行し、あまつさえ「主命をたがえることは出来ません。」などと偉そうに無駄口をたたいてしまった。

 そう、と宣言してしまったも同然なのだ。これではファドが忠誠を誓うペトミー・フーマン二世に嫌疑がかけられることになるのは間違いない。既にみちは一つしかないのだ。


 ファドが覚悟を決めて腰のポーチの蓋を開けようとすると、それに気づいたホブゴブリンが警告した。


「おっと、妙な動きは止めな!

 今からでも遅かぁねぇぜ。

 大人しくぇりゃあ何も見なかったことにしてやらぁ。

 奥方様ドミナからの言伝ことづて、御主人様ンとこへ持ってけぇるがいいぜ。」


 ファドはそれを聞き、ポーチから手を離した。代わりにファドの手は横にずれて行き、腰に下げた舶刀カットラスを掴む。


「しつけぇな、まだやる気かよ。」

「無理すんじゃねぇよ、怪我してんだろ?

 アンタから血が臭ってるぜ?」


 舶刀を抜くファドにホブゴブリンたちは口々に言い、モゾモゾと動いて足場や武器を構えなおす。確かに、ファドの左脇の傷は痛みはそれほどでもないが出血量は多いようだった。自分でも血が腰から太腿辺りまで伝って広がり始めているのが分かる。ホブゴブリンはヒトより鼻が利くから、もう一度暗闇の優位を取り戻すことは出来ないだろう。


「「???」」


 ファドは舶刀は抜いたものの、そのまま構えを解いてスッと立ち上がった。ホブゴブリンたちは構えをより一層堅固にし、ファドをにらみつける。


「では、お言葉に甘えて帰らせてもらおう。」


「お、おう…」


 呆気にとられながらも構えを崩さずにホブゴブリンが答えると、ファドは悠然と戸が開いている窓…ファドが入ってきた窓に向かって歩き始めた。が…


「おるぁっ!!」


「チッ」


 立ち去ろうとするファドに壁際でうずくまっていたホブゴブリンが猛然と襲い掛かった。そのホブゴブリン…ヨウィアヌスは鼓膜をやられたままだったため、彼らの会話を全く聞いていなかったのだ。

 鼓膜をやられ一時的に平衡感覚がおかしくなっていたせいで戦闘に参加できなかったが、ようやく平衡感覚は回復してきていた。そして、倒すべき敵が悠然と目の前に現れた…ならば攻撃するしかないだろう。


 鋭く突き出された剣を躱し、舶刀を叩き込む。が、それはラウンド・シールドによって弾かれてしまった。


「ヨウィアヌス!?よせ!!」


 他のホブゴブリンが制止するが、ヨウィアヌスには聞こえない。躱された剣を引き、再び猛然と突き出す。


「クッ!?」


 下からアッパーカットのように繰り出される剣を再び躱すと、ファドはヨウィアヌスのラウンド・シールドを思いっきり蹴った。


「うっおっ!?」


 平衡感覚が戻ってきたとは言っても完璧とは言い難く、またヨウィアヌスの周りには瓦礫が多数散乱していたこともあって、ヨウィアヌスはよろけ、瓦礫に足をとられてそのまま尻餅をついてしまった。


「「ヨウィアヌス!!」」


「っ、くそぉっ」


 呻くヨウィアヌスの頭上にファドの舶刀が振り下ろされた。


 ガッガンッ!!


「痛ぇ!!」


 ファドの舶刀は兜に当たって弾かれ、ヨウィアヌスの右肩へ食い込んで止まった。


「!?」


 兜ごとヨウィアヌスの頭蓋を切るはずだった刃が弾かれたことにファドは驚いた。が、そこからヨウィアヌスに二撃目を加える余裕はファドには無かった。


「おらぁ!!」


 左から声が響き、床から立ち上がった方のホブゴブリンがヨウィアヌスを援けるため、ファドに向かってショートソードを突き出す。ファドは後ろへ飛んで躱したが、そのホブゴブリンは突き出した剣をそのままファドのいる方へ振り払った。


「ふっおっ!?」


 剣はファドの胸の革鎧を、その下の鎧下ジャックまで容易く切り裂いた。尋常な切れ味ではない。

 ファドは紙一重で助かったことに安堵するとともに、その魔剣じみた切れ味に冷や汗をかきながら舶刀を構えなおした。が、そこまでだった。


「!?」


 突然、床からイバラが飛び出し、ファドの身体に絡みついてその動きを封じてしまった。イバラの棘はファドの鎧や衣服に食い込み、もがけばもがくほど締め付けがきつくなっていく。


「こ、これは!?」


「それは《地の精霊アース・エレメンタル》様の魔法『荊の桎梏ソーン・バインド』です。

 ファド!狼藉ろうぜきはそこまでです!」


 先ほどまで大人しくしていたルクレティアの凛とした声が響いた。ファドが声の方を見ると、ルクレティアが毅然とした様子でファドを見ており、その右肩には緑色に光る半透明な小人の姿があった。

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