第321話 現金調達

統一歴九十九年四月三十日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 上級貴族パトリキは御用商人を指名し、その御用商人を通して様々な商取引を行う。御用商人として指名を受けることで、商人はその上級貴族パトリキとの取引を独占でき、なおかつ上級貴族パトリキから様々な特権を与えられることによって利益を上げる。代わりに、その上級貴族パトリキに対して様々な便宜を図る。融資や様々な物品の手配などはその典型と言えるだろう。ほかにも情報収集やら宣伝活動プロパガンダなど図るべき便宜は多岐にわたる。御用商人とは、封土ほうど俸給ほうきゅうではなく、特権を報酬として受け取る家臣であり、上級貴族パトリキと商人の癒着ゆちゃくを制度化した存在だった。


 一人の上級貴族パトリキが複数の商人を御用商人として指名することは決して珍しいことではなく、むしろ当たり前なことであるため、上級貴族パトリキとの商取引や与えられる特権を完全に独占できるわけではなかったが、それでも上級貴族パトリキから与えられる特権がもたらす利益は大きい。特に、外国や他の属州との貿易を制限されている大協約世界では、貿易を独占できるメリットは計り知れない。

 レーマ帝国で名の知れた商人といえば、自身が上級貴族パトリキの一員であるごく少数の例外を除けば、全員がいずれかの大貴族パトリキの御用商人ばかりであり、いずれも大半の下級貴族ノビレスなんかよりよっぽど強い権勢を誇っている。御用商人とは商人の中の貴族なのだ。


 経済界の貴族ともいうべき御用商人の財力は絶大だ。信用も絶対的と言ってよい。御用商人との取り引きは堅実で間違いが無いと思われている。御用商人からの発注なんて、並の商人にとっては垂涎すいぜんの的だ。御用商人は取引量が多いことが普通だし、継続的で安定的な取引きに発展する可能性が高い。そして信用買いに応じたとしても、売掛金をとりっぱぐれる心配はほとんどないからだ。御用商人の発行する手形は現金にほぼ等しいほどの信用がある。御用商人が買おうとして買えない物など、ほぼ無いと言っていいだろう。


 だが、その威光にも陰りがさすことはある。

 信用取引とは、相手がちゃんと料金を払ってくれるだろうという信用を担保にした取引だ。相手がちゃんと料金を払ってくれるかどうかわからないような状態では成立しない。その日暮らしの貧乏人相手に信用取引に応じる者など居るわけがないのだ。どれだけ大金持ちが相手であっても、借金まみれでいつ破産するかもわからないような人物が相手なら、やはり信用取引は成立しなくなる。売掛金を踏み倒されてしまう危険性が高くなるからだ。

 大貴族パトリキや御用商人が相手であっても、売掛金をちゃんと回収できる見込みがないのであれば取り引きに応じないということは十分にあり得る。


 ラール・ホラティウス・リーボー…アルトリウシア子爵の御用商人である彼は、グスタフ・キュッテルと並んでアルビオンニア属州でも指折りの御用商人である。

アルビオンニアにおいて、彼らとの取り引き以上には無いと言っていいだろう。しかしここ数日、彼からの発注に対し保証金や手付金などの支払いを求める取引先が増え始めていた。

 発注に対して手付金や保証金といった形で前払いを請求すること自体は珍しいことではない。問題はその頻度が高くなっていること、そしてそれまでは前払いを求めてこなかった取引相手が前払いを求めるようになってきていることだった。それはつまり、リュウイチが指摘したように御用商人たちの信用度が低くなっていることを暗示している。


「ふ~む、確かに手付金や保証金を請求されることが増えているのは事実です。ですが、それと《暗黒騎士リュウイチ》様が銀貨を所望する事とどう関係するのでしょうか?

 アルビオンニアもサウマンディアも銀貨の流通量は限られております。現状で《暗黒騎士リュウイチ》様の金貨を銀貨に替えたくとも、市場の銀貨の流通量に影響は出てしまうと思われます。もしも、まとまった銀貨を集めようと思召おぼしめされるならば、アルビオンニアやサウマンディア以外の地域から集めなければならないでしょう。」


『うーん、そう言われると押しつけがましくなるのですが、話を聞く限りだとエルネスティーネ侯爵夫人もルキウス子爵もどちらもかなり無理な出費を重ねているようです。』


「ご賢察の通りです。」


『にもかかわらず、信用取引でいろいろなものを大量に調達しています。復旧復興のために避難民も臨時で雇い入れたりしている。』


「いかにも」


『その財源はどうなっているのですか?』


「?…それはもちろん、《暗黒騎士リュウイチ》様からの借り入れで賄われております。」


『ですが、私の存在は知られていないし、私が貸していることも伏せられています。』


「そうですね…ええ、ですから、我々の信用が落ちているというお話でしたね?」


『だから、現金のたくわえを増やしておいた方がいいと思うんです。』


 ラールはしばし無言でリュウイチを見つめた。信用度が下がっている状況であるのなら現金取引の割合も増えていくだろう。だから、現金の準備を増やすという理屈は理解できる。ただ、それはラール達御用商人や彼らが仕える領主たちがすべき事柄であって、リュウイチではないはずだ。リュウイチが現金の準備高を増やしたところで、その存在を秘さねばならない以上問題の解決には何の寄与もしない。


「なるほど…それは理解できます。理解できますが、それは私共のなすべき事柄で失礼ながら《暗黒騎士リュウイチ》様が銀貨の準備高を増やしても…」


『ああ!ああ、ああ、そうです。そうですね…』


 リュウイチはラールが何を言おうとしているかようやく気付き、頭を掻いた。たしかに、リュウイチが現金の準備高を増やしたところで彼らの信用度が上がるわけではない。ただ、追加融資に対応できるように準備を整えようと思っただけだったが、言われてみれば頼まれもしないのにそのような準備を整えるなど、出しゃばり以外の何物でもなかった。


『そうか…お節介と言えば確かにお節介ですね…』


 ラールはリュウイチに対して警戒しすぎていたためか、リュウイチの厚意を突っぱねたと思われてしまった事に気付き、慌てて釈明する。


「ああ!いえいえ…そういう意味で言ったわけでは!

 その、どうかお許しください。愚かな私では《レアル》の叡智えいちをお持ちである《暗黒騎士リュウイチ》様の深慮遠謀しんりょえんぼうなど計り知れませぬゆえ、《暗黒騎士リュウイチ》様が何を思召おぼしめされて現金の準備高を増やそうとなされておられるのか、理解が及ばなかったのです。

 決して御厚意を無下にする意図はございません。どうか、私を憐れに思い、お考えをおきかせくださいませ。」


『いや、そんな深慮遠謀なんて程のことは…その…多分これから冬になって、冬を越すための食料だの燃料だのも調達しなきゃならないだろうし、出費は増えていくでしょう?

 それで、今のままでは資金がショートするリスクも増えるだろうし、すぐにでも使える現金を確保しといたらいいんじゃないかと思っただけなんですが…』


 リュウイチからすれば親切で言ってることなのだが、それは真に老婆心と呼ぶべき類のものだった。純粋な親切ではあるが受ける側からすれば親切すぎて受け入れがたく感じてしまうような…ただ、厚意であることには違いない。ラールからすればリュウイチがそこまでして現金の準備高を心配する理由はイマイチ理解できなかった。

 もしこれが貴族ノビリタスや他の商人といった人物からの提案であれば、ラールは間違いなく遠慮していたところであろう。だが、考えてみれば相手は降臨者 《暗黒騎士ダークナイト》その人だ。提案を無下にしてよい相手ではない。機嫌を損ねたらどんな災厄が降りかかるかわからないし、今受けている提案は無理難題というような類のものでもない。いや、表に出せない金貨を現金に替えろというのだから困難極まる問題ではあるのだが、少なくとも理不尽な要求をされているわけではない。


「その…《暗黒騎士リュウイチ》様の御厚情をたまわり、光栄至極こうえいしごくと存じます。謹んでお受けする所存ではございますが…」


『ああ、えっと遠くから集めないとっていう話ですか?』


「ご賢察の通りでございます。

 現在、復旧復興の需要の高まりから様々な物品の価格が上がっております。ここで現金の流通量が低下すると、物価の上昇に拍車はくしゃをかけることになりましょう。

 また、畏れながら《暗黒騎士リュウイチ》様の金貨はただでさえ高価である上、そもそも表には出せない代物。両替は遠くレーマを通して行わねばなりませぬゆえ、金貨を送り銀貨にして送り返されるまで往復で五、六か月はかかりましょう。急ぐというのであれば私共で立て替えることになりますが、それでは一時的に私共の現金準備高を減らすことにもなってしまいます。」


『ああ!そっか…』


 金貨の両替は窓口としてはラールが行うが、実際の両替手続きはレーマに帰ってしまった元老院議員セナートルのアントニウスが行うことになっている。リュウイチの存在を、そして降臨の事実を秘匿するためであり、同時に現在レーマでおきている金貨バブルが弾けてしまわないようにするための処置だ。そしてレーマは遠く、普通に行けば片道で二か月半から三か月ぐらいかかってしまう。何せここアルトリウシアは南半球でレーマは北半球なのだ。

 金貨を送ってレーマに届くまで二か月半か三か月、金貨を銀貨に替えるのにどれだけ時間がかかるかわからないが、数百万枚単位となるとそれだけでも時間は必要だろう。それをさらに送り返すのに片道二か月半から三か月…今、両替を頼んでも半年以上は確実にかかってしまう。そのタイムラグを解消しようとしたら、窓口を引き受けているラールが一時的に立て替えることになるのだが、それは彼らの現金準備高の減少を意味していた。つまりこのまま金貨を交換するのは本末転倒なのである。銀貨じゃなくて銅貨に両替しても結果は同じことだ。

 

『ああ…じゃ、じゃあ金貨を両替するんじゃなくて、私が持ってる持ち物を売って現金化してもらうってことはできるかな?』

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