第320話 増え続ける支出

統一歴九十九年四月三十日、午前 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



「では、アイゼンファウストブルグの工事は問題なく進みそうなのですね?」


 マニウス要塞司令部プリンキピア・カストルム・マニの会議室ではエルネスティーネ侯爵夫人とその幕僚を交え、侯爵家、子爵家、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの幕僚たちを交えた会議が開かれていた。カールがマニウス要塞カストルム・マニへ移って以降、このマニウス要塞カストルム・マニでの合同会議は定例化することが決まっていた。


「除草作業の方は再開できています。

 砦の建設の方も問題はありません。」


 現在の議題はアイゼンファウスト地区に建造中の新砦の工事の進捗状況についてだった。

 アルトリウシア平野からダイアウルフの遠吠えが聞こえたことからアイゼンファウスト地区の住民たちに動揺が広がり、一時は除草作業はおろか他の復旧復興事業にも影響が出そうな状態だった。しかし、リクハルドが捕獲していたダイアウルフを借り、セヴェリ川の河岸から遠吠えをさせることでアルトリウシア平野にダイアウルフが潜んでいないかどうかを確認するようにしてから、住民たちの不安は徐々に解消されつつあった。

 日に五~六回ぐらいのペースで遠吠えをさせることで、アルトリウシア平野にダイアウルフが潜んでいないことを確認させる。それによって、セヴェリ川を越えてハン騎兵が奇襲をかけてこれないようにする。

 こちら側で遠吠えをするダイアウルフへの恐怖や不安が無いわけではなかったが、そちらの方はブッカの女の子の羊飼いが騎乗する可愛らしい姿が見る者の不安を和らげるという予想もしていなかった効果を発揮していた。


 アルトリウシア平野からのハン騎兵による奇襲という不安や脅威がなくなったわけではないが、アイゼンファウストでの工事への支障を大幅に緩和することには成功しているようだった。


「では南の方の脅威への対処は問題ないようですね。」


 しかし、そういうエルネスティーネの表情はどこか浮かない。

 結局、昨日丸一日をカールを含む家族全員と一緒に過ごしたエルネスティーネは気力体力ともにすっかり充電できていた。今朝、要塞司令部プリンキピアに顔を出した時などは、一昨日マニウス要塞カストルム・マニに到着した時の憔悴した様子とは別人かと思えるほど元気溌剌としていたのだ。


「何か別の問題がおありでしょうか?」


 議事進行役を務めている筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのラーウス・ガローニウス・コルウスがエルネスティーネの様子に不穏なものを感じ質問すると、エルネスティーネは少し言いにくそうに答えた。


「ええ、実は新たな脅威に対処せねばならないようなのです。」


「新たな脅威ですと?」


 エルネスティーネの言葉にラーウスが反応すると、ヘルマンニ以外の軍人たちがエルネスティーネに注目した。


「そうです。ヘルマンニ卿から報告があったのですが…ハン支援軍アウクシリア・ハンがエッケ島北部に砲台を築いているようなのです。」


「なんと!?」

「やはりか…」

「奴らのやりそうなことだ」

「不味いな、海路を塞がれてはアルトリウシアは干上がるぞ。」

「これから冬だ。グナエウス街道が雪で通れなくなれば春まで孤立してしまう。」

「食料を賄えないぞ!穀物の備蓄は足りてないんだ。」


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの幕僚たちは予想していたのか意外に反応は小さかったが、アルトリウシアの内政を預かるルキウスの家臣団たちは激しく動揺する。

 それを脇目に見ながらルキウスは努めて穏やかな口調で問いただす。


「それで侯爵夫人エルネスティーネ、どう対応なさるおつもりかな?」


「ヘルマンニ卿がおっしゃるには、対岸のトゥーレ岬に砲台を造りたいと…」


「「「う、う~む」」」


 エルネスティーネの回答にほぼ全員が一斉に唸り声をあげる。今度は家臣団よりも軍人たちの反応の方が大きかった。


「トゥーレ岬に砲台を設けるのは合理的です。ですが、砲台を建造するための資材や人員を捻出するのは難しいでしょう。建造後の砲台に配備する人員も…何とか船からの砲撃で対処はできないものでしょうか?」


 軍団長レガトゥス・レギオニスのアルトリウスからの目配せに気付いたラーウスが咳払いを一つして提案する。砲台がエッケ島北側のどの部分に造られているかわからないが、もし海面近い場所に建造されているのなら艦砲射撃で破壊できるかもしれないと期待したのだ。しかし、これにはヘルマンニが否定的な答えを返した。


「艦載砲で遠距離砲撃はまず当たらんよ。

 奴らが建造中の砲台はエッケ島のほぼ中腹にある。海面から低く見積もっても三十ピルム(約五十五メートル半)はあるじゃろう。近づけば相当上を狙わにゃならん。

 艦載砲はそんな上まで向けられんし、そんな無茶な角度で打てば反動に耐え切れずに甲板が壊れちまうわい。

 やるんなら臼砲艦きゅうほうかんが要るじゃろうな」


 臼砲艦とは文字通り臼砲きゅうほうを搭載した軍艦のことだ。臼砲とは四十五度以上の急角度で山なりに砲弾を打ち出す砲で、砲身が肉厚で極端に短い外見がうすに見えることから臼砲モーターと呼ばれる。

 臼砲は大角度で砲弾を打ち上げる都合上、反動が思いっきり臼砲を据えた地面に伝わるため地盤が強くないと使えない。その臼砲を甲板に据えて砲撃する臼砲艦は、反動に耐えられるようにするため甲板の強度を極端に高める必要がある。当然ながら、現在ヘルマンニの隷下に臼砲を使えるような艦船は一隻もない。


「一応お尋ねしますが、臼砲艦は…」


「無い!…クプファーハーフェンにも無いじゃろう。

 サウマンディアが持っとるという話も聞いとらんし、アリスイ氏も持っとらんはずじゃ。」


 通常の艦では臼砲を搭載できない以上、臼砲艦を用意しようと思ったら一から建造するしかない。既存の艦船を改造するという手が無いわけでもないが、臼砲艦を建造した経験もない以上、甲板をどの程度補強しなければいいかさえよくわからないのだ。ヘルマンニだって臼砲は見たことがあるが臼砲艦は見たことがない。話に聞いたことがあるだけだ。改造するにしろ建造するにしろ、経験のある所に発注しなければならないだろう。


「つまり、船からの砲撃では無理ということですか…」


 ラーウスが残念そうに言うと、ヘルマンニは目を閉じ無言のまま静かに首を振り、「無理だ」と示した。

 

「いずれトゥーレ岬に砲台を造りたいという構想はありました。

 ですが、それはトゥーレ水道防衛のために計画されていたもので、エッケ島を砲撃することを想定したことはありません。

 もし、建造するとすればどれほどの規模のものになるでしょう?」


「ハン族どもがエッケ島に造っとる砲台はおそらく大砲三つか四つ程度しか据えられんじゃろう。

 十門もあれば圧倒はできるはずじゃ。」


「ま、待ってください!」


 子爵家筆頭家令ホスティリアヌス・アヴァロニウス・ラテラーヌスが慌てて口を挟んだ。


「大砲十門を運用するだけでも百人以上の兵士が必要となりましょう!?

 それを配備する砲台の建造資材もバカになりません。

 その臼砲艦とかいうのを造る方が安上がりなのではありませんか!?」


 長年家令として子爵家に仕えてきたホスティリアヌスに戦働きの経験はないが、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアがまだアヴァロニア支援軍アウクシリア・アヴァロニアと名乗っていた頃は軍属として輸送部隊で働いていた男である。ブルギ要塞カストラの建造にどれだけの資材が必要かは承知していたし、部隊を運用するためのリソースがどれだけ必要かも承知している。


 砲台を建設するということは、文字通り大砲を据える場所さえ用意すればよいというものではない。大砲の周辺には敵の砲弾も飛んでくる。それらを防ぐための土塁や掩蔽壕えんぺいごう等の防御施設も必要だし、火薬庫も用意せねばならない。そして、何よりも建設予定地のトゥーレ岬は最も近いセーヘイムからすら十マイル(約十八キロ半)以上離れた遠隔地である以上、そこで働く兵士たちの生活を支える兵舎や穀物庫ホレアなど各種設備も充実させねばならないのだ。そのために必要となる資材は、材木だけを取ってみてもセーヘイムの戦船ロングシップ数隻分に達するはずである。


「言いたいことはわかるがのぉ…さっきも言ったが船から大砲撃っても、よほど近づかにゃ当たりゃせん。臼砲なんて普通の大砲よりもっと狙いがつけづれぇしのぉ…おかに据えた大砲と船で撃ち合ったところで勝てやせんよ。

 ただでさえ当たらんのに向こうは土塁で固めとるだろうから、何発か直撃させにゃならん。じゃが船は一発当たっただけでも沈みかねん。

 ま、勝負にならんよ…力攻めしたきゃ何隻も用意せにゃならんじゃろうな。」


「では、やはり砲台を造る以外に方法は無いんですか?」


 ホスティリアヌスはなおも未練がましく周囲も見回しながら質問したが、他の出席者たちは砲台建設やむなしという結論に既に達している様子だった。ヘルマンニはあえて無言のまま視線だけでその質問に答え、ホスティリアヌスは力なく「わかりました」とため息交じりに肩を落とす。

 今度はエルネスティーネの実兄グスタフ・キュッテルが、侯爵家御用商人という立場から口を開いた。


「問題は資材と人員をどう工面するかです。」


「何が問題なのだ?

 貴殿にとってそれが商売だろう?」


 グスタフに対して強欲という印象しかない侯爵家財務官ヴィンフリート・リーツマンが嫌味でもいうような口調で揶揄すると、グスタフはわずかに口角を持ち上げて続けた。


「商人としては取引が増えるのはありがたいことですが、懸念材料もないわけではありません。

 近頃、建築資材をはじめあらゆる物が急速に値上がりしつつあり、調達が困難になってきております。」


 ヴィンフリートをはじめ、幾人かの貴族ノビリタスたちが呆れたように息を吐き出す。


「多少の値上がりは元々想定してあったではありませんか。

 それとも『今は金額に糸目はつけぬ』とでも言ってほしいのですかな?」


 商品の値上がりにかこつけて請求額を吊り上げようとしているのだろうと勘繰ったヴィンフリートの嫌味にグスタフは困ったように笑いながら答えた。


「金額の問題ではありません。

 どうも、保証金を求められるケースが出てきておるのです。」

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