資金問題

第319話 信用の根拠

統一歴九十九年四月三十日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 レーマ帝国の貴族ノビリタスや有力者たちの午前の過ごし方は、だいたいが被保護民クリエンテス表敬訪問サルタティオの対応である。権勢の大きい貴族ノビリタスほど多くの被保護民クリエンテスを抱えるため、それだけでかなりな時間を取られることも珍しくはない。結果、時間が取れずにせっかく表敬訪問サルタティオのために保護民パトロヌスを訪れたのに面会すらままならず追い返されてしまう者も珍しくはない。もっとも、面会がかなわなかったとしても最低限の「贈り物スポルトゥラ」は貰えるので全くの無駄足になるわけではなかったが…。


 ラール・ホラティウス・リーボーはアルビオンニア子爵家に仕える御用商人であり、正式には貴族ノビリタスというわけではないが、実力や権勢は並みの下級貴族ノビレスなぞとは比べ物にならない実力者である。当然、普段であればこの時間は多数の被保護民クリエンテスたちの表敬訪問サルタティオを受けている側の人間だ。

 だが、彼はアルトリウシア子爵の御用商人であり、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの兵站隊長という肩書を持つ身でもある。ルキウスや軍団レギオーから呼び出されれば、即座に参上しその要望を聞かねばならなかった。

 ラールはそれを苦にすることはない。たしかに面倒に思うことがないわけではないが、その面倒を受け入れることによってホラティウス・リーボー家は御用商人としての特権を利用して莫大な富を得ることができるのだ。その利益のためとあらば、呼び出しに応じるくらい何と言うこともない。


 しかし今日は違った。ラールは少しばかり緊張していた。

 今日ラールを呼び出したのはルキウスでもその奥方のアンティスティアでもなく、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの関係者でもなかった。昨今、彼のたる子爵はもちろん、侯爵夫人エルネスティーネさえもがかいがいしく世話している相手、この世界ヴァーチャリアで百年ぶりの降臨者、伝説の最強ゲイマーガメル暗黒騎士ダークナイト》リュウイチその人だったからである。

 ラールはサウマンディウムで彼が仕える子爵家の公子たるアルトリウスから降臨について聞かされていたし、ルキウスに付き添ってリュウイチの謁見を受けたこともあった。もちろん、自己紹介も交わしているし初対面ではない。だが、一対一で対面するのは今回が初めてだった。


 呼び出された用件についても一応は事前に聞かされている。昨日、司令部プリンキピアで行われた降臨者 《暗黒騎士リュウイチ》への報告会の後、リュウイチがルキウスに対して御用商人を寄こすよう依頼してきたのだ。ルキウスが聞いたところによると、なんでも例の《レアル》金貨を両替したいらしい。ほかにも細々と相談したいことがあるとかなんとか…。


 ラールが知る限りリュウイチは銀貨に困ってはいないはずだ。元老院議員セナートルのアントニウスから金貨百枚分としてデナリウス銀貨二百六十万枚を直に受け取っており、それとは別に金貨百枚分として更に二百六十万枚のデナリウス銀貨が送られてくる手筈になっている。それが届くまで、あと一か月半程度はかかるだろうが、リュウイチはアルトリウシアでの生活で全くと言ってよいほど金を使っていないので、急いで銀貨を調達しなければならない理由などどこにもない。

 リュウイチは膨大な量の銀貨をアルトリウシアの復旧復興の財源としてエルネスティーネとルキウスに融資することになっているが、復旧復興事業に関する取引のほとんどが信用取引で行われているので、デナリウス銀貨が実際にやりとりされているわけではない。


 おそらく、の方がメインだろう…


 ラールはそう考えていた。ラールに話を持ってきたルキウスもそのように考えているようだった。

 聞くところによれば、リュウイチは無茶な要求をしてくるような暴君タイプの人間ではない。どちらかというとお人好しなくらいに気前が良く、そして遠慮深い人物のようだ。何を要求されるかはわからないが、いずれにせよリュウイチから話を聞いた後、その内容についてルキウスと相談することになっていた。


ご主人様ドミヌスの御成りです。」


 ガチャリとドアが開き、リュウイチの奴隷が入ってくるとまるで軍人のようにピンと背を伸ばして告げた。本来なら高らかに身分と名前を告げるべきなのだが、リュウイチはまだ身分を隠しているためこのような仕儀しぎになっている。

 ラールとラールが連れてきた秘書は起立してリュウイチを迎え入れた。


『ようこそ、おいでくださいましたラール・ホラティウス・リーボーさん。

 わざわざ来ていただいてありがとうございます。

 どうぞおかけください。』


「勿体ない御言葉、恐悦至極に存じます。」


 身分社会であるレーマ帝国において、上位の上級貴族パトリキが下位の下級貴族ノビレス平民プレブスに対する態度に比べ、リュウイチのラールに対する態度は非常に柔らかで丁寧なものだった。ラールは負けないくらい丁寧に応じながら、チラっとリュウイチを一瞥いちべつして勧められるままに椅子に腰かけた。

 リュウイチも同じテーブルを挟んで対面に腰かけた。それは相手を対等に扱おうという態度だった。


 リュウイチが今まで生活してきた《レアル》は相手と自分の身分差を考慮せねばならないような身分制度は無いらしい。おおよそ、歴史上のゲイマーガメルたちも身分差というものに対して無頓着な傾向があった。

 それはそれで仕方がないかもしれない。だが、それに付き合うこの世界ヴァーチャリアの住民としては、相手リュウイチの態度に気を許して不用意にそれに合わせて付き合うととんでもないことになってしまう。《暗黒騎士ダークナイト》の意向や趣味を否定するわけにはいかないのでなるべく合わせはするが、せめて適度にバランスを保つよう気を付けねばなるまい。

 ラールは気を引き締め、早速話を切り出した。


「御用とお伺いいたし参上いたしましたが、御用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


『既にルキウス子爵からお伺いかと思いますが、金貨を追加で両替していただきたいと思いまして…』


おそれながら…《暗黒騎士リュウイチ》様は既に二百六十万枚の銀貨をお持ちで、あとひと月半ほどもすれば更に二百六十万枚の銀貨が届きましょう。

 それ以外に御入り用ということでありましょうか?」


 リュウイチは小さくウーンと言いながらラールの顔を見、少し考えて口を開いた。


『実際に全額を渡したわけではありませんが、エルネスティーネ侯爵夫人とルキウス子爵には既に二百万近い銀貨を融資しています。』


「存じております。

 アルトリウシアの復旧復興のため、《暗黒騎士リュウイチ》様より格別の御支援をたまわり、私もアルトリウシア領民として感謝申し上げます。」


 ラールが頭を下げるとリュウイチは慌ててそれを打ち消すように言った。


『いえ、それはいいのです。

 ですが、おそらく今後もお金はもっと必要になるでしょう。』


「お言葉ですが、復旧復興のための資材や食料といった物品の調達は信用取引で行っております。雇い入れた領民たちへの報酬を除けば、実際に現物の銀貨が必要になることはありません。

 失礼ながら《暗黒騎士リュウイチ》様も、二百万デナリウスを貸し付けたことにはなっていても、実際にお渡しになられたデナリウス銀貨は百万枚にも満たないのではありまえんか?」


 ラールの疑問をリュウイチは否定しなかった。


『たしかにそうです。ですが莫大な金額の信用取引を成立させるには、相応の原資が必要になると思います。』


「おっしゃる通りです。ですが、《暗黒騎士リュウイチ》様の下には次の冬までには二百六十万枚の銀貨が届けられる手筈となっております。また、それらをはるかに上回るだけの金貨もお持ちと伺っております。

 偉大なる《暗黒騎士リュウイチ》様の信用力を疑う者などおりませんし、もったいなくも《暗黒騎士リュウイチ》様より御支援をお約束くだされた侯爵夫人や子爵の信用力もかつてないほど高まっております。

 集めろと思召おぼしめされるのであれば応じぬとうことは決してありませんが、今お急ぎになる必要もないのではありませんか?」


 リュウイチはラールの顔を見たまま少し黙って考え、少し声のトーンを落とて身を乗り出した。


『私の事は秘密なんでしょう?』


如何いかにも…アルトリウシアの貴族たちの他はほとんど誰も存じません。」


『なら、存在を知られていない私が支援を約束したエルネスティーネさんやルキウスさんの信用力が高まるわけはありませんよね?』


 これにはラールも驚き、眉を上げ口ごもってしまった。確かに今現在、侯爵家と子爵家に対する信用度を以前より高く見積もっているのはリュウイチの存在を知らされているラールとグスタフの二人の商人だけである。

 ラールはリュウイチの顔を見たまましばらく考えたが、しかしリュウイチが何を言いたいのか図りかねた。


「たしかに、そうなりましょうが…しかし、それで何か問題になりましょうか?

 どのみち侯爵家も子爵家も、貴族パトリキは皆、御用商人を通じてしか商取引はしません。キュッテル商会と私共にとっての信用度が十分高ければ、今後も問題は生じないと愚考いたしますが?」


『御用商人の信用は本人の資本力もでしょうが、貴族の信用があればこそでしょう?

 世間から見て明らかに侯爵家や子爵家の財力を上回る勢いで信用取引を続けて、他の…私の事を知らないアナタ方の取引先の人たちは不安にならないんですか?』


「つまり…我々御用商人が信用されなくなるということですか?」

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