第322話 信用低下問題

統一歴九十九年四月三十日、午前 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



「おっしゃる事がにわかにはわかりかねますな。

 保証金を求められる事例が増えてはいるが、金額の問題ではないとはどういうことですかな?」


 アルビオンニア属州の財務官クァエストルを務めるヴィンフリート・リーツマンはランツクネヒト族ではあるがアルビオンニアの出身ではない。生まれも育ちも帝都レーマであり、実家もそちらにある。アルトリウシア子爵家の財務官クァエストルハルサ・カッシウス・フルーギーもヴィンフリートと同様、レーマから派遣された官僚だった。


 レーマ帝国では軍閥化防止のためすべての軍団レギオー軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムとして元老院議員セナートルを加えなければならないのと同様に、すべての自治領主は帝都レーマから派遣された官僚に財務を監督させねばならないことになっている。

 軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムと同様、地方領の財務官クァエストル出世コースクルスス・ホノルムを歩むうえで踏むべきポストの一つである。ただ、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムが形骸化し、実際には名前だけ貸して現地にはほとんど行かずレーマに留まり続ける者が多いのに対し、財務官クァエストルにはそうした兆候は見られなかった。

 同じレーマ本国から派遣される人員の為のポストでありながら、両者の間でこうも差が生じてしまっているのは、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムに就くのは現役の元老院議員セナートルであるのに対し、財務官クァエストルは下級官僚であったことが最大の理由だろう。


 元老院議員セナートルはそれだけで既に帝国の頂点ともいえるポストだ。そこからさらに閣僚を目指す者は意外と少ない。元老院議員セナートルの義務としていずれかの軍団レギオーを担当しなければならないが、帝都レーマを離れてキャリアとしての実績を作るよりも、レーマに留まって元老院議員セナートルとして活動する方がメリットが大きいのだ。

 それに対し財務官クァエストル出世コースクルスス・ホノルムの中盤くらいのポストであり、これを無事に勤め上げなければ上位の官僚にも元老院議員セナートルへも出世は望めない。

 それに地方領主や地方有力者とのパイプを作る絶好の機会でもある。地方の領主や有力者たちはレーマ中枢とのパイプとして利用するために、任期後にレーマへ帰った元財務官クァエストルたちとの関係を維持しようとする。また、レーマや他の地方からかつての任地に商売等で用がある場合は、元財務官クァエストルに口利きを頼むことも多い。その際のはパイプが太ければ太いほど額も大きくなり、それだけで下級貴族ノビレスとして活動していけるほどの収入になることも珍しくはないのだ。

 任地とのパイプは将来の財産…ならば、任地へ赴くのは将来への投資そのものである。先行投資をケチって成功する事業などあり得ない。当然、太くて強いパイプを作りやすい、同種族・同民族の領主が治める地方を任地として希望するのは一般的であり、ヴィンフリート・リーツマンがアルビオンニア属州を選んだのもそうした理由だった。


 この点、アルビオンニア侯爵家へ派遣されたヴィンフリートや、アルトリウシア子爵家へ派遣されたハルサなどは幸運に恵まれたと言ってよいだろう。

 一昨年の火山災害、百年ぶりの降臨とハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱…この困難な局面を乗り切った財務官クァエストルという、どれだけ金を積んでも得られない実績を獲得できるのだ。いや、正確にはまだその途中だし、まかり間違って財政を破綻させるようなことにでもなれば、キャリアはそこでストップしてしまうだろう。しかし状況は危機的だが侯爵家も子爵家もあの降臨者 《暗黒騎士リュウイチ》が無利子無担保で膨大な銀貨を融資してくれているのだ。財政破綻する心配はまずないし、財務官クァエストルとしての実務は、実際のところは部下たちがやってくれる。

 あと、彼にとって重要なのは他の地元貴族たちとの関係を築くことだ。


 その彼にとってグスタフ・キュッテルは好ましからざる人物だった。エルネスティーネの実兄であり御用商人である以上、財務官クァエストルとして付き合わないわけにはいかないが、グスタフはどうも他の貴族たちの評判はよろしくない。グスタフとあまり懇意こんいになると、他のアルビオンニアの御用商人や貴族ノビリタスたちの反感を買ってしまうのだ。

 グスタフは実妹であるエルネスティーネとその夫マクシミリアンのためを思って色々頑張っていて、実際一昨年の火山災害対応でグスタフは無くてはならない働きを示した。だが、同時にアルビオンニア属州への影響力を着実に拡大し、貴族ノビリタスたちの利権にも食い込んできており、気を許すことができない。

 ヴィンフリートは他の貴族ノビリタスたちの手前、グスタフと対する時は警戒を怠ることができないのだ。むしろ、グスタフを抑える役目を期待されていると言っていい。


「物価の上昇幅はまだ想定していた最悪よりも低いくらいです。

 資金が不足しているということもありません。ですが、私共からの発注に対して保証金や手付金を現金か、別の商品の現物で納めるよう要求する事例が増えているのです。つまり、私共の信用が低下しているということです。」


「何故です!?

 資金に余裕があるなら信用が低下するわけがないではありませんか!」


 訳が分からないという風にヴィンフリートは困惑の表情を浮かべる。他の出席者たちの表情も似たようなものだ。


「資金に余裕があるというのは我々の間だけでの話なのですよ。」


「どういうことですか、キュッテルグスタフ?」


 グスタフは小さくため息をつきながら続けた。


「私共は潤沢な資金を得ています。降臨者リュウイチ様からの無利子での御融資によって・・・ですが、リュウイチ様の存在は世間には知られておりません。ただ、借入先を伏せたまま『融資を受けている』という情報だけが出回っております。

 つまり、世間の人々は侯爵家が…子爵家もですが…現在どことも知れぬところから莫大な資金を調達している…借金をしていると考えています。」


「それは…事実ではありませんか?」


 ヴィンフリートによって話の腰を折られたグスタフはコホンと咳ばらいをして続けた。


「まあ、事実です。問題はその借金がどういうものか、誰も知らないということです。」


「知られてはならない事なのだから、それも当然でしょう?」


 話の途中だというのに結論を急ぎすぎるヴィンフリートに対し、グスタフは両手を広げて見せるジェスチャーをしながら続けた。


「世間の商人たちは侯爵家が実態の分からない膨大な借金をしながら、膨大な散財をしていると考えています。そして、世間の常識で言えば、それだけの資金を無利子で借りることなどできません。

 ですから、世間の商人たちは侯爵家と子爵家が、返済能力を超えて借金を重ねていると考えているのです。」


「それは、エルネスティーネたちが破産するという意味ですか?」


 エルネスティーネが腰を浮かさんばかりに身を乗り出して声をあげると、グスタフは実妹に申し訳なさそうに見ながら報告する。


「口ののぼせるのもはばかりながら…アルビオンニア侯ご破算…そういう噂が囁かれ始めております。」


「なんと無体な…」

「バカな…商人たちは侯爵家を見限ろうとしているのか!?」

「不遜だ!不遜極まる!!」


 出席者の反応は怒りと困惑の入り混じったものだった。


「キュ、キュッテルグスタフ殿…その借金、借入先が不明瞭なのが問題なのでしょう?

 ではキュッテルグスタフ殿が御貸ししていることにすることは出来ませんか?」


 ヴィンフリートが絞り出すように問いかけると、グスタフは如何にも残念そうな、何か哀れみを感じさせるような視線をヴィンフリートに向けて答える。


財務官クァエストル殿…残念ながら、世間は侯爵家に金を貸しているのは我がキュッテル商会だと噂しておるのですよ。」


「ぐっ…」


 ヴィンフリートは言葉を飲んだ。考えてみるまでもなく当たり前のことである。領主貴族パトリキが借金しなければならないとしたら真っ先に対応するのが御用商人なのだ。そしてキュッテル商会はその務めを率先して果たしてきた。一昨年の火山災害の時などは、キュッテル商会は侯爵家を借金漬けにして乗っ取るつもりだなどというような陰謀論が公然と囁かれていたほどである。

 そしてキュッテル商会もまた、実妹の侯爵夫人エルネスティーネを支援するために無理な融資を行っていると噂されていた。


「このまま侯爵家がキュッテル商会から借金をし続ければ、いずれは資金がショートして侯爵家とキュッテル商会が共倒れになる…世間の商人たちはそのように予想しておるのです。

 そして、子爵家と…ここにはおられませんが、ホラティウス・リーボー殿も同じように、破産の危機にあると噂されはじめております。」


「「「「「うう~む」」」」」


 一同は全く予想もしていなかった事態が起きつつあることを理解し、呻き声をあげた。エルネスティーネは脱力するように前のめりになっていた上体を戻し、姿勢を正した。


「こ、今後どうなることが予想されますか?また、どう対処すべきですか?」


「商人たちは売掛金が回収できなくなることを恐れております。次第に…現金での支払いを求められるようになっていくでしょう。信用が下がれば、信用取引には応じてもらえなくなりましょうから。」


「リュウイチ様からは、銀貨百万枚を即時にお借りできます。それでも足りませんか?」


「しばらくは持つでしょうが、今のままでは冬までに足らなくなるでしょう。」


「二か月ほど…二か月後におそらく銀貨二百万枚をお借りできます。」


「それも、リュウイチ様からですか?」


 エルネスティーネが首肯するとグスタフはため息をついた。


「上手くやりくりできれば、それで冬は越せるでしょう。

 ですが、現在の取り引き量の規模そのままで信用取引を行えなくなるとすると、それでも現金の準備高はギリギリです。何かのきっかけで取り付け騒ぎでも起きようものなら、確実に不足します。」


「何かのきっかけ?」


「…ハン支援軍アウクシリア・ハンとの戦…などですかな。」


 再び会議室に呻き声があふれる。もちろん、こちらからエッケ島を攻めることはないし、ハン族には再度何らかの行動を起こす余力はない。だが、何をするか分からないのがハン族だ。当たり前の理性があったなら起こさないはずの叛乱を起こしたばかりの彼らの行動は、正直言って誰にも予想がつかない。


「どうすればよいのですか?」


「一番良いのは、リュウイチ様の存在と降臨の事実を公表し、リュウイチ様から資金を御提供いただいていることを明らかにすることです。

 さすれば、現金の準備高は今のままでも、これまで通り信用取引に応じてもらえるようになるでしょう。」

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