第323話 八方ふさがり

統一歴九十九年四月三十日、昼 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 午前中にマニウス要塞司令部プリンキピア・カストルム・マニで開かれていた会議は昼前に終わった。リュウイチに呼び出された用件が終わり次第途中から出席する予定だった子爵家御用商人ラール・ホラティウス・リーボーは結局会議に間に合わず、マニウス要塞カストルム・マニへ向かう馬車の中でルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵と会談することとなった。元々リュウイチから言付かった用件についてルキウスに報告することになっていたのと、会議に間に合わなかった場合は会議の概要について教えてもらうことになっていたからだ。

 エルネスティーネたち侯爵家の人々も既にマニウス要塞カストルム・マニを発ち、ルキウスたちの馬車の前方をティトゥス要塞カストルム・ティティへ向かっている。もっとも、まっすぐティトゥス要塞カストルム・ティティへ向かうのではなく、ウオレヴィ橋を中継してウオレヴィ橋の再開通を祝う予定になっていた。


「我々のために銀貨を追加で手配なさろうとされたというのか?」


 ラールの報告を受けたルキウスは半分呆れたような表情を作って驚きの声をあげた。


「はい、どうやら昨日の報告と、その前の報告から我らの状況を察し、我らの信用が低下してより多くの現金が必要になるであろうと予知なされ、先に手を打たれようと思召おぼしめされたようです。」


「さすがは《レアル》の叡智えいちといったところか…」


 ルキウスはそう呟くと顎に手をやり、口角をゆがめて床に視線を落とした。


「何か?」


 どこか焦慮しょうりょの色を嗅ぎ取ったラールが問いかけると、ルキウスは表情は変えないまま顔をあげ、顎にやっていた手を放して打ち付けるようにひじ掛けを掴んだ。


「いや、実は今日キュッテル殿から同じような話が出たのだ。」


「キュッテル商会のグスタフ殿ですか?」


「そうだ。アルビオンニア侯ご破算という噂が流れておるそうだな?」


 ギロッと睨むようにラールに視線を向けると、ラールは痛いところを突かれたように眉を一瞬跳ね上げ、ゆっくり息を吐きながら残念そうな顔を浮かべた。


「申し上げにくいことですが、その通りでございます。」


子爵家うちも…なのか?」


「はい…まだ囁かれ始めて五日と経ってはおりませんが、ご報告をせねばとは思っておりました。」


 地域の経済市況について報告するのも御用商人の役目の一つである。噂も報告の対象だ。しかし、噂というものは報告すべきかどうかの判断が難しいことがある。全くにもつかない駄法螺だぼらの類が多いし、現れては消えていく泡沫のような情報をイチイチ報告するわけにもいかない。だが、無視できるわけでもない。実際に噂が政治や経済に大きく影響してしまうことは決して珍しいことではないからだ。しかし膨大な噂の中から重要なものを拾い上げ、根拠や影響を分析するのは並大抵のことではない。

 ラールもアルビオンニア侯爵家が破産するとかアルトリウシア子爵家が破産するという噂はキャッチしていた。だが、その手の噂は毎年のように囁かれるようなものでもあった。特に一昨年の火山災害以降はずっと囁かれ続けていると言ってよい。そのため、報告すべきかどうか判断に迷っていたのは事実だった。


「フーッ」


 ルキウスは右手で顔を覆い大きくため息をついた。


閣下ルキウスキュッテルグスタフ殿は何と?」


侯爵夫人エルネスティーネは返済能力を上回る借金で破産すると見られておると、そして商人たちが信用取引に応じなくなってきておると…」


「その表現はいささか大袈裟かとは思われますが…」


 ラールが慰めるように言うと、ルキウスは顔を覆っていた手を再び打ち付けるようにひじ掛けに戻すとラールに顔を向けた。


「だが、保証金や手付金という名目で前払いを請求されるようになってきたのだろう?」


「それは残念ながら事実にございます。」


「リュウイチ様のことを公表するか、さもなければすべての取り引きを現金で行えるように現金の準備高を高めねばならんと言っておったぞ?」


「『すべての取り引きを』というのは大袈裟ですが、しかし私もキュッテルグスタフ殿のその意見には同意せざるを得ません。」


 ルキウスは目を閉じ、額を揉みはじめた。グスタフの言うことを信じないわけではなかったが、グスタフは時に物事を誇張して言う癖がある。いや、貴族ノビリタスならみんなそういうものなのだが、グスタフの場合は誇張の仕方や誇張する部分が他の貴族ノビリタスたちと少しズレているのだ。だから、グスタフの言ったことは大筋ではその通りであろうとは受け止めてはいたが、そこまで深刻には考えていなかった。


「だが、リュウイチ様のことを公表するのは出来んぞ。それに現金の準備高を増やそうにも現金化できる物などどこにも無い。」


 そんなものは一昨年の火山災害対応の際にあらかた現金化してしまっている。宝飾品や美術品等が無いわけではないが、領主貴族パトリキとしての体面を保つために必要な分は残しておかねばならないし、第一それらのほとんどは既に抵当に入っているのだ。残りをすべて売り払ったとしても焼石に水であろう。だからこそ、領主様が破産するなどという噂が囁かれているのだ。

 だが、リュウイチが動いてくれるというのであれば都合がいい。借金を重ねることに引け目を感じないわけではないが、当人が利用される気でいてくれるのであれば力を借りるのがいいだろう。


「それで、リュウイチ様の申し出はお受けしたのか?」


 一縷いちるの望みをかけて質問したルキウスだったが、ラールは首を振った。


「何故だ!?」


 ガバッと身を起こして自分の方を向いたルキウスに、ラールは小さくため息をついてからリュウイチにしたのと同じ説明をした。


「《暗黒騎士リュウイチ》様の金貨はレーマに運んでレムシウス・エブルヌスアントニウス卿に両替していただかねばなりません。片道三か月はかかりますから、銀貨が届くのは半年後です。

 その間、急いで銀貨が必要となればラールが立て替えることになりましょう。それは私共が保有している銀貨をリュウイチ様に預けることになりますから、結果的には銀貨の準備高は却って減少することになるのです。一時的にではありますが。」


「ああ、そうか…そうだな…」


 言われてみれば当たり前の話である。ルキウスは自分の間抜けさに気付いて自己嫌悪に陥り、天井を仰いで自らの額をピシャっと叩いた。


「それで《暗黒騎士リュウイチ》様はお持ちの聖遺物アイテムを現金化できないかと申されました。」


 ルキウスに同情し、慰めるようにラールが言うとルキウスはギョッとしてラールの方を見た。


聖遺物アイテムをだと!?」


 この世界ヴァーチャリアでは《レアル》から降臨者によって持ち込まれた物やゲイマーガメルを使って作成した物は聖遺物と呼ばれ珍重されている。降臨者にとっては大した価値の無い物でも、この世界ヴァーチャリアでは莫大な値がつけられるのだ。

 もしもリュウイチがアイテムを提供してくれるというのなら、とんでもない値がつけらえるに違いない。


「はい、いくつか見本サンプルもお見せくださいました。」


「どうだったのだ!?」


 ラールは首を振った。


「いずれも品質が高すぎます。あれらを売るのは世間に降臨があったと宣伝するようなものでしょう。」


「うっ、うーむ…」


 ルキウスはため息をついて肩を落とした。考えてみれば当たり前のことだった。

 この世界ヴァーチャリアでは《火の精霊ファイア・エレメンタル》のせいで鉄を作ることが難しい。質の高い鉄(特に可鍛鉄)ならば同じ重量の金とほぼ同じ価値があるとされている。そして、聖遺物は高品質な鉄がふんだんに使われているのだ。非鉄製品であっても、この世界ヴァーチャリアで作られる品物とは比較にならないほど品質が高い。素人が見ても一発で聖遺物だとバレてしまうだろう。


「八方ふさがりか…」


「こればかりは…《暗黒騎士リュウイチ》様が既に両替なされた銀貨が到着するのを待つほかございますまい。」

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