第324話 店裏での探り合い

統一歴九十九年四月三十日、昼 - 《陶片テスタチェウス》満月亭/アルトリウシア


 

店長ドミヌス、リトヴァさんが来ました。」


 給仕兼皿洗い兼小間使いとして住み込みで働いている十歳のヒトの少女ハンナは『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナの雇われ店長ヴェイセルの部屋に来ると言いつけ通りに報告した。ヴェイセルは飲みかけのお茶を執務机に置いて伸びをしながら答える。


「ん、そうか。ペッテルは?」


「お言いつけ通り先に知らせました。もう裏口に行ってます。」


「わかった。私もすぐ行くからお前ももう行きなさい。」


 ヴェイセルがそう言うとハンナは「かしこまりました」と頭を下げてヴェイセルの部屋を出て行った。椅子から立ち上がり、自分で肩を揉みながら店の裏へ向かったハンナの後をゆっくりとした歩調で追いかける。

 ヴェイセルが到着した時、リトヴァとペッテルとハンナは既に荷馬車から積み荷を降ろし始めていた。


「あ、店長ドミヌス!?」


「何だい、今日はヴェイセルの旦那が手伝ってくれんのかい!?」


 ペッテルとリトヴァは肩をグリグリ回しながら店の奥から出てきたヴェイセルに驚きの声を上げた。


「ああ、運動不足が気になってな。

 やはり身体は動かさんとなまっていかんよ。」


 苦笑いを浮かべたヴェイセルはそう言うと、荷馬車から荷物を降ろし始める。

 荷物は実はそれほど重くはない。中身は干物や燻製などの乾物だからだ。中身よりもむしろ入れ物の木箱の方が重いくらいだった。それでも普段慢性的に運動不足の人間がエッチラオッチラと運ぶと、それなりに息も上がってくるし汗ばんでも来る。

 荷馬車の荷台の三分の二ほどを埋めていた荷物を降ろし終えると、次は以前納入した分の空き箱を積み込む。繰り返し使うことを前提にした頑丈な造りの木箱だけあって、中身が無い空き箱にもかかわらず意外と重い。

 すべての作業が終わったころには、三人の大人のブッカと一人のヒトの少女はいずれもすっかり息が上がっていた。


「ふぅ~ヤレヤレ、久々にやるとこたえるな。

 ハンナ、悪いがお茶を持ってきてくれ。」


「はい、店長ドミヌス


 ヴェイセルが指三本を立てて数字の2を表すハンドサインを作りながらそういうと、ハンナがお茶を淹れに店の奥へ引っ込んでいった。そしてどうやらヴェイセルは長居しそうだと悟ったペッテルは「じゃあ、私はこれで」とヘコヘコしながらハンナの後を追った。


「ありがたいこったよ!

 ここんトコ手伝ってくれるのペッテルとハンナだけだったからさ。

 あら、ペッテルは?」


 荷馬車の荷台にシートをかけ終わったリトヴァが一人腰を降ろして休憩していたヴェイセルに快活に礼を言うと、ヴェイセルはハンカチで顔に浮いた汗を拭いながら答える。


「あいつぁ伝票でも取りに行ったんじゃないか?

 まあ、座んなよリトヴァ、今お茶が来る。」


「何だい、おごってくれんのかい?

 うれしいじゃないか、御相伴にあずからせてもらうよ。」


 リトヴァは嬉しそうに言ってヴェイセルの隣に腰かけると、ヴェイセルは汗をぬぐいおわったハンカチを畳んでポケットに納めながらリトヴァに話しかけ始めた。


「今日はさっそくウオレヴィ橋を渡ってきたのかい?」


「え?ああ、今日から開通だってね。でもありゃ午後からなんだろ?」


「ああ?昨日工事が終わったって聞いたがな」


「そりゃ工事が終わったのは昨日だけどさ、領主様が最初に渡るとか何とかで…」


「ああ、そういやそんなこと言ってたな…ああ!領主様の馬車が《陶片ここ》を今日通るとか言ってたのはそれか!」


「何だい『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナ店長ドミヌスともあろう方が随分と世間の事に疎いじゃないさ?」


「ハッハッハ…いや、領主様の馬車が通り過ぎたところで、商売に繋がりそうにないからな…お、来たな」


 二人が談笑しているところへハンナがお盆にお茶のはいった茶碗ポクルムを二つ載せて戻ってきた。ヴェイセルは一つとってリトヴァに手渡し、もう一つを自分で取る。それを見てハンナはお辞儀して店へ戻っていった。


「ありがと…でも橋が開通したってのは商売に影響あるんじゃないのかい?」


「どうかな…仕入れには影響あるだろうが、客足にどれだけ影響があるかはわからんよ。橋の向こうは今は一面の焼け野原だし、そもそも貧民街の住民は『満月亭ウチ』には来ないからな。

 セーヘイムから来る客は元々そんなに多くなかったし…ズズっ」


 ヴェイセルはありがたそうにお茶をすする。それを横目にリトヴァは自分の茶碗ポクルムを回して熱いお茶が冷めるのを待っていた。彼女は猫舌だから、熱いお茶は苦手だったのだ。

 リトヴァはため息をついた。


「なんだい、景気は良くなんないねぇ…」


 リトヴァの彼女らしくない愚痴を打ち消すように、ヴェイセルは大きな舌鼓したつづみを打つと、盛大に息を吐いて景気のよさそうな話を始める。


「タッ…ハァ~~~っ

 そうでもないさ。ありがたいことに領主様が焼け出された領民を雇い入れて随分と賃金をばら撒いてくだすってる。

 日払いじゃないからまだ実際に金を受け取った者はいないが、そいつが支払われればアブク銭握りしめた奴がらしに来てくれるだろうよ。」


「ホントかい!?

 そりゃいいねぇ。でもそれっていつ頃になりそうなんだい?」


「さあな、だが郷士様リクハルドがおっしゃるには、領主様はどうやら大口の融資を受けてて景気のよさそうなことを言ってるそうだ。」


 リトヴァは一度はパァっと表情を明るくしたが、ヴェイセルの話を聞いて少し怪訝な表情を浮かべる。


「ええ、アタシもそれ聞いたけど、キュッテルから借りてるって話じゃないのかい?」


 リトヴァが聞いた噂ではエルネスティーネとルキウスが御用商人から無理矢理金を借りていて、このままでは侯爵家も子爵家もその御用商人たちも破産するかもしれないとのことだった。

 ヴェイセルは半分笑いながらそれを打ち消す。


「いや、違うぞ。キュッテルがアルトリウシアこっちに来る前に、領主様は既に借り入れられておられたそうだ。これは郷士様リクハルドから直接聞いたから間違いないぞ。」


「へぇ~、じゃあ誰から借りたんだい?スゴイ額だって話じゃないさ」


「さあなぁ…随分と景気のイイ御大尽が居るんだろうよ。」


「ふーん」


 リトヴァは茶碗ポクルムに口を付けた。まだ熱い気がしたが、飲めないほどでもなかったのでズズッと音を立てて啜る。


「御大尽と言えばさ…あれからリュキスカのこと何かわかったのかい?

 なんかとんでもない御大尽がさらっていったって話じゃないさ。」


 ヴェイセルは特に表情を変えずにズズっとお茶を啜り、もったいぶったように舌鼓を打ってハァーっと盛大に息を吐く。


「それがな」


「うんうん?」


「まだ何もわからん。」


 リトヴァはあからさまにガクッと脱力する。もったいぶったヴェイセルの態度から何か重大な事実が語られるかと期待したのに思いっきり肩透かしを食らってしまった。

 そのリトヴァの様子を面白がるようにヴェイセルは笑いながら続けた。


「むしろ、こっちが知りたいくらいでな。はっはっは」


「ヴェイセルの旦那以上にリュキスカあの子の事知ってる人なんているわけないじゃないさ。」


 リトヴァは拗ねるように背を壁に預けて口を尖らせる。


「いやいや、私なんぞはリュキスカが《陶片こっち》に来てからの付き合いだからな。本当に大したことは知らんよ。

 ところが、みんなが私が一番知ってると思ってるらしくて色々聞きに来る。困ったもんだよ。」


「そりゃそうじゃないさ。

 ヴェイセルの旦那ぁリュキスカあの子の後見人みたいなもんだろ?」


 ヴェイセルもリトヴァのように壁に背を預けると、愚痴るように続ける。


「いやぁ、そりゃエレオノーラ姐さんだよ。まあ、確かに面倒は見ることにゃなったが、私ゃエレオノーラ姐さんから押し付けられたようなもんでね。

 そっちに訊きに行ってくれりゃいいんだが、姐さんもアルビオンニウムにいたころに顔見知りだったってぇだけみたいだからなぁ。」


「エレオノーラさんなんかに訊けるわけないじゃないさ。

 アタシから見りゃエレオノーラあの人だって雲の上の人だよ?」


「だろうな。私にとってもおいそれと口を利ける相手じゃない。」


 ズズッ…二人は同時にお茶を啜る。


「ただ、こっちもリュキスカの身内がいるなら探したいと思ってるんだ。

 ここんトコ、リュキスカあいつに興味を持って探ってる奴ん中に身内が居るんじゃないかって勘繰かんぐってんだがねぇ。」


「そうなのかい?」


「ホラ、今回の件でリュキスカあいつの噂を聞いて、生き別れた身内じゃないかってさ…お前さん、何か知らないかい?」


「アタシ!?

 アタシゃ知らないよ。

 アタシャほら、リュキスカあの子によく荷下ろし手伝ってもらってたから居なくなって心配してんだよ。」


 慌てるリトヴァの言い訳にヴェイセルはため息を一つつくと、お茶を飲みほして言った。


「ふーん、そうかい。

 ただまあ、こっちも本当に知りたいとは思ってるんだ。

 何か分かったら教えてほしいくらいだよ。」

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