第153話 牧草地のダイアウルフ
統一歴九十九年四月十六日、昼 - リクハルドヘイム/アルトリウシア
昨日に引き続き、今日は天気が良い。ちなみに、アルトリウシアで「天気が良い」とは雨や霧が無い事を指し、必ずしも空を雲が覆っていないことを意味するわけではない。しかし、今日は青空よりも雲の方が多い天気ではあるのだが、実際に晴れ間が見えて空に浮かぶ雲も白く見えることだし、アルトリウシアにしては極めてといって良い程度のいい天気ではあった。
リュウイチに別れの挨拶を告げたカエソーとアントニウスの一行は侯爵家と子爵家が用意した馬車に乗って
歓送のために街道に出て来ていた人たちの多くは半ば強制的に動員されたアルトリウスを始め
こういった動員は被保護民にとっては当たり前の義務であり、あまり負担をかけずに
これによって彼らの保護民であるアルトリウスらはカエソーら客人たちの貴族としての面目を立てる事ができ、下手な贈り物を送るよりもよほど礼を尽くすことになるのだった。
カエソーとアントニウスの他その従者たちを含む三十八人は、その荷物も含め八台の馬車に分乗し、侯爵家、子爵家の衛兵隊と
住民の歓送を印象付けるため、あえてゆっくりと進んでいた車列は城下町を抜けるとようやく通常の速度で走り出した。
車列よりも前を先触れが進んでいたため、街道上にいた他の通行者たちは事前に脇に避けるなどして道を開けているので、一行の進行は実にスムーズだ。
マニウス街道を進む一行がヤルマリ川を渡り、リクハルドヘイムを見渡せる場所まで来てしばらくすると、カエソー、アントニウスとアルトリウスが乗った馬車に護衛兵が馬を寄せて来て、窓越しにアルトリウスに声をかけた。
「
このため、建物であれ馬車であれ船であれ、ガラス窓という物はほぼ存在しない。王宮や大聖堂といった特別な場所にわずかにある程度で、それもほとんどがステンドグラスだ。
普通の窓は木戸があるのみで、光は通さない。少し贅沢な造りの窓になると、木戸の内側に向こう側が透けて見える薄絹を張った網戸のような窓が
今、アルトリウスらが乗っている馬車の窓もそうした造りになっており、天気がいい事もあって木戸の開け放たれている窓には見事なレース編みの施された網戸がはめ込まれていた。
アルトリウスがその薄絹ごしに護衛騎兵の様子を見ると、その顔には何やら異変を察知したような緊張感がうかがえた。
「何だ?」
「その、閣下、外をご覧いただきたいのですが・・・」
「?」
四人乗りの馬車は二人掛けのベンチシートが前向きと後ろ向きに向かい合わせで設えられている。前向きのシートに客人であるカエソーとアントニウスを座らせ、アルトリウスは後ろ向きのシートに座っていた。
アルトリウスはカエソーらに「失礼」と断りを入れると、そのまま網戸を開けて顔を外に出す。
「何だ、何かあったのか?」
「はい、アレを御覧ください。」
馬に乗ったまま馬車と並走するその騎兵は左手の牧草地を指さした。
「?
何かあるのか?
お前の馬の頭が邪魔で何も見えんぞ」
「こ、これは失礼しました。」
騎兵が手綱を引いて並走していた馬を下がらせると、ようやく視界が開けた。
騎兵が何を見せようとしたのかわからないが、何かあるのだろうと牧草地を見渡すと・・・それはすぐに見つける事が出来た。
「!!」
かなり遠い距離だが、それはかなり目立つ存在だった。
牧草地をとぼとぼと歩く巨大なダイアウルフ二頭、そして何故かそのうちの一頭の背中には遠目にも目立つ赤いフードを被った子供。
「停止!おい!馬車を止めろ!!」
アルトリウスは停止を命じた。
「?何かあったのですか?」
カエソーやアントニウスはアルトリウスが慌て出したことで急に外の様子が気になりはじめた。同じく馬車の左側の窓から外を見ようとする。
馬車が停止すると、
急に車列が停止したことに驚いた衛兵隊長が隊列先頭から馬首を返して駆けつける。
「閣下!どうかなさいましたか!?」
「あれは何だ?
どういうことだ!?」
アルトリウスはダイアウルフを指さして衛兵隊長に問いかける。最初は緊迫感を漂わせていた衛兵隊長だったが、アルトリウスの指さす先にダイアウルフを見つけると安堵したかのように緊張を解いて答えた。
「あ?ああ!
あれはダイアウルフですな。」
「それは見れば分かる!
あれは
「はい・・・ああ!閣下の下にはまだ報告が届いておらんのですな?」
「報告だと?」
「はい、昨日リクハルド卿から
あいにくとその時、子爵閣下はマニウス要塞へ出かけられておられましたので、実際にその報告を受け取られたのは昨日の夜になってからの事でしたが・・・
一昨日の夜、負傷したゴブリン騎兵一名とダイアウルフ二頭を捕まえたとのことです。あれはその二頭でしょう。」
衛兵隊長の落ち着いた様子で説明する。
情報伝達速度の遅い世界ではこういう事は珍しくない。というより、当たり前に起こる事だった。戦争ともなれば終戦の知らせが間に合わなかった部隊同士で熾烈な戦いが繰り広げられることさえあるし、逆に開戦の知らせが届かなかったがために一方が奇襲を受けたり、あるいは両陣営の将兵同士が開戦を知らずに一緒に酒を飲んでいたなんてこともある。
「おお、
ダイアウルフがいますよ。」
「あれが!?
聞きしに勝る大きさですな!!
馬のようだと聞きましたが、馬より大きいのでは!?」
「いや、乗っているのは子供のようです。
やはり、やや小型の馬くらいの大きさですよ。」
「おお、そういえば狼の足元に犬がいる。
なるほど、馬くらいの大きさですな。」
アルトリウスの背後の馬車からは能天気な感嘆の声が聞こえてくるが、アルトリウスは緊張を解かなかった。
「馬を!」
ダイアウルフは危険な猛獣である。リクハルドの報告は「捕まえた」となっているかもしれないが、今見えているダイアウルフはとても捕まえられている状態には見えない。自由に散歩しているようだ。
しかも付いているのが子供一人と犬一頭。いや、ホントに付いているのか?
幸い、彼の手元にはまとまった騎兵がおり、ダイアウルフ二頭程度なら狩ることもできるだろう。
アルトリウスは様子を見に行くことに決めた。
「閣下!?」
アルトリウスの剣幕に驚いた衛兵隊長が戸惑っている間に、部下がアルトリウスの馬を曳いてきた。
「私は様子を見てくる。
必要とあればあのダイアウルフを狩るかもしれん。
貴様らは
アルトリウスはそう叫ぶように言うと馬の腹を蹴ってダイアウルフに向かって駆け出した。それを見て車列を囲んでいた軍団の騎兵隊が列から抜けてアルトリウスを追いかけ始める。
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