第154話 営業準備
統一歴九十九年四月十六日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア
「例の件だが、向かいにある
これが鍵だ。」
クィントゥスがゴトリと音を立て、やけにゴツい青銅製の鍵を卓上に置く。
「もちろん、掃除等は自分たちでやらねばならん。
あと、間違っても外から覗かれないように、外に面した窓は全部締め切ったままにする。」
何の話かと言えばもちろん朝方アルトリウスに相談した部下たちの性欲処理の話である。クィントゥス率いる特命大隊は機密保持のために要塞外への外出が厳しく制限されている。
健康的で体力のあり余った若い男たちが要塞内に閉じ込められていれば、当然溜まる物が溜まって来る。そして溜まった物は吐き出さねばならない。
本来なら自分一人で処理しろと命じて終わってしまうところだが、現在要塞内には多数の避難民を収容しており、その大半は女性だ。しかもその中には娼婦も結構な割合で混ざっている。
そして、溜めに溜め込んだ男たちの目と鼻の先に女がうろついていて、しかも仕事にあぶれた娼婦は何とか商売できないかと事あるごとに
アルビオンニウムからサウマンディア経由で帰ってきた連中は、まだサウマンディウムやナンチンで一度処理しているだろうが、アルビオンニウムから直接アルトリウシアに帰ってきた『ナグルファル』号乗船組はもう十日以上処理してないのである。
もう限界だ。
家から焼け出された女性避難民が性犯罪被害にあわないようにするために要塞に収容したのに、その要塞内で間違いが起こっては
そこで、特別に娼婦を呼び込んで営業してもらうことになったのだった。
クィントゥスが今説明しているのはそのための場所についてである。
「よく
「いや、許可は得ていない。」
「え、いいんですか?」
「もちろん、よくないよ!
ただ、公式に許可は得てはいないが、黙認はしてもらえることになっている。
いいか!?
あくまでも黙認だからな?
だから、このことは絶対に他言無用だ。兵達にも厳しく言い含めて置けよ?
ここから機密が漏れでもしてみろ、どうなるかわからんぞ。
ここで一同は自分たちが結構危ない橋を渡ろうとしている事に気付いた。
クィントゥスが宿舎の鍵を貰って来た事でてっきり要塞司令官の許可が得られたものだと思っていたが、そうではないらしい。
ここでクィントゥスの顔にわずかでも笑みが浮かんでいたなら多少は安心もできただろうが、残念ながらその目は真剣そのものだった。
「小官の隊は今日は待機なので、場所の準備はウチでやりましょう。
しかし、肝心の業者の方はどうしますか?」
百人隊長の一人が言った。
「一番の問題はそれなんだよ。
無論、
誰かそっち方面に知り合いはいないか?」
クィントゥスが質問に答えながら部下たちを見まわす。
しかし、百人隊長らの反応は芳しくなかった。
「何でもいいから連れて来いというのなら適当な奴はいますが・・・」
「変なトコから連れて来ると病気の問題もあるしな。」
「それよりも機密保持に協力してもらえるかどうかだ。」
「うむ、口が堅くて信用できる業者となるとなぁ・・・」
レーマ帝国はコネ社会だ。コネの無い人間、コネを作れない人間は出世できない。
レーマ軍で百人隊長になるというだけでも結構なコネが必要で、心付けやあいさつをどれだけマメにやれるかが出世のカギとなる。このため、百人隊長になれる人物となると、実際かなり顔の広い人間が多い。
しかし、軍内での出世に必要なのは軍内でのコネクションだ。
もちろん、軍と取引のある御用商人等とのコネクションも必要ないわけでは無いが、御用商人は軍属扱いであり軍の外の人間というわけでもない。
貴族出身でもない彼らが百人隊長になるためには、その財力は軍内のコネクション強化に傾注しなければならないこともあって、軍の外にコネクションを持っている者はほとんどいなかった。せいぜい実家や親戚、子供の頃の友人といった繋がりがある程度であろう。
「あ、あの・・・」
そのうち一人の百人隊長が手をあげた。
「セルウィウス!
何かアテがあるのか?」
「いや、直接アテがあるわけじゃありませんが、ホントに皆なんもアテがないなら
「実家って・・・確か乾物屋だろ?」
「酒も塩も穀物も手広く扱ってますよ。
それに仲買いもやってるんで、そういう店とも多少は取引がありますから・・・」
「なるほど・・・じゃあ、セルウィウスに頼んでみるか?」
見回すと他の百人隊長らに異存はなさそうだった。
「じゃあ、さっそく行って見ます。
今日は無理かもしれませんが・・・」
「分かってる。
だが、なるべく早く頼む。
我々はまだいいが、兵たちはもう限界だ。」
今この場にいる百人隊長は全員妻帯者だった。
実際には軍団の許可を得ないまま結婚してしまう兵もいて黙認されているような状態ではあったし、一昨年の火山災害で生じた欠員補充の募兵では妻帯者も対象としたため、要塞の外に家庭を持っている兵が居ないわけでは無かった。
そういう兵士らは要塞には帰還したのに家庭には戻ってこないとなると、それはそれで機密保持の観点からよろしくないだろうということで、自分の家に帰る場合に限って要塞からの外出を許可されていたが、大部分の独身兵士らは要塞内にこもりっぱなしの状態が続いている。
「兵どもの手綱を今一度引き締めて置け。
早ければ今日、遅くとも明日明後日までの我慢だと。」
話を終えると百人隊長たちは部署へ帰って行った。それを見届けたクィントゥスが最後に部屋を出ると、話しかける者があった。
「旦那、
振り返るとそこにはリュウイチの奴隷の一人が立っていた。
「ん、あー・・・」
「リウィウスです、
「ああ、そうだ、リウィウスだった。何か?」
「何かじゃありやせんや、何が早くて今日、遅くとも明日明後日なんですか?」
クィントゥスは思わず目をむいた。
「聞いていたのか!?」
「いや、たまたま聞こえちまっただけですよ。
ほら、アッシは旦那方が出てったあとの部屋を片付けなきゃなんねぇもんでね、そろそろ終わったかなぁ~って、来てみたらまだお話し中だったもんで外で待ってたらね。
いや、聞いちゃまずい事でしたってんなら忘れますがね?」
確かにリウィウスは掃除道具を持っていた。
「
「そりゃねえや。
お互い身分は違えど、リュウイチ様の身辺を整えるってぇ役目は同じじゃねぇですか。仲良くして損はねぇと思うんですがね?」
「何か期待しても無駄だぞ?」
「要塞の外への外出制限がなくなるとかじゃねえんですかい?」
クィントゥスの
「違うぞ。
この外出制限は当分続く・・・多分、あと二か月以上・・・」
「そんなに?」
リウィウスはいかにもガッカリしたという風な表情でクィントゥスを見上げる。
「だいたい、
「野暮は言いっこなしですぜ、
「奴隷の身分じゃ遊べないだろ?」
ヤレヤレと言わんばかりのクィントゥスの態度にリウィウスは少しへそを曲げる。
「アッシらだってお給金も貰えりゃ、色々支度金だって貰ってまさぁ。
買っとかにゃなんねぇもんだってありやすし、一応外にゃ
口調に怒気は含まれていないが、少しばかりムキになったリウィウスの張ったあからさまな見栄にクィントゥスは呆れた。
「何が
金があるってまだ給料は貰ってないんだろ?
支度金で遊んでいいわけ無いだろうが。」
「もちろん、別に今すぐ遊ぼうってわけじゃありやせんや。
けど、ちっと顔見るぐれぇかまやしねぇじゃねえですか?」
「かまうから外出制限がかかってるんじゃないか。
どのみち外出許可は当分下りないぞ?」
「ほんじゃあ、何が『遅くて明日明後日までの我慢』なんで?」
そうは言いつつもリウィウスは既にアタリを付けていた。実は隊長たちの会話はほとんど全部聞いていたのだ。
百人隊長らは大丈夫だが兵たちが限界、要塞司令官は許可しないが黙認、周囲にばれないよう秘密厳守、下手な業者を入れると病気の心配がある、業者も機密保持へ協力させる、兵の外出制限はそのまま・・・そこまで聞けば肝心な部分をごまかしても軍隊生活の長かったリウィウスに大方の予想を付けるのは難しくない。
答えず無言のまま立ち去ろうと背を向けたクィントゥスにリウィウスはすかさず声をかける。
「女ですね?」
クィントゥスは思わず振り返った。
「あたった、やっぱりだ!」
ニヤッと笑うリウィウスの顔を見て、クィントゥスは観念したようにため息をついた。
「・・・
「そう言わんでくだせぇ、
似たような境遇の仲間じゃありやせんか。
こっからお互い助け合ってリュウイチ様のお世話しなきゃいけねぇんですぜ?」
やっかいなのに絡まれた・・・クィントゥスは何か弱みでも握られてたかられているような気になった。まあ、実際に弱みを握られてはいる。
要塞内で娼婦に営業してもらう・・・一応、
リウィウスは要塞外には出れないが、要塞内は自由に歩き回れるし、要塞内には部外の兵も避難民もいる。ばらそうと思えばばらすことは簡単だ。
かといって、既に軍団から籍を抜き、リュウイチの
「・・・何をどうしたいんだ?」
「へっへ、何、別に
ただ、アッシらも利用さしていただけりゃあそれで十分で。」
「金は払ってもらうぞ?」
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