第797話 ルードの御供(1)

統一歴九十九年五月十日、午後 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



「急な話ではありましたが、護衛を二人ほど用意はさせていただきました。」


 レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールはそう言いながら背後の侍従に合図する。


「二人?」


 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフの目元がピクリと反応する。

 彼女としてはあまり面倒な人間を息子ルード・ミルフ二世に近づけたくはない。ルードに限らずゲイマーガメルの血を引くムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムえにしを結びたいと望む者は世界中どこにでも居る。彼らにとって聖貴族は金の卵を産む鶏以上の価値がある。そして、そういう価値を求めて寄って来る貴族が聖貴族にとって必ずしも付き合うに値する人間とは限らない。

 貴族たちが求めるのは聖貴族の持っている聖遺物アイテム、そして血である。聖遺物は言うまでも無くこの世界ヴァーチャリアの至宝であるし、それに対して何らかの権利を有することができればそれだけでステータスとなる。それがなくとも聖貴族からゲイマーに連なる血を分けてもらい、親族に魔力を持つ者を一人でも産ませることができたなら、その一族の繁栄は約束されたようなものだ。

 だがそれらだけを求めて寄って来るような欲深い貴族などと付き合ったらどうなるか?……フローリアの考える限り、不幸な未来しか待ってはいない。


 欲深な貴族は聖貴族を確実に堕落させてしまうだろう。贅沢に溺れさせ、酒色にふけらせ、ただただ子を産ませようとする。残念ながらフローリアが育てた聖貴族のうち、既に成人したヒトの聖貴族の中にはそんな種馬のようになってしまった者が何人か存在した。


 ルーディだけは絶対そんな風にはさせないわ……


 ムセイオンが人の出入りを制限し、閉鎖的な環境を保っているのはそうした俗世間の毒気から大切な子供たちを守るためだった。本来、外の人間との余計なつながりなどフローリアは増やしたくないのである。

 立場上、公式行事等で外部の人間と接しなければならない場面は多々あったし、ルードを同席させることも少なくなかったが、それでも外の人間との不用意な接触は可能な限り避けるようにしている。普段、ルードにポーカーフェイスを保つようにさせているのもその一環だった。

 当然だが、フローリアは今回のことでもなるべくルードに変な虫が付くことだけは避けなければと考えている。もしもマメルクスがおかしな貴族をあてがってくるようなら、今からでもルードの派遣の承認を取り消す気でいた。

 が、だというのにマメルクスは選んだのは二人だという。一人でも嫌なのに二人も宛がわれるとなるとフローリアの警戒心は否応も無く高めざるを得ない。


「何せ赤道直下のクィンティリアから大陸最南端のサウマンディウムという広い範囲ですからね。それだけの広い範囲に土地勘を持ってるものなど、そうそう見つかるものでは無いのです。」


 マメルクスが弁解がましく説明しているうちに、部屋の入口から屈強そうな二人の男が入ってきた。どちらもヒトであるが肌の色が普通のレーマ人とは異なる。片方はやや赤らんだ白い肌で、髪は明るい茶色で薄青色の瞳をしている。ハーフエルフの耳を短くして体格をゴツくしたような……と言えなくもない。もう片方の肌は黒褐色で髪と瞳は黒。やはり筋肉質でかなりなマッチョだが、こっちは顔中……いや、衣服で隠されずに外から見えている部分全部に大小の傷跡があった。二人ともここがレーマの宮廷で、しかも皇帝の御前であるにもかかわらず正衣トガまとっていない。

 二人はあらかじめそうするように言われていたのであろう、マメルクスから二メートルほどのところで立ち止まると無言のままひざまずいてこうべを垂れた。


「彼らが!?」


 フローリアはあからさまに顔をしかめた。逆にルードの方は頬をほころばせながら目をまるめ、やや背を伸ばすように二人を観察しており、ワクワクしている様子が明らかだ。ロックス・ネックビアードの反応はどちらかというとフローリアのそれに近い。


「はい、奴隷です。

 貴族の中には土地勘があって、護衛役も務まるような都合のいい者がみつかりませんでね。」


「「「奴隷!?」」」


 三人が一斉に驚きの声を上げる。もちろん、その声色はルード一人だけ他とは違っていたが……。


「一人は鉱山奴隷でした。名はスケレストゥス。」


『悪党』スケレストゥスぅ?」


 マメルクスが一方の名を教えるとルードは面白そうに顔をニヤつかせるが、フローリアの方はその名が持つ意味を察して小さくため息をついた。


「おそらく、記録抹消刑ダムナティオ・メモリアエに処された元犯罪者です。

 奴隷に堕とされるのと同時にすべての記録を抹消された犯罪者はそういう名を与えられるのですよ。」


「そのような者を御傍に置かれておられるのですか、陛下は?」


 記録抹消刑はある意味死刑以上の極刑である。

 人間は自らの存在を誰かに認知されることで存在意義が生じる。つまり、誰かに知ってもらえること、関心を持ってもらえることこそが、その人が生きている証と言えるのだ。仮に肉体が生きていても誰にもその存在を知られていないのなら、その人物は存在していないのと同じ……つまりということになる。逆に言えば、たとえ命を落として肉体が滅んだとしても、今を生きる誰かの記憶に留まり、思い出されて話題にされるのであれば存在しているのと同じだ。もし、その意思を尊重する誰かによって何かを実現してもらえるのであれば、それは間接的にではあってもこの世に影響を及ぼしたことになるだろう。よって、肉体は滅んだとしてもということになる。

 記録抹消刑とはそうした死生観に基づく最高刑だ。すべての記録からその人の存在を抹消し、この世に一切の影響力を及ぼせないようにする……つまり、その人のなのである。


 もちろん、そのような刑に処されるなど並大抵のことではない。既に記録が抹消されているので確認はできないのかもしれないが、とてつもない重犯罪を犯したであろうことは間違いなかった。フローリアが驚くのも当然であろう。

 だがマメルクスはフローリアの指摘に小さく笑って返した。


「彼は奴隷として鉱山に送られたのですが、そこで落盤事故に遭いましてね。

 彼自身、事故以前の記憶が無いのです。そのうえ……」


 マメルクスの説明によるとスケレストゥスは落盤事故で重傷を負い、鉱山の近くにあったレーマ正教会に引き取られて治療を受けた。やがて傷は癒えたが、驚いたことにスケレストゥスは記憶を失くしたばかりか人格までもが大きく変わり、まるっきり別人になってしまっていたのだ。落盤事故以前の彼を知っている鉱山関係者たちは一様に信じられないと驚いたという。


 極刑に処されるほどの重罪を犯した彼が行きながらにして生まれ変わった。

 これは神の奇跡だ!!


 オリエネシア・レーマ正教会はそのように喧伝けんでんし、鉱山労働からの解放を求めた。犯罪奴隷として鉱山で働かされていた彼ではあったが、奴隷である以上は売買は可能であるため教会側が買い取ることになり、その後は神の奇跡……その生きた証としてオリエネシア属州中のレーマ正教会を連れまわされたのだという。

 ところがその過程でスケレストゥスの所有者となっていた司教が賊に襲われて死亡し、奴隷からの解放手続きが済んでいなかったスケレストゥスはそのまま転売されてレーマに流れて来たのだという。


「その後、彼はレーマで剣闘士グラディエーターとして頭角を現しましてね。

 それから経歴の面白さもあって余が買い取ったのですよ。」

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