第797話 ルードの御供(1)
統一歴九十九年五月十日、午後 ‐ 『
「急な話ではありましたが、護衛を二人ほど用意はさせていただきました。」
「二人?」
彼女としてはあまり面倒な人間を息子ルード・ミルフ二世に近づけたくはない。ルードに限らず
貴族たちが求めるのは聖貴族の持っている
だがそれらだけを求めて寄って来るような欲深い貴族などと付き合ったらどうなるか?……フローリアの考える限り、不幸な未来しか待ってはいない。
欲深な貴族は聖貴族を確実に堕落させてしまうだろう。贅沢に溺れさせ、酒色に
ルーディだけは絶対そんな風にはさせないわ……
ムセイオンが人の出入りを制限し、閉鎖的な環境を保っているのはそうした俗世間の毒気から大切な子供たちを守るためだった。本来、外の人間との余計なつながりなどフローリアは増やしたくないのである。
立場上、公式行事等で外部の人間と接しなければならない場面は多々あったし、ルードを同席させることも少なくなかったが、それでも外の人間との不用意な接触は可能な限り避けるようにしている。普段、ルードにポーカーフェイスを保つようにさせているのもその一環だった。
当然だが、フローリアは今回のことでもなるべくルードに変な虫が付くことだけは避けなければと考えている。もしもマメルクスがおかしな貴族をあてがってくるようなら、今からでもルードの派遣の承認を取り消す気でいた。
が、だというのにマメルクスは選んだのは二人だという。一人でも嫌なのに二人も宛がわれるとなるとフローリアの警戒心は否応も無く高めざるを得ない。
「何せ赤道直下のクィンティリアから大陸最南端のサウマンディウムという広い範囲ですからね。それだけの広い範囲に土地勘を持ってるものなど、そうそう見つかるものでは無いのです。」
マメルクスが弁解がましく説明しているうちに、部屋の入口から屈強そうな二人の男が入ってきた。どちらもヒトであるが肌の色が普通のレーマ人とは異なる。片方はやや赤らんだ白い肌で、髪は明るい茶色で薄青色の瞳をしている。ハーフエルフの耳を短くして体格をゴツくしたような……と言えなくもない。もう片方の肌は黒褐色で髪と瞳は黒。やはり筋肉質でかなりなマッチョだが、こっちは顔中……いや、衣服で隠されずに外から見えている部分全部に大小の傷跡があった。二人ともここがレーマの宮廷で、しかも皇帝の御前であるにもかかわらず
二人は
「彼らが!?」
フローリアはあからさまに顔を
「はい、奴隷です。
貴族の中には土地勘があって、護衛役も務まるような都合のいい者がみつかりませんでね。」
「「「奴隷!?」」」
三人が一斉に驚きの声を上げる。もちろん、その声色はルード一人だけ他とは違っていたが……。
「一人は鉱山奴隷でした。名はスケレストゥス。」
「
マメルクスが一方の名を教えるとルードは面白そうに顔をニヤつかせるが、フローリアの方はその名が持つ意味を察して小さくため息をついた。
「おそらく、
奴隷に堕とされるのと同時にすべての記録を抹消された犯罪者はそういう名を与えられるのですよ。」
「そのような者を御傍に置かれておられるのですか、陛下は?」
記録抹消刑はある意味死刑以上の極刑である。
人間は自らの存在を誰かに認知されることで存在意義が生じる。つまり、誰かに知ってもらえること、関心を持ってもらえることこそが、その人が生きている証と言えるのだ。仮に肉体が生きていても誰にもその存在を知られていないのなら、その人物は存在していないのと同じ……つまり生きているとは言えないということになる。逆に言えば、たとえ命を落として肉体が滅んだとしても、今を生きる誰かの記憶に留まり、思い出されて話題にされるのであれば存在しているのと同じだ。もし、その意思を尊重する誰かによって何かを実現してもらえるのであれば、それは間接的にではあってもこの世に影響を及ぼしたことになるだろう。よって、肉体は滅んだとしても魂は生きているということになる。
記録抹消刑とはそうした死生観に基づく最高刑だ。すべての記録からその人の存在を抹消し、この世に一切の影響力を及ぼせないようにする……つまり、その人の魂そのものに対する死刑なのである。
もちろん、そのような刑に処されるなど並大抵のことではない。既に記録が抹消されているので確認はできないのかもしれないが、とてつもない重犯罪を犯したであろうことは間違いなかった。フローリアが驚くのも当然であろう。
だがマメルクスはフローリアの指摘に小さく笑って返した。
「彼は奴隷として鉱山に送られたのですが、そこで落盤事故に遭いましてね。
彼自身、事故以前の記憶が無いのです。そのうえ……」
マメルクスの説明によるとスケレストゥスは落盤事故で重傷を負い、鉱山の近くにあったレーマ正教会に引き取られて治療を受けた。やがて傷は癒えたが、驚いたことにスケレストゥスは記憶を失くしたばかりか人格までもが大きく変わり、まるっきり別人になってしまっていたのだ。落盤事故以前の彼を知っている鉱山関係者たちは一様に信じられないと驚いたという。
極刑に処されるほどの重罪を犯した彼が行きながらにして生まれ変わった。
これは神の奇跡だ!!
オリエネシア・レーマ正教会はそのように
ところがその過程でスケレストゥスの所有者となっていた司教が賊に襲われて死亡し、奴隷からの解放手続きが済んでいなかったスケレストゥスはそのまま転売されてレーマに流れて来たのだという。
「その後、彼はレーマで
それから経歴の面白さもあって余が買い取ったのですよ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます