第796話 説得

統一歴九十九年五月十日、午後 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



「叛乱を起こしたハン支援軍アウクシリア・ハンが既に鎮圧されたか、あるいは遠くどこかへ逃げ去ったであろうことは昨日も陛下からおうかがいしました。

 そのことには私も疑念は抱きません。

 現地を守るアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアアヴァロンニア軍団レギオー・アヴァロンニア末裔まつえいだそうですからね。

 ですが、ダイアウルフを駆るハン支援軍アウクシリア・ハン脆弱ぜいじゃくだとおっしゃるのは、過小評価がすぎるのではありませんこと?

 仮に一個大隊コホルスの兵力しかなかったとしても、偉大なレーマ帝国インペリウム・レマヌムが百万もの大軍を用いてようやく降したハン族ですもの。大暴れした後のアルトリウシアが今もなお、子爵令嬢のお話になられた通りの情勢だと想像するのは、あまりにも楽観的すぎます。」


 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフはそう言うと、飴細工を四つも溶かし込んだ焙煎香茶を口元へ運んだ。それを見たマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは何故か自分の口の中にまで甘味が広がったような錯覚を覚え、思わず眉を寄せる。


 どうやらフローリアの不安をぬぐいさってルード・ミルフ二世のアルトリウシア派遣を認めさせるには、グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢の説明だけでは不十分なようだった。

 フローリアの言い分には確かに一理ある。最速の通信手段をもってしても一か月はかかる辺境の情勢が今現在どうなっているかなど分かりようがない。軍隊が叛乱を起こしたのは確かなようですが弱小部隊だしもう鎮圧されてるだろうから現地は大丈夫でしょう……なんて言われて現地へ旅行に行こうなどと言う者は救いようのない阿呆だけである。


 いかがかしら?……言葉にはしないがマメルクスへ向けられたフローリアの視線はそう語っていた。マメルクスの対面に座って母の様子を見守るルードの目はいつの間にか冷めてしまっている。


 しかし、《暗黒騎士ダーク・ナイト》の親戚らしきゲイマーガメルがアルビオンニアに降臨したという情報がムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムたちに届く前に現地で現状確認と降臨者の評価を終わらせねばならない以上、現地にルードを送り込むのは絶対条件だ。まさかフローリアが言うように彼女自身が直接乗り込むのを認めるわけにもいかない。

 マメルクスは頬杖でもつくように上体全体を右へかしげ、右手で口元を覆って考え込む振りをした。そのまま押し当てた人差し指で鼻の下をさすりつつ鼻で大きく深呼吸する。


「わかりました。」


 マメルクスの発したその一言にルードとロックス・ネックビアードがハッと視線を向ける。ここで皇帝インペラートルが折れるということは、ルードが単独でムセイオンの外へ出かける可能性が無くなることを意味する。それはルードにとって大きな失望であり、ルードの気持ちに気づき同情していたロックスにとってもそれは同じだったからだ。だが、二人が失望するには少しばかり気が早かった。


「ではミルフ殿にはサウマンディウムまで行っていただくのはいかがでしょうか?」


「「サウマンディウム?」」


 意外な提案にフローリアとルードが声をそろえて訊き返す。


「サウマンディウムはサウマンディア属州の州都です。

 南レーマ大陸メリディオナリス・コンチネーンス・レーマエの最南端に位置する港湾都市で、アルビオンニアは海峡を挟んだ対岸です。アルビオンニア属州へ行くにはそこから船でアルビオン海峡を渡らねばなりません。

 属州領主ドミヌス・プロウィンキアエのサウマンディウス伯爵はこの間のメルクリウス騒動を担当する責任者で、今回の降臨の報告を上げて来た領主貴族パトリキの一人ですから、現地の詳しい話を聞くことができるでしょう。

 そこから先をどうするかは、伯爵の話を聞いてから決めればいい。」


 単純な話だ。現地が危なければ安全な範囲で行けるところまで行って様子を確認すればよい。しかし百年ちかくムセイオンに籠って外へ出る機会がほとんどなかった彼らにとっては目から鱗が落ちるような提案だったようだ。フローリアは目をき、それとは対照的に向かいのルードの表情がパアッと明るくなる。マメルクスの右隣りに座るロックスはわずかに身を乗り出し、他の三人の顔を盛んに見渡していた。


「サ、サウマンディウムにまで叛乱の影響が及んでいることは!?」


「それはあり得ません。」


 あくまでもルードを外に出したくないフローリアは重箱の隅でもつつくかのようにマメルクスの提案のあらを探ろうとするが、マメルクスは余裕の表情で首を振った。


「何でそんなことが言えるのですか!

 ハン支援軍アウクシリア・ハンは船で逃げたのでしょう!?」


ハン支援軍アウクシリア・ハンは内陸のアーカヂ平原出身のゴブリンの騎兵です。彼らは海に関しては全くのド素人で、船もまともに扱えません。

 そしてアルビオンニアとサウマンディアを隔てるアルビオン海峡は世界有数の海の難所です。ハン支援軍アウクシリア・ハンが自力で海峡を渡るなんて、逆立ちしたってあり得ませんよ。」


 マメルクスは背中を背もたれに預けた。先ほどまで余裕を見せていたフローリアとは精神的立ち位置が完全に逆転したようである。


「でもハン支援軍アウクシリア・ハンが船でアルトリウシアから脱出し、途中ですれ違った《暗黒騎士ダーク・ナイト》様を乗せた船を砲撃したと報告書にあったではありませんか!

 ハン族が現地で操船技術を習得したのではありませんか!?」


「アルビオンニア属州へハン支援軍アウクシリア・ハンを派遣するにあたって、彼らには船を与えましたが、ゴブリンの貧弱な体格ではまともに櫂を漕ぐことさえできず、海峡を渡る際は操船を現地の船乗りたちに任せねばなりませんでした。

 たしかに操船技術を身に着けるために訓練を重ねていたようですが、何年前だったか……海賊退治で海戦に参加したそうですが、まともに戦うことも出来ずに旗艦一隻を残して持ち船をすべて失っています。」


 マメルクスがこうまで詳しいのは昨日報告を受けた時点で必要な資料を再確認していたこともあるが、アルビオンニアが帝国にとっての最前線地域であることと、アルトリウシアの領主がかつて帝国に敵対していたアヴァロンニア最有力貴族の末裔であることから元々ある程度注目していたこと、そしてハン支援軍が磨り潰す予定の傭兵部隊の中で最も調戦力を減らし続けていたことが理由であった。

 

「でも、実際に船で脱出しているでしょう!?

 旗艦の……なんとかいう船の名前まで具体的に報告書には書かれていました。」


「旗艦『バランベル』号ですな。

 大聖母グランディス・マグナ・マテル様も見たことあるでしょう?

 以前、レーマの港に浮かんでいた図体のやたら大きいガレアス船ですよ。」


 あくまでも言いすがるフローリアに悪い冗談でも聞かせるようにマメルクスが言うと、フローリアはそれを思い出したのか片眉を上げ息を吸い込んだ。言葉には出していないが「ああ、まさかアレ!?」と表情が言っている。

 フローリアは現在『バランベル』号と名前を変えているガレアス船をかつて見たことがあった。当時はきらびやかにレーマの港に飾られていたが、大きすぎて満足に動かせないという話は当時から聞かされていたのだ。あくまでも実験的に建造された船だとは聞かされていたが、それでも「なんて馬鹿な物を……」と実物を見たフローリアは呆れかえったものである。


「ヒトでさえ動かせずに持て余していた船です。あんな船をヒトよりも数段体力の劣るゴブリンなんかに動かせるわけないでしょう?

 おそらく、現地で捕まえた捕虜に銃を突き付けて無理やり櫂を漕がせているのです。ですが、それではせいぜい辛うじて動かせるという程度で、まともに海戦を戦うことなどできるはずもありません。

 ましてアルビオン海峡を渡るなど……ハッ、冗談にもならんでしょうな。」


 最後はわざと派手に笑い飛ばして見せた。これ以上、フローリアが固執しないようにするために……見え透いたハッタリ同然の手法ではあったが、今のフローリアには覿面てきめんに効いたようである。フローリアは大きく息を吸うと、そのまま盛大なため息をつくように息を吐きだし、あからさまに諦めたような表情を見せた。


「なるほど、わかりました……」


 その一言にルードの顔が再びパアッと明るくなり、口さえ開けて口角を吊り上げる。いつものポーカーフェイスしか見たことの無い者にとっては信じがたい表情だろう。それを見たロックスも思わず口元を手で覆って目を見開き、盛んにフローリアとルードの表情を見比べていた。


「いいでしょう。

 ルーディにはひとまずサウマンディウムまで行ってもらいます。」


 マメルクスはフローリアの視界の外でルードが小さくだが確かにガッツポーズをするのを見た。マメルクスの視線に気づいたのかフローリアが視線だけチラッとルードに向け、呆れと喜びとが混ざった複雑な表情を浮かべる。


「ですが陛下、昨日お約束してくださったとおり、ルーディには護衛を付けていただきます。それは、よろしいですね?」

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