第798話 ルードの御供(2)

統一歴九十九年五月十日、午後 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



剣闘士グラディエーター!」


 ルード・ミルフ二世の口から小さく感嘆の声が漏れた。ルードは剣闘士について話には聞いていたが実際に見たことは無かった。

 冒険者ルード・ミルフの息子としてはやはり戦いには興味はある。彼もまた両親の冒険譚を聞かされて育った多くの聖貴族コンセクラトゥムの一人だったのだ。もちろん、実際の戦闘能力では剣闘士などルードの足元にも及ばないであろうことは疑いようがない。魔法を使わず、剣術一つに限定したところで負けるとは想像もつかない。

 ルードはもちろん、元・冒険者である実母フローリア・ロリコンベイト・ミルフから魔法のみならず戦闘そのものについても指南を受けていたし、フローリアのダンジョンでモンスター相手の実戦も経験している。それだけでなくルードはムセイオンの他の聖貴族の指導役すら務めているくらいなのだ。軍隊が一個大隊コホルスくらいで本気で挑まねば対処できないようなモンスターを自分の実力でたおした実績だってある。仮にスケレストゥスが全力で襲い掛かったとしても、ルードは赤子の手をひねるよりも簡単に返り討ちにしてしまうだろう。

 だが、問題なのは実力ではない。実戦経験でもない。戦うことで観客の称賛を浴び、金を儲けるという剣闘士の在り方、生き方に対し、ルードはある種の羨望せんぼうを禁じ得なかったのだ。


 ルードは、そしてムセイオンの聖貴族たちは魔法やスキルを使った戦闘訓練などは確かに受けている。だけどそれは彼らの父祖たちのように冒険をするためでも戦うためでもなかった。忘れてはいけない、ムセイオンの長たる大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリアは平和主義者であることを宿命づけられた人物なのだ。

 ゲイマーガメルの血をひく聖貴族たちが魔法やスキルを使った戦闘訓練を積むのは戦い方を学んで強くなるためではない。彼らが力を暴走させないためなのである。自分たちの実力を把握し、自分たちの力がどれだけ危険なのかを理解し、そしてその力には限界があって好き勝手に暴れようとしても他から必ず実力で負かされてしまうであろうということを身をもって知るためなのだ。実際、彼らの戦闘訓練には最後に必ずフローリアかルードにコテンパンにされて終わる実戦形式のカリキュラムが定期的に組み込まれている。

 当然、力を誇ることなど許されない。力を見せびらかすことも禁じられている。普段から自分の魔力をひけらかしたり他人の気にしたりすることで魔力差によるヒエラルキーが生じないようにするため、全員が魔力を隠蔽する指輪を装着することを義務付けられているくらいなのだ。


 せっかく力を持ちながらそれを表に出すことが許されない……そのような環境で生活を続けてきたルードにとって、公然と戦いに身を置きながら叱られもせず、それどころか称賛さえされる剣闘士は、まるで自由に殉じた冒険者たちのように輝いて見えてしまうのだった。


「もう一人は……そちらも剣闘士グラディエーターなのですか陛下?」


 人知れず目を輝かせている息子に気づきもせず、少し不満げにため息をついたフローリアは紹介された肌の黒い傷だらけの奴隷と並んでひざまずいている

肌の白い方の奴隷についての説明を求めた。

 最悪の場合、護衛として奴隷を宛がおうとしたことで真っ先に拒絶されるかもしれないと覚悟していたレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは不機嫌そうではあるものの一応最後まで説明を聞くつもりらしいフローリアの反応に安堵していた。


「ええ、まあ、そうです大聖母グランディス・マグナ・マテル様。

 厳密には剣闘士グラディエーターではなくレスラールクタトールですがね。

 ユーユツとかいう南蛮サウマンレスリングコルクタティオを使いこなす名手です。

 名前はカクラウス。」


「カクラウス……これまた変わった名前ね?」


 まるで店頭でガラクタを売りつけられた主婦のようにフローリアが眉をひそめると、マメルクスはまた冗談でも披露するかのように片側の口角を持ち上げた。


「もちろん本名ではありません。本名は誰も知らないのです。」


「また、記録抹消刑ダムナティオ・メモリアエにされた犯罪奴隷なの!?」


「いいえ!」


 フローリアが呆れたように桶を上げるとマメルクスは咄嗟に打ち消した。


「彼は従軍奴隷カクラだったのです。

 元々は南蛮の兵士だったのが戦場で傷つき、取り残されていたところで捕虜になったのですが、どうもその時の傷が元で記憶を失くしていたそうでしてね。本人も自分の名前も出自も何も覚えておらんのです。ただ、ユユツだけは身体が憶えていたようですがね。

 ともかく、彼を捕まえたアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア百人隊長ケントゥリオが奴隷にしたのですが、名前が無いのは面倒なので、“従軍奴隷カクラ”をもじって“カクラウス”と名付けたんだそうです。」


「ふぅ~~ん……」


 怪しげなセールストークを聞かされるフローリアは納得したんだか納得しかねているのかよくわからない反応を示しながら、ジッと跪いたままの奴隷たちを円卓メンサごしに見据えている。その視線から意味を見出すとすれば、それはいぶかしみそのものであった。


「それで、そのアルビオンニアの従軍奴隷を何故陛下がお持ちなのかしら?」


「ああ、それはその百人隊長ケントゥリオが死んでしまったせいで彼は売られてしまったのです。

 それで買い取った奴隷商人が、まだ南蛮人サウマンが珍しいレーマなら高値が付くだろうとレーマまで連れて来たようです。」


「ふぅ~~ん……」


 相変わらずフローリアは不満気だ。レーマ皇帝が大事な一人息子につけた護衛がただの奴隷だということが気に入らないのかもしれない。


 フローリアが貴族たちのように身分を気にするタイプだとは思わないが……


 思わしくないフローリアの反応にマメルクスも内心の戸惑いを隠せない。マメルクスにはマメルクスなりの勝算があって彼らを選んだつもりだったが、もしかしたら見当違いだったのかもしれない。


「そういえば土地勘がどうとかおっしゃっておられたようですけど?」


「あ?!…ああ、ええ……」


 フローリアを納得させるにはどうすればいいか考えていたマメルクスはフローリアの唐突な質問に慌てた。


「こっちのスケレストゥスの方は一時期、オリエネシア属州を転々としておりましたので、クィンティリアはもちろんオリエネシアの主要な地域にはだいたい行ったことがあります。ですが、サウマンディア属州には行ったことが無いので、そちらの土地勘はありません。

 次にこっちのカクラウスの方はアルビオンニア属州からレーマに連れて来られるときにサウマンディア属州を歩かされたので、サウマンディウムからオリエネシア属州までの道のりは憶えているそうです。」


「あら、アルビオンニアからレーマまで来たのなら彼一人で十分ではなくて?」


「いえ」


 マメルクスは苦笑いを浮かべた。


「残念ながら彼はオリエネシア属州に入ったところで風土病にかかってしまいましてね。オリエネシアに入ってからは船に乗るまでずっと馬車に寝かされっぱなしだったので、オリエネシアの土地勘は無いのだそうです。」

 

「つまり、一人はオリエネシアの土地勘はあるけどサウマンディアの土地勘はなく、もう一人はオリエネシアの土地勘は無いけどサウマンディアの土地勘はある……それで、二人が必要になるのね?」


 フローリアはため息交じりに跪いた二人の奴隷を見下ろす。


「その通りです大聖母グランディス・マグナ・マテル様。

 クィンティリアからウァレリアという街まではスケレストゥスが護衛兼道案内として同行します。

 そしてウァレリアからサウマンディウムまではカクラウスがご案内いたします。」


「そうは言っても、私はそのウァレリアを知らないのですけど?」


 そう言いながらフローリアは初めて奴隷から目を離し、視線をマメルクスに向ける。その表情、声色にはどこか責めるような詰るような色がある。猜疑心とかとは違うようだが突き放すような冷たさがあり、快く思われていないことは疑いようが無かった。その気まずさに浮かべていた苦笑いも冷めざるをえないほどだったが、それでもマメルクスは答えた。


「ああ……ウァレリアはサウマンディア属州北部にある港湾都市で、サウマンディアにとっての玄関口のような大きな街です。」


 やはり奴隷を選んだのは失敗だったろうか?

 だが、ただでさえ辺境の土地勘のある者というだけで限られてくるのに、貴族ノビリタスの中から適任者を探すのは……いや、もう降臨の噂が流れてしまった今なら秘匿の配慮など必要ないか?


 フローリアの態度から人選のやり直しを覚悟しはじめたマメルクスだったが、フローリアはフゥッと諦めのため息を吐くと、短く「いいでしょう」と言った。

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