奴隷の話
第1352話 使用人
統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐
『それで、もう一つの話なんだけど……』
次の話題へ切り替えることを告げた時、リュキスカが機嫌を良くしてくれたためかリュウイチの気持ちは幾分軽かった。次の話題についてリュウイチは責任を丸投げするような後ろめたさを自覚しており、リュキスカが来るまでの間気を重くしていたのだ。フェリキシムスが魔力を持ってしまった話の方を先に持ってきたのは、リュウイチが抱くその後ろめたさが原因である。要は嫌なことを最後まで回避しようとした結果だった。
その後ろめたさはリュキスカの機嫌がことのほか悪く、一時は爆発させるところまできたことでより一層リュウイチの心の底で重たく沈み込んでいたのだが、浄化魔法が使えるようになると知ったリュキスカが急に機嫌を良くしたことから、それまでの反動からかリュウイチも自然と頬を綻ばせてしまう。
『君にはその……身の回りの世話をしてくれる使用人とか奴隷とか居ないだろ?
オトは私の奴隷だし、他はルクレティアから侍女を借りてる状態で……』
「別にアタイが貸してくれって頼んだわけじゃないけどね」
リュキスカがせせら笑うように言うとリュウイチは一瞬言葉に詰まってしまった。
あれ、俺ひょっとして押しつけがましいこと言った?
オトについては言われてみれば確かにリュウイチが勝手に押し付けたようなモノだったかもしれない。突然連れ込まれてこちらの勝手な都合で軟禁されてしまったリュキスカ……その母子の境遇に申し訳ないという気持ちから、せめて生活が楽になるようにと育児経験のあるオトにリュキスカの世話をするように命じたものだった。リュキスカの方から誰か貸してくれとか頼まれたわけではない。
ルクレティアの侍女たちも同じようなもので、リュキスカの身の回りの世話をするのが異種族のホブゴブリンとはいえ男一人では色々まずかろうとルクレティアが気を利かせたものだ。実際はルクレティウスの密命を受けた使用人の一人がルクレティアにそれとなく献策し、リュキスカを監視しやすいように侍女を送り込もうとした結果ではあったが、スパイ活動の一環と考えればオトよりももっと
リュキスカとしては身の回りの世話を焼いてもらえて助かっているのは事実だ。特に生理が来てからは身体を起こすのも
だが、だからといって送り込まれてくる人数が多すぎるのは事実だった。部屋の掃除にしろ汚れ物の片づけにしろ五人も要らない。だが、入れ代わり立ち代わりで毎日七~八人は
オトにしろ侍女たちにしろ“仲間”では決してない。オトはともかく、侍女たちの中にはリュキスカに軽蔑の眼差しを向けてくるものが普通に居る。神官たちと生活を共にする彼女たちにとって、職業の貴賤というのは明確に存在するのだ。ましてリュキスカはルクレティアから
リュキスカとしてもそういう侍女たちの存在は正直言って快くは感じていなかった。確かに生活の面倒を見てもらえるのは助かるが、彼女たちには近づいてすらほしくないというのが正直なところである。彼女たちが部屋に来ている時、リュキスカはほとんどずっとフェリキシムスを抱いているが、それは目を離している隙に侍女たちから息子に何かされるのではないかという不安があるからだったりする。それでも彼女らを受け入れ続けているのは、ひとえにルクレティアとの関係があるからだった。
リュウイチの
そのルクレティアを敵に回さないためにはルクレティアの味方になるしかない。リュキスカはルクレティアの輿入れを手伝い、それまでリュウイチの夜伽を代行する代理人と自らを位置づけることでルクレティアとの和解を図り、現時点での平和な関係を築いたのだ。そのルクレティアがリュキスカのためを思って送り込んできた侍女たちを無下に断るわけにはいかなかった。
色々手伝ってくれること自体はありがたいが望んだわけではない。むしろ仕方なく受け入れているありがた迷惑な存在……そんな侍女たちについて恩着せがましいことを言われてはむしろ困る。リュキスカの反応はそうした気持ちを反映したものだった。
そんなリュキスカの気持ちを察したというわけでもないが、何か皮肉めいたリュキスカのセリフと態度にリュウイチは戸惑いを隠せない。思いもかけず硬直してしまったリュウイチに気づいたリュキスカは、急に愛想笑いを浮かべてフォローに入る。
「あ、いやオトさんにゃ助けられてるよ!?
うん、やっぱ子育て経験があるからかねぇ!
ホブで男だから力もあるし!?」
リュキスカの身の回りの世話で力が要るような仕事なんかほとんど無いはずだが、ひとまず「頼りになる」というのは男に対する“ヨイショ”の定番みたいなものなのだろう。リュウイチもリュキスカのフォローに多少なりとも納得したのか『う、うん……』と生返事を返すと、リュキスカもすかさず「それで?」と話の続きを促した。
『うん……それでその……君も一応、“聖女”っての?
魔力も持っちゃったし、貴族ってことになるらしいんだ』
「ああ……うん、なんか……らしいね」
レーマ帝国で
下級貴族は“貴族”と呼ばれるにふさわしい程度に財力や権力を得た人物たちのことであり、中には平民や
だが上級貴族となると通常の平民はまず縁がない。もちろんレーマ貴族は庶民の人気を大事にするので、事あるごとに人目のある所に出ては衆目を集めることが多く、平民であってもその姿を直接目にする機会は少なくない。しかしそれは人間的な接点があるとは言えないだろう。
下級貴族は平民でも直接会って話をする機会があるし、平民からの成り上がりも少なくない以上、どういう生活をしているか、何を考えているか、どういう性格の人物かといったことが想像しやすい。しかし上級貴族となると完全に雲の上の存在……ましてリュキスカは玉の輿に乗って下級貴族へなりあがった元・娼婦が没落するのを目の当たりにしたこともあったために、自分が貴族になるということに一種の忌避感のようなものを抱いていた。他のレーマ人たちと同じように「息子を
『それで、君も貴族である以上、自分の使用人を持つべきだって、言われてね』
「ええ?」
生返事を返すリュキスカの関心はどことも知れぬところへ向かいリュウイチの話から離れつつあったが、次のリュウイチの言葉に再び引き戻されることとなった。
『それで、サウマンディアの伯爵が君に奴隷をプレゼントしたいらしい』
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