第868話 貴婦人ちの会話

統一歴九十九年五月九日、晩 ‐ |『黒湖城砦館』《ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク』/シュバルツゼーブルグ



 外の倉庫でブルグトアドルフ住民たちにも食事が振る舞われ始めていた頃、館の大ホールで行われていた貴族たちの祝宴もたけなわとなっていた。ヴォルデマールの乾杯に続き次々と料理が運び込まれ、列席者たちを目と鼻と舌で楽しませる。今回はサウマンディアのカエソーがムセイオンの学士を連れていくからランツクネヒト料理を楽しみにしているとわざわざ前もって連絡していたため、ヴォルデマールは昨日の内からお抱えの料理人たちに命じ、いつものようにレーマ料理とランツクネヒト料理の組み合わせではなく一貫してすべての料理をランツクネヒト料理にするようにしていた。


 最初は「卵からリンゴまで」のレーマの風習に従ってアイアーシュマルツ……ドイツ版のフレンチトーストとでも言うべき料理だ。一口大にちぎったパンをボウルに入れて牛乳に浸し、塩と香辛料で味付けした溶き卵を刻んだパセリと共に加えて混ぜ、オーブンで焼いたものである。

 サラダはスペルト小麦とビーツとリンゴのサラダディンケル・ローテ・ビェテ・ザラート……ビーツもリンゴもサイコロ状に小さく刻み、レモンをしぼった果汁をふんだんに振りかける。そこへ一晩浸水させてから茹でて冷ましたスペルト小麦と適量の山葵大根ワサビダイコンを加えて混ぜ、さらに刻んだハーブをえてオイルを掛けて仕上げたものだ。スペルト小麦はサウマンディアから、山葵大根は南蛮からの輸入品だが、ビーツもリンゴもレモンもそれらいずれも今が旬の食材ばかりである。

 次いで出されたのがカボチャのスープクービス・ズッペ。バターで色がつかない程度に炒めたタマネギの微塵みじん切りにカボチャと野菜ブイヨン、白ワイン、香辛料を加えてよく煮込み、カボチャが柔らかくなってからペースト状になるまで磨り潰したポタージュスープだ。これにサワークリームを乗せてパセリを散らして彩を添える。カボチャの甘みを損ねないように控えめに加えられたナツメグ、ベルトラム、そしてガランガーは程よく食欲を刺激し、カボチャと共に身体を芯からホカホカと優しく暖めてくれた。

 魚はサーモンのワイン蒸し香草ソース和えラックス・ミット・クオイターソースエ……毎年シュバルツァー川を遡上そじょうしてくる鮭はライムント地方のこの季節を代表する味覚の一つである。その切り身をレモン汁と塩と胡椒で下味をつけ、バターを塗った平たい鍋かバットに入れて白ワインを加えて火にかける。白ワインが沸騰したら上から蓋を被せ、そのまま鍋ごとオーブンに入れて蒸し焼きにする。魚に火を入れすぎて硬くなってしまわないように柔らかく仕上げるのが理想的とされ、最後に蒸すのに使った白ワインを再利用して生クリームとハーブと塩・胡椒を加えて作ったソースを和えて仕上げる。鮭のシーズン以外ではマスを使って作られるライムント地方の魚料理の定番だ。今日は昼の明るいうちからあらかじめ丹念に小骨を取り除き、臭みとりと香りづけのためワインビネガーに漬け込んで下ごしらえをした逸品で、ただでさえ柔らかいうえに小骨が無いため薄暗いロウソクの灯りの中でも、既に手元がおぼつかなくなった酔っ払いでもストレスフリーで食べることが出来、列席者たちからは感嘆と称賛の声が溢れる。


 魚料理が下げられ、口休めにゼリーが出される頃になると、列席者たちの高揚感も一時的に収まりを見せ始めていた。


「ねぇねぇ、ルクレティア!」


 心地よくほんのりと甘酸っぱいゼリーにようやく人心地ついた気がしたルクレティアが思わずため息をついていると、隣の少女が身体を寄せて声を潜めた。


「ひょっとして婚約が決まったの!?」


「んぐっ!?」


 突然のこの問いにルクレティアは思わず口に入れたばかりのゼリーを吹き出しかけてしまう。


「これっ!シャルロッテ!!」


 ルクレティアを挟んで反対側に座っていたヴォルデマールの妻パウリーネにとがめられたのはシャルロッテ・フォン・シュバルツゼーブルグ。ヴォルデマールの長女であり、ルクレティアにとっては幼馴染の親友でもある。帝国きっての名門スパルタカシウス家と一地方の郷士ドゥーチェに過ぎないシュバルツゼーブルグ家では家格がまったく違うが、一応同じアルビオンニア貴族ノビリタスであり同い年ということもあって会う機会も少なくなく、小さい頃から仲良くしていた相手だった。ランツクネヒト族らしい褐色の肌とクリクリと良く動く大きな目、そしてプリッとした唇が愛らしい少女である。ひっつめた髪は左右それぞれ耳より後ろの高い位置で結ばれているが、結ばれた先からはボワッとボリュームたっぷりに広がっている。そのボリュームたっぷりなテールを揺らし、シャルロッテはルクレティア越しに母に抗議した。


「だって母様、気になるじゃない!?

 ねぇ、あの三人の中から決まるんでしょ?」


 シャルロッテがそう言うと女たちの視線が一斉に男性たちの席へ向けられる。

 今回、ホールの最奥に設けられた主賓とホストの席は男女で分けられていた。ホールの列席者たちを見下ろすような形でしつらえられた左右に長いテーブルの真ん中に主賓のカエソーが座り、その向かって右隣りにヴォルデマール夫妻、更に右にルクレティア、そこから右にヴォルデマールの娘たちが三人。カエソーの左隣はメークミーとナイス、更に左にスカエウァ、アロイス、そしてヴォルデマールの父トラウゴットだ。ヴォルデマールには三男四女がいたが、三人の男児と末の娘はいずれも十二歳に満たないため今回は参列していない。また、ヴォルデマールの母コンスタンツェも参列してない孫たちと夕食を共にするために今回は欠席していた。

 座席を男女で分けたのはランツクネヒト流の風習というわけではなく、レーマの文化にならったものである。見知った顔しかいないのであればそうでもないし、アロイスはもちろんルクレティアもカエソーもシュバルツゼーブルグ家にとって決して縁の薄い相手ではないのだが、今回はスカエウァ、ナイス、メークミーの三人がシュバルツゼーブルグ家にとって初めての客人だったということから席を男女に分けたのである。こうした文化の背景には見知らぬ者同士でも同性同士であれば話はしやすくなるし、同時に“間違い”も起きにくいだろうという考えがあるようだ。この席順はカエソーやアロイスにとってもナイスとメークミーを監視しやすくなるし、ルクレティアをナイスとメークミーから引き離すことができたためかなり都合が良かったと言える。


 とまれ、ルクレティアにとってシュバルツゼーブルグ家の女たちは遠い親戚などよりずっと近しく付き合いのある友人たちである。幼い頃から付き合いのある年頃の娘……それも名門上級貴族パトリキの公女が、家に帰る途中で見知らぬ年頃の男性三人……スカエウァ、メークミー、ナイスを連れて訪れたのだから、女たちの興味関心がルクレティアの縁談の方へ流れていくのは必然でしかなかった。

 三人について一応紹介はされているのだが、紹介されたプロフィールはひどく簡素なものだった。スカエウァについては一応話には聞いたこともあったし、シュバルツゼーブルグ家の女たちもアルビオンニウムで何度か顔を見たことがあったのだが、今回どうしてルクレティアに同行しているのかという理由についてはどうにも納得できる説明がなされていなかった。メークミーとナイスについてはその正体を明かすことが出来なかったため紹介されたプロフィールは当然嘘であったし、あまり詳細に説明するとどこかでボロが出るかもしれないということでワザと曖昧にしているのだが、それが却って彼女たちの興味を引く結果となったのであろう。


「ルクレティア結婚するの!?」


 シャルロッテの妹マルガレーテが身を乗り出して目を輝かせる。


「当たり前でしょマルガレーテ、もうすぐ冬なのよ!?

 そうじゃなきゃこんな時期にムセイオンから男の人なんて呼ばないわよ!」


「いいな、ムセイオンの学士様って偉いんでしょ!?」


「そうねぇ、ムセイオンから学士様を呼べるなんて、スパルタカシウス様だからこそよねぇ。」


 シャルロッテとマルガレーテの話に何故かパウリーネまで加わり始める。

 ムセイオンのあるケントルムは現在の大協約体制下にあるヴァーチャリア世界の中心都市である。そして世界中から知識とゲイマーガメルの血を引く聖貴族が集められるムセイオンは世界の最高権威だ。そのようなところからアルビオンニアのごとき世界の果ての辺境へ将来有望な若者を呼び寄せることなど、いくら金を積んでも叶うものではない。にもかかわらずルクレティアのためにムセイオンからヴァナディーズを家庭教師として招聘しょうへいし、今またジョージ・スチュワートとアーノルド・イーリイと名乗る二人の青年を招いているとすれば、それは若い頃ムセイオンに留学していた経験のあるルクレティアの父ルクレティウス・スパルタカシウスの人脈の力としか彼女たちには思えなかったのだ。


「待って、違うわ。

 あの二人は伯爵家の御客人よ。

 私とは関係ないわ。」


「ええー!?

 じゃあ、何でこんなところへ来たのよ?」


「これ、シャルロッテ!

 よりにもよってシュバルツゼーブルグを『こんなところ』とは何ですか!?

 で、何でなのルクレティア?」


 ルクレティアを左右から挟み込むシュバルツゼーブルグ母娘の熱は口直しの冷たいゼリーごときでは冷めないらしい。パウリーネも娘を抑えるどころか、むしろ色めき立つ一方だった。

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