第1136話 ルクレティア

統一歴九十九年五月十日、早朝 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ/シュバルツゼーブルグ



 昨夜、グルグリウスがペイトウィン・ホエールキング捕縛のために出発すると、すぐにアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイアロイス・キュッテルは動ける部下たちを引き連れ、自ら『勇者団』ブレーブスのアジトへ向かった。グルグリウスが召喚され、ペイトウィンに仕事を依頼されたという市街地から外れた、農地の真ん中に立つ納屋である。もちろん、関係者がいれば制圧するつもりで行ったのだが、残念ながらというべきか案の定というべきか、そこには誰も残っていなかった。彼らが徒歩でエッチラオッチラと向かう間に、グルグリウスは空を飛んで先に納屋に到着すると残された魔力の痕跡を探り、そのまま北へと向かっている。アロイスが到着したのはグルグリウスが北の空へ飛び立ったよりずっと後のことだ。

 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はというとグルグリウスを見送った足でそのまま捕虜であるジョージ・メークミー・サンドウィッチとアーノルド・ナイス・ジェークの待つ部屋へ向かっている。そして届けられた手紙を見せ、筆跡や蝋封の紋章などから書いた人物がペイトウィン・ホエールキングに間違いないらしいことを確認すると、ペイトウィンの実際の人柄や『勇者団』の中での役割や位置づけ、様子、本人の人柄などを問いただした。仲間については口を閉ざすと前々から宣言していた二人だったが、カエソーが拍子抜けするほど素直に洗いざらいしゃべってくれた。

 ルクレティアはというと、グルグリウスを送り出した後は他の全員の勧めもあって自らの寝室クビクルムに帰って床に付いている。おそらくペイトウィンを始め『勇者団』はシュバルツゼーブルグの街から離れており付近には一人もいないこと、そして彼らはこれ以上の事件はおそらく何も起こせないであろうことなどからだ。それでもみんなが起きて働いている時に自分だけ……とルクレティアは粘ったが、しかしグルグリウスはペイトウィンを捕まえてもすぐにはこちらに戻らず、人目を避けるためにグナエウス街道かグナエウス砦でペイトウィンを引き渡すことにしていたので、ルクレティアが起きていたとしても本当に出来ることは何もない。結局周囲から説得され、《地の精霊アース・エレメンタル》に夜中に『勇者団』の動きが何かあれば必ず起こすことと、グルグリウスから報告があれば明日の朝起きて直ぐに伝えることを約束してもらい、大人しく寝ることになったのだった。


 そして朝……目が覚めたルクレティアは約束通り《地の精霊》からペイトウィンを捕まえたという報告を受け取り、身形みなりを整えると朝食イェンタークルム前に護衛隊長のセルウィウスを呼び出してグルグリウスからの報告を伝え、同時に状況を確認した。


「……そう、ではアロイスキュッテル閣下も特に何もなかったのね?」


「はい、アジトだった納屋には警戒のため軍団兵レギオナリウスを数名残して帰還なされました。

 本日、ルクレティア様がシュバルツゼーブルグを御発ちになられた後、もう一度本格的にお調べになられるそうです。」


 予想通りといえば予想通り……不謹慎な言い方をすれば何も面白いことは無かったわけだ。


の御様子はどうかしら?」


 とは言わずと知れたメークミーとナイスの二人のことである。彼らは実質的に捕虜ではあるが、曲がりなりにも聖貴族……この世界で最も高貴な身分でもあるため、実態はともかく名分はあえて捕虜ではなく客人という位置づけにしている。貴族が捕虜になったとなれば名誉に傷がつくし、捕虜にした側も「高貴さを解さぬ不埒者」という評判がたちかねない。このため貴族はお互いの名誉のため、このように実質的には捕虜ではあっても客人として扱うのは慣例だった。もちろんこれは彼らの正体を隠すための偽装工作の一環でもある。彼らは対外的には見聞を広めるために旅行中のムセイオンの学士ということになっているのだから、あからさまに虜囚として扱うことはできない。


カエソー伯爵公子閣下によれば大人しくしておられる様子です。

 昨夜尋問なされた時も、非常に素直に御協力くださったと申されておられました。」


「なによりだわ。

 ヴォルデマールフォン・シュバルツゼーブルグ卿の方はどうかしら?

 何か気づかれたりとかは?」


 ヴォルデマールにとって盗賊団の跳梁ちょうりょうは頭痛の種であり、同時にルクレティアらに対する後ろめたさの元凶でもあった。ヴォルデマールがルクレティアやカエソーを派手に歓待しているのはもちろん領民に対して上級貴族パトリキとの繋がりをアピールし、みずからの権勢を誇るとともにシュバルツゼーブルグの統治に資するためではある。が、同時にルクレティアたちに対して迷惑をかけてしまっていることへの埋め合わせ的な意味もあった。

 ヴォルデマールはシュバルツゼーブルグを治める郷士ドゥーチェとして、他の郷士と同様に最大五百人……一個大隊コホルス規模の私兵を動員する権利を有している。そして実際に五百人もの私兵を投じ、アルビオンニウム放棄によって大量に難民が流入したことによる治安の悪化に対処していた。が、数万人もの避難民……それもその殆どが職を持たず、住む家も無く、配給の食料だけを頼りにしているというのに、それをたった五百人で統制しようというのは無理があった。彼らは職も食料も金も無いが、時間と不満だけはたっぷりあったのだ。彼らが小さな犯罪を繰り返しているうちはまだ間に合っているが、そのうち暴発すればたったの五百人では抑制などできるわけもない。

 治安部隊の人数が絶対的に足りない……しかしヴォルデマールにとって五百人もの私兵を動員・運用するのは法制度上の上限であるのと同時に、シュバルツゼーブルグ財政の限界でもあった。


 結局、ヴォルデマールは街の外の治安をある程度諦め、治安部隊は街の中の秩序を守ることに専念させざるを得なくなってしまっていた。街の外での治安の悪化は当初から予想されてはいたが、実際にシュバルツゼーブルグの街から一歩外へ出ればほぼほぼ無法地帯と化してしまっている。

 それでも街道沿いは侯爵家お抱えの警察消防隊ウィギレスが守ってくれていたのだが、それも膨れ上がった盗賊団によって中継基地スタティオを襲撃され、街道沿いの安全も今や崩壊しつつあった。


 現実問題としてヴォルデマールの手に余る事態ではあった。が、法律上も道義的にもヴォルデマールには責任がある。にもかかわらず現に治安を悪化させ、結果的に野放しになっていた盗賊団によってブルグトアドルフの街が壊滅させられ、ルクレティアの一行も襲撃を受け、あまつさえ隣国サウマンディア属州の伯爵公子カエソー・ウァレリウス・サウマンディウスも負傷を負ったというのだ。ヴォルデマールが気にしないわけはない。

 ヴォルデマールはせめて失点を挽回すべく、あの手この手でルクレティアとカエソーを持て成そうと躍起やっきだ。当然、フォン・シュバルツゼーブルグ家の家人らの注意はルクレティアたちへいつも以上に集中することになる。


 昨夜、《地の精霊》がグルグリウスを眷属に加えた一件は『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ倉庫群ホレウムの中で行われた。その間、ルクレティアのみならずカエソーやアロイスまでもが部下を引き連れて倉庫へ集まっている。多分、何かあったんじゃないかとシュバルツゼーブルグ家の家人たちに気づかれたとしてもおかしくはない。

 しかし、ルクレティアの心配は杞憂だったようだ。セルウィウスはどこか馬鹿にしたような風をにじませながら答える。


「何かを怪しまれておられる様子はありません。

 アロイスキュッテル閣下の活発な行動に驚かれておられる様子ではありましたが、盗賊団の対策ということで大変感謝なさっておいでです。」


 もしかしたらセルウィウスにはヴォルデマールが暢気のんきに見えてしまっているのかもしれない。ヴォルデマールはヴォルデマールで前述のように一郷士としてとんでもない苦労をしょい込んでいるのだが、何かを秘密にしつつ普段にはない苦労を強いられている人間というのは、そういった日常の苦労を無視して自分が特別苦労をさせられていると思いがちだ。

 もっとも、セルウィウスも貴族ではないが一応商人の息子であるから、普段なら当人に聞かれては人間関係を壊しかねないようなことは腹の底では思っていても簡単に口には出しはしないが、もしかしたら今日は油断したのかもしれない。


「それは重畳ちょうじょう……

 では、今日は予定通り出発でいいのかしら?」


 ルクレティアはセルウィウスのどこか不遜な、どこか拗ねたようにも見える態度を無視した。


「ハッ、朝食イェンタークルムを終えた後、全隊が出発の準備を整え次第出発となります。」

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