崩れゆく『勇者団』

捕まったペイトウィン

第1135話 空腹の朝

統一歴九十九年五月十日、早朝 ‐ シュバルツゼーブルグ近郊/シュバルツゼーブルグ



 夜は日の出前が一番暗いというけど、嘘だな……こんなにも明るいじゃないか。


 東山地オストリ・バーグ稜線りょうせんの向こうから朝日が顔を出す瞬間を目の当たりにしたソファーキング・エディブルスは、そのまばゆい光に痛みを訴える目を細めた。実際、朝日の昇るずっと前から空は白み始め、夜空を飾っていた星々が次々と姿を消していく様を見上げながら一時間以上……ようやく日の出という頃には空はとっくに昼間のように青く染まっていた。もっとも、こんな風に夜が明けるのは東西を山岳によって挟まれたライムント地方だからこそであって、世界のどこでも同じように夜が明けるというわけではない。

 やけに眩しく輝く太陽と、その光を受けて霧の中に浮かび上がるシュバルツゼーブルグの幻想的な風景は、まるで砕いた宝石を混ぜた絵の具で描かれた絵画のようにどこか現実離れした美しさで、それを見る『勇者団』ブレーブスメンバーの精神を魅了しようとしているようだ。しかし、その溜息をつきたくなるほど幻想的な美しさも、彼らを虜にするには至らない。

 彼らの神経はさえわたっており、決して意識が混濁していたわけではない。感性が鈍化していてその美しさに気づけなかったわけではない。むしろ逆に心はやけに高揚し、霧に包まれながら朝日を浴びるシュバルツゼーブルグの街の美しさは彼らの脳裏に酷く印象的に映ってさえいた。もしかしたら興奮さえしていたかもしれない。が、魅入られるようなことはなかった。なぜか……徹夜明けだったからである。


 ルクレティア・スパルタカシアに追いつき、会って話を付ける。そして彼女と、彼女を守護している《地の精霊アース・エレメンタル》の背後にいるであろう“黒幕”に接触し、『勇者団』の行動を認めさせる。ソファーキングたちはティフ・ブルーボールに率いられ、そのためにグナエウス峠へ向かった。そして峠の頂上でレーマ軍の砦を見つけ、そこにこそルクレティアがいるに違いないと潜入を試みた。しかし空振りに終わった。後から追いかけてきたデファーグ・エッジロードによって、実はティフ達は気付かぬ間にルクレティアを追い越しており、ルクレティアはまだシュバルツゼーブルグに居ると知らされた。そして夜通し歩き続けてようやくグナエウス街道を峠の四合目ぐらいまで降りてきたところで日の出を迎えたのだ。

 彼らはゲーマーの血を引く聖貴族……魔力に優れた彼らは体力的に消耗しても魔力で補うことが出来、常人には及びもつかぬほどの運動能力を発揮することが出来る。が、精神的疲労まではなかなか魔力では補えない。まったくの徒労におわった一夜を移動し続けた彼らは、徹夜明け特有の疲労感と高揚感が混在したあの不思議な感覚に囚われており、誰かが何か冗談の一つでも言えば馬鹿みたいに笑いたくなるくらい感覚が鋭敏になっていたにもかかわらず、どうしようもなく落ち込んでいく気分を拭えないでいた。


 ああ……何か知らねぇけど、俺今普通じゃないわ……


 そんな自覚だけはみんなが持っていた。だからあえて誰も何も言わない。冗談の一つでも言えばバカ受けしそうな予感はあったが、それをあえてやろうとは誰も思わなかった。ただ、東から昇る朝日のやけに眩しい光で眼底に痛みを覚えながら、シュバルツゼーブルグの街の風景をやけにきれいだなと思いながら、それでも何故か感動は出来ないでいた。多分、徹夜明けでなければ、せめて昨夜の行程が無駄でなければ、異様に美しいこの風景も違って見えたに違いない。


 そう、せめて馬に乗れてれば……


 魔獣化モンスタライズ寸前だというペトミー・フーマンの警告を受け、彼らは峠の頂上付近からここまでずっと馬に乗らずに曳いて歩き続けてきた。グナエウス砦の前を通過する際は幸運なことに夜霧で視界が塞がれていたのをいいことに、馬を曳きながら全力で駆け抜けた。砦の方から声をかけられた時はドキドキしたが、結局中からレーマ兵が追いかけてくるようなこともなく、無事にここまで来れている。が、何もなかったからこそ余計に辛い。何もなかったということは、何も成しえなかったということでもあるからだ。


「なぁ、さすがに疲れたな。」


 ソファーキングは荘厳ささえ感じさせる霧に浮かびながら朝日を浴びるシュバルツゼーブルグの遠景から前方を進むティフとデファーグの後ろ姿に視線を戻し、隣を彼と共に馬を曳きながら歩いているスワッグ・リーに何の気なしに語り掛ける。


「ああ……いや、てか腹減ったよ。」


 馬の顔が邪魔で直接は見えないが、確かに隣を歩いているらしいスワッグがソファーキングに調子を合わせるようにダルそうに答えた。何ということは無い会話だが、何故か腹の底から笑いたくなるような衝動がこみ上げそうになる。


「朝飯何かなぁ?

 結局昨日は晩飯食い損ねたもんなぁ……」


「言うなよ、マジで腹減って来るじゃねぇか。」


 不機嫌そうな口調だが何故か怒っている風には聞こえない。


「なぁ、今何食いたい?」


「やめろって」


 スワッグは嫌そうだがソファーキングは無視して続けた。


「あ、ムセイオンの料理は抜きな?

 俺は……あ~、カルニタスだなぁ。」


「カルニタスぅ?」


「ほら、脱走して最初か二日目の街で食っただろ?

 ファドがどこかからか買ってきてくれた、あの丸くて平たいパンでくるむサンドイッチみたいなの。」


「ああ、タコスだろ?

 カルニタス・タコス」


「それだ!

 俺ぁ、ムセイオンの外にはこんな美味いモンがあるのかって驚いたよ。」


 ムセイオンから脱走してしばらくの間、彼らは世間慣れしてないから下手に外に出るとすぐにバレて捕まってしまうため、買い物や交渉事などはすべてファドにやらせていた。ファドが買って来るものといえば大抵が屋台で売ってるような、所謂いわゆるジャンクフードのたぐいばかりであったが、ムセイオンで箱入り状態で育っていた彼らにとってはいずれも口にしたことのない食べ物ばかりであった。そのうちの一つがタコスだったのである。


 彼ら聖貴族はムセイオンの中で隔離されて育つ。この世界ヴァーチャリアで最も高貴な身分に相応しく育つよう、食事は最高級の食材を使った最上級の料理ばかりである。その料理も多くは《レアル》伝来のものか、それをベースにこの世界の食材や文化に適応するように改良発展したものばかりなのだが、その中でもあまり品がない、あるいは高貴な身分にふさわしくないと思われるような料理は基本的に出されない。タコスやホットドッグなどはその典型で、手づかみでかぶり付くように食べる食べ物であることからあまり品が良くないとされ、彼ら聖貴族には出されない傾向にあった。サンドイッチは辛うじて出されはするが、基本的にピクニックでの弁当か夜食や間食のみに出される軽食という扱いになっており、聖貴族が人前で食べて良い料理という位置づけにはなっていない。

 そんな彼らにとってトルティーヤに具材を溢れんばかりに乗せて丸め、そのまま手づかみでかぶり付くタコスは新鮮な料理だった。手づかみで食べるというだけでも眉をひそめられるであろうに、文字通り溢れそうなほど詰め込んだ具材が食べてる間にボロボロと零れ落ちるのだ。その在り方自体がムセイオンではあり得ない。しかも豚肉カルニタス……メインとなる具材は豚肉をスパイスと共に、手で触れただけでほぐれて崩れてしまうほど柔らかくなるまでラードでコトコトと二時間以上かけて煮込んだものだ。それだけでも美味くないわけがない。

 ムセイオンでは最高の料理が出される……それを知っているからこそ自然と信じ込んでいた、ムセイオンの外にはろくでもない料理しかないという思い込みを一撃で粉砕したタコスを、ソファーキングは随分と気に入っていた。思い出しただけで頬がほころび、顔がとろけてくるほどだ。

 それはスワッグも同様だったらしく、「あ~……あれなぁ……」とどこか憧憬しているかのような雰囲気で同意を示すと、あれだけ嫌がっていたはずの話題に乗って来る。


「俺はシェフタリアだな、あのソーセージみたいなヤツ。」


「ああ、ナイスが何回か挑戦してた奴か!?」


 シェフタリアは豚と牛かラムの合い挽肉にイタリアンパセリと玉葱の微塵切りを混ぜ、シナモン、クミン、胡椒、ニンニクなどのスパイスと塩、レモン汁、オリーブオイルを加えて丸め、網脂あみあぶらで包んで焼いた料理だ。普通はヨーグルトをベースにしたザジギソースで食べるのだが、スワッグの好みは少し違うらしい。


「そうそう、見た目はソーセージ見たいだけど食べたらハンバーガーステーキみたいなやつ。

 マスタード塗ってザワークラウトと一緒に食べると美味いんだ。」


 スワッグの声は今にもとろけるようだがソファーキングは苦笑いする。


「スワッグ、ムセイオンの料理は抜きって言ったろ?

 アレはムセイオンでも食えるんだぞ?」


「そうなのか!?」


 ムセイオンの聖貴族は教育こそ大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフの統一指揮と監督の下で受けるし乳幼児の間はフローリアに預けられるが、ある程度成長して魔力の暴走事故の心配がなくなると出身地の王室や貴族らがムセイオンの敷地内に用意した屋敷の中での生活になる。このため、彼らの食卓に出される料理は出身国によって違いがあった。ムセイオンに居れば世界中の高級料理を食べることはできたし、各屋敷の料理人たちは互いに情報交換して料理のレパートリーの共有に努めてはいたが、聖貴族たちが全ての料理を必ず食べることが出来ていたわけではなかったのだ。


「ああ、エイーの奴が言ってた。」


「エイーが!?」


「アイツ、料理も少しは研究してたからチョット詳しいのさ。

 アレはムセイオンでも食える、だからだ。」


「俺はムセイオンじゃ食ったことなかった。

 だからだ。」


「何だよそれ!?」


 勝手にルールを変えられたソファーキングが声を挙げる。だが怒る気にはなれないし、実際ソファーキングの声もむしろ面白がっているかのようだ。それに乗じるようにスワッグは訴える。


「俺は今、とにかく肉を悔いたいんだ。

 肉、肉、肉、肉!

 肉食いたい!!」


「あーっ、腹減ったなぁ……マジで腹減ってきた。」


 とりとめのなくなった彼らの無駄話は、だが唐突に断ち切られることになった。前方を行くティフが振り返り、スワッグを呼んだからだ。


「スワッグ!来てくれ!!」


「はい、ブルーボール様!!」


 駆けだすスワッグの後ろ姿を負いながら、一人後方に取り残されたソファーキングはまだ食べ物談義を一人で続けるようにつぶやく。


「あー……ホントに腹減ってきた。

 朝飯どこで食うんだろ?」

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