第1137話 進路変更

統一歴九十九年五月十日、早朝 ‐ シュバルツゼーブルグ近郊/シュバルツゼーブルグ



「お呼びですか、ブルーボール様?」


 ティフに追いついたスワッグは息を弾ませたまま尋ねる。吐く息が白い。スワッグの声に振り返ったティフの顔は、少し青ざめて見えた。


「スワッグ、先を進んでくれ。

 前衛を頼む。」


「前衛ですか!?」


 スワッグは魔力で強化した肉体を駆使しての格闘戦闘を得意とする戦闘職だ。前衛か後衛かと言えば間違いなく前衛職なのだから前衛を命じられること自体は問題ではない。問題なのは戦闘中でもない今このタイミングでの前衛を命じられたことだ。


 え!? どこかに敵が潜んでるのか???


 一度目を丸くしたスワッグが慌てて周囲を見回し始めると、ティフとデファーグは苦笑した。


「別に戦おうっていうわけじゃない。

 逆だ。

 敵との遭遇を避けるためだ。」


 スワッグは格闘戦闘の専門家……それも同じ格闘技の使い手同士で戦うような競技用の格闘術ではなく、魔法で強化した肉体を駆使して鉄砲の普及した世界で武器を持った敵と正面からぶつかり合うことを前提にした実戦格闘術の使い手だ。当然、圧倒的なリーチの不利は単に魔法で肉体を強化しただけでは補えない。武器を持った敵の攻撃をかわし、懐に飛び込んで零距離からの必殺の一撃を見舞うためには、感覚器を鍛え上げて敵の位置や意思を察知する能力と、自身の気配を消して敵に居場所と動きを察知されないようにする能力を極限まで伸ばす必要がある。そしてスワッグはそんな理想の実現を目指してこれまで鍛え続けてきた。おかげで敵の気配を察知する能力や、気配を消す能力は、ファドやレンジャーのナイス・ジェークに優るとも劣らないレベルに高められている。

 シュバルツゼーブルグの街は濃い霧に覆われており、視界が利かない。彼らのいる街道は標高があるため霧に覆われてはいないが、このまま前進して坂道を下り始めればそのうち霧の中に飛び込んでいくことになるだろう。


「あぁ! シュバルツゼーブルグに居るレーマ軍に見つからないようにってことですか!?」


 つまり、ティフブルーボール様はスワッグオレの索敵能力で敵の気配を探り、不意に遭遇するのを避けたいんだ……スワッグは得心すると顔を綻ばせた。鉄砲が普及した世界で格闘技なんて現実的ではない。まして魔法を使える聖貴族が武器も使わずに殴り合うなど……と、周囲からスワッグは馬鹿にされていたのだ。本当は格闘技はみんなが思っている以上に強力で鍛え上げればどこまでも強くなることが出来る。決して実戦的ではないなどということはない。そう信じ込んでいるスワッグは、格闘術を鍛え上げる過程で獲得した自分の能力を買ってもらえるのが素直にうれしいのだった。

 が、どうやらティフの見たところスワッグの理解は少し間違いがあるようだった。少し困った様な目で笑みを消し、スワッグを見下ろす。


「ああ、まあレーマ軍に見つからないというのはそうなんだが、目的地はシュバルツゼーブルグじゃない。」


「え!? じゃあどこへ?」


 てっきりシュバルツゼーブルグのアジトで朝食だと思っていたスワッグは本気で驚き、思わず表情を消してしまう。


「ブルグトアドルフだ。」


「ブルグトアドルフ!?」


 スワッグは愕然とした。今からブルグトアドルフに行くとなると、到着は昼頃になってしまうだろう。


「ああ、まずペトミーと合流する。

 アイツは《地の精霊アース・エレメンタル》との戦闘を避けるためにシュバルツゼーブルグから北へ逃れたはずなんだ。

 再集結を命じてある盗賊どもと合流してるはずだから、俺たちもそこへ行く。」


「い、今からブルグトアドルフへ行ったら、またルクレティアスパルタカシアとすれ違いますよ!?」


「分かってる。」


 抗議するスワッグにティフはやや真剣な面持ちで頷いた。


「だが昨日の、峠の天辺てっぺんの砦で追いつけるはずなんだ。

 そのためにペトミーとファドに残ってもらったんだからな。」


 昨夜、レーマ軍の通信兵から奪った暗号文によれば、グナエウス峠の向こう側ではダイアウルフが暴れまわっているせいで通行できなくなっている。そしてレーマ軍がダイアウルフを駆除するまで、ルクレティア一行はグナエウス砦で待機するようにという命令が書かれていた。そこでペトミーとファドにレーマ軍のダイアウルフ駆除作戦を妨害し、ダイアウルフを生き延びさせることでルクレティアの足止めをさせることにしたのだ。


ペイトウィンホエールキング様も、ルクレティアスパルタカシアをシュバルツゼーブルグに足止めさせる工作をなされたのでは?」


 とりあえずシュバルツゼーブルグの街に入って朝食にあり付きたいスワッグは何とかティフの考えを改めさせようと頭を巡らせる。が、徹夜明けの頭では上手うまい考えが思い浮かばない。ティフは苦笑いを浮かべつつ首を振った。


「悪いがアイツの足止めがうまくいくとは期待できない。

 ただ、どういう足止めをしたかも含め、一度確認した方がいいだろう。

 だから今はペイトウィンとの合流を優先する。」


「じゃ、じゃあシュバルツゼーブルグには、本当に?」


「ああ、この先で北へ向かう裏道があるはずだ。

 そこからシュバルツゼーブルグを大きく北へ迂回し、ライムント街道を越えて街道の東側からブルグトアドルフのアジトを目指す。」


 ティフが冷静に説明すると、その向こうからデファーグがスワッグを慰めるように付け加えた。

 

「シュバルツゼーブルグの街の真ん中にある領主の館にルクレティアスパルタカシアはいるんだ。

 今、シュバルツゼーブルグに入ったら、《地の精霊アース・エレメンタル》に確実に見つかっちまうぞ?」


 それを言われるとぐうの音も出ない。さすがにティフ達が束になっても敵わないような強力な精霊エレメンタルが相手じゃ、さすがのスワッグも勝てる道理が無い。


「スワッグ、シュバルツゼーブルグで朝飯食ってる暇は残念ながらない。

 デファーグが言ったようにシュバルツゼーブルグには《地の精霊アース・エレメンタル》がいるし、今からシュバルツゼーブルグに入るのは捕まえてくださいって言ってるようなもんだ。」


「それは、昨夜だって同じでしょ!?

 《地の精霊アース・エレメンタル》が待ち構えてるのを承知でルクレティアスパルタカシアに会いに行ったんじゃなかったんですか?」


 スワッグの抗議にティフは面食らい、思わずデファーグと顔を見合った。同じ聖貴族とはいえハーフエルフとヒトではヒエラルキーが違う。ましてティフとデファーグはゲーマーの子、大してスワッグはゲーマーの孫で世代も違う。そんなスワッグがティフに対して反抗的な態度をとるとは思ってもみなかったのだ。


「スワッグ、聞け。

 昨日と今日では状況が違う、いいか?」


 ティフは一度深呼吸すると思いつめたような真剣な表所杖そう切り出した。


「ブルグトアドルフで俺たちは《地の精霊アース・エレメンタル》と一度、直接話をした。

 その時、俺は《地の精霊アース・エレメンタル》に戦う意思は無いと、話し合いたいと提案した。

 《地の精霊アース・エレメンタル》の方も、俺たちが邪魔だから退けたいだけで特に敵対しているって感じじゃなかった。

 だから、大人しく話をしに行けばルクレティアスパルタカシアとも会って話ができる可能性があったんだ。」


「今日は、違うんですか?」


「……そうだ。

 昨日、ペイトウィンがルクレティアスパルタカシアを足止めするために手紙を出してる。

 多分、アイツのことだから相手を挑発したり脅したりしてると思う。

 だとしたら、向こうはこっちが戦う意思があるんだと誤解してるかもしれない。

 もしそうなら、会いに行っても会ってはもらえないだろう。

 話し合うと見せかけて攻撃しに来たんじゃないかって、疑われる。」


 スワッグは口をへの字に結んだ。


「で、でも、そうとは限らないじゃないですか?

 ペイトウィンホエールキング様だって……」


 馬鹿じゃないんだから……と言いかけたところでティフが首を振り、スワッグの言葉がとぎれた。


「確かに、もしかしたら挑発とかしてないかもな。」


「だったら!」


「でも、それを確かめるためにも一度ペイトウィンに会わなきゃいけないんだ。

 じゃないと、このままシュバルツゼーブルグに入るのは危険すぎる。

 だろ?」


 スワッグは朝食を諦めざるを得ないことを、受け入れざるを得なかった。

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