第661話 ダイアウルフの衝撃

統一歴九十九年五月八日、昼 - マニウス街道/アルトリウシア



 ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティで開かれていた会議はその後も紛糾した。最終的にはルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアにはグナエウス砦ブルグス・グナエイに留まるよう早馬を出すことにはなったのだが、アグリッパ・アルビニウス・キンナがハーフエルフたちに対処するためにルクレティアを利用すべきだと不用意に発言した影響から、ゴティクス・カエソーニウス・カトゥスによって提示された修正案に対しても批判が沸き起こったのだ。一度感情的になってしまった人間を納得させ、否定的見解を懐柔かいじゅうするのは容易なことではない。それは相手が高度な教育を受けた貴族ノビリタスであっても変わることのない、全人類に共通する普遍的法則の様なものなのだ。


 もしもアグリッパが予想した通り、ハーフエルフたちがルクレティアの一行に執着しつづけるとして、それを軍団レギオーによって抑え込まねばならないのだとすれば……そして更に、民間人へのこれ以上の被害を出さないようにするとなれば、ルクレティアの一行がシュバルツゼーブルグに到達する前に戦力を現地に集結させねばならない。だが、そんなことは物理的に不可能だ。

 抽出できる戦力はアルトリウシアにもシュバルツゼーブルグにもなく、唯一対応可能な戦力は遠くズィルパーミナブルクに駐留しているアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアのみであり、ズィルパーミナブルクへ命令を発し軍が出動してくるまでに十日はかかるのだから、ルクレティアがアルトリウシアへ到着する方がずっと早いくらいなのだ。


 理屈ではそうなのだが家臣団は納得しない。原則論を振りかざし、イザと言う時に役に立てない軍を批判する。

 家臣団の主張にも全く理由が無いわけではない。リュウイチの聖女サクラであるルクレティアにはリュウイチのそばに居てもらわねば困るのだ。彼らにとってルクレティアはリュウイチとこの世界ヴァーチャリアを繋ぐ貴重な接点であり窓口なのである。実際、リュウイチの趣味嗜好や考え方、日常の様子などについて、貴族ノビリタスたちはリュウイチの傍にはべっているルクレティアから色々と知らされていた。その役割と効果は、レーマ貴族がリュウイチとの間で生じ得るトラブルを未然に防ぐと言う意味で非常に大きいのである。しかしそれも、ルクレティアがアルビオンニウムへ行ってからずっと途絶えたままになっていた。


 同じ聖女サクラとしてもう一人リュキスカが存在してはいるが、何せリュキスカは先月までただの娼婦だった女だ。半月以上も調べているのにその素性さえ明らかにならない得体えたいのしれない女である。話が通じるかどうかさえ怪しい……貴族ノビリタスたちの間ではそう認識されている人物だ。貴族ノビリタスが他者とコミュニケーションをとるうえで必要となる貴族的素養など全く期待できないのだから、彼女を通してリュウイチとやり取りをするくらいならまだエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人、ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵やアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子が直接話を持ち掛けた方がマシ……それがアルトリウシアにいる貴族ノビリタスたちの共通した認識となっている。つまり、リュキスカはリュウイチとの“窓口”としては存在しないも同然であり、あくまでもリュウイチの夜伽よとぎの専門要員という位置づけなのだった。


 である以上、ルクレティアには一刻も早くアルトリウシアへ戻って来てもらわなければならない。本来なら、ルクレティアが今の時期にアルビオンニウムへ行くということ自体があってはならない事なのだ。

 ルクレティアのアルビオンニウム行きはルクレティアがリュウイチの正式な聖女サクラになるために必要な“手続き”の一種であったのだから仕方のないことではあったのだが、そのことを知っている貴族ノビリタスはこの席上にはアルトリウス一人しかいない。このため今更のように「ルクレティア様のアルビオンニウム行きを何故おいさめしなかったのか!?」といった声さえ飛び出す始末だ。


 こういった背景からルクレティアをグナエウス砦に留まらせたい軍側と、何とかしろと無理難題を繰り返す家臣団の対立は収まるところを知らず、不毛な言葉の応酬は次第に苛烈なものとなっていき、とても貴族的とは言えない場の荒れようを呈するに至る‥‥‥が、それはマニウス要塞カストルム・マニから昼近くになって早馬でもたらされた報せによって一挙に収束することとなった。


「グナエウス街道にダイアウルフが?!」


 届けられたのは未明にグナエウス砦からアルトリウシアへ向かっていた八頭立ての重貨物馬車が複数のダイアウルフに襲われて事故を起こし、横転した馬車と馬車からばら撒かれた建材によって街道が封鎖されてしまったことを告げる報告だった。

 そのほかにも付近の山林で炭焼き職人が巨大なオオカミの群れに襲われて避難してきたという報告があり、どうやらそれもダイアウルフによるものと推測されていると言う。

 会議に出席していた貴族ノビリタスたちはその報せに一様に驚愕した。


 グナエウス街道はアルトリウシアとライムント地方を結ぶ唯一の街道ウィアである。他にも道が無いわけではないが、どれも木こりや炭焼き職人などが使うための間道ばかりで狭いうえに舗装もされておらず、重い荷物を積載した荷馬車が通行するのには全く向いていない。

 現在、アルトリウシアへの物流は海路とグナエウス街道の実質二本しか存在しないと言って良い。アルトリウシア復興に必要な食料や資材のうち、アルビオンニア属州内で生産された物の殆どはグナエウス街道を通って運ばれてくるのだ。そのグナエウス街道がダイアウルフの襲撃を受け、使えなくなったとしたら大問題である。

 残る海路だってアルトリウシア湾の唯一の出入り口であるトゥーレ水道がエッケ島にこもっているハン支援軍アウクシリア・ハンにいつ封鎖されてもおかしくないのだ。この状況でエッケ島北岸に大砲を並べられでもしたら、アルトリウシアは即座に窒息してしまう。


 それよりなにより、今まさに議論沸騰していたルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアはそのグナエウス街道を通って帰って来るのだ。早ければ明後日には事件現場となった場所を通過することになる。これでは仮に戦力増強の手当てがついてハーフエルフの問題が解決したとしても、万が一にもルクレティアの一行がダイアウルフの襲撃を受けることになれば‥‥‥


 ということで、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは投入可能な戦力を投入し、グナエウス街道に出没するダイアウルフに対応せねばならなくなった。可能ならばルクレティアがグナエウス街道を通過することになる明後日までに……それが叶わないのであれば、ルクレティアにはグナエウス峠で待機してもらう。

 そのためにも、ルクレティアにはグナエウス街道の状況を報せるとともに、グナエウス砦で待機するよう早馬で要請を出さざるを得なくなったのだった。


 結果、アルトリウスは当初の予定をすべて切り上げて急遽きゅうきょマニウス要塞カストルム・マニへ帰ることとなった。

 本当ならば会議に列席していたヘルマンニとトゥーレスタッドやネストリについてリクハルドから聞いた話の確認をとり、ルクレティアの父でありアルトリウスの恩師であるルクレティウス・スパルタカシウスと面会、その後マニウス要塞カストルム・マニへ帰る途中で家に立ち寄り家族の顔を見るつもりであったが、それらのすべて諦める他なくなってしまったのだ。

 ゴティクス・カエソーニウス・カトゥスを始め共にマニウス要塞カストルム・マニから来ていたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアのバルビヌス・カルウィヌスらと車列を連ねてマニウス街道を南下していく。


「ダイアウルフか‥‥‥まさかグナエウス街道の方へ回り込むとはな‥‥‥」


 再び通り過ぎようとしていく家族の待つ『花嫁の家ドムス・ノヴス・スポンサ』を車窓越しに見ながらアルトリウスが誰に言うでもなくつぶやく。


「アイゼンファウストでの銃撃を受け、作戦を変えたのでしょう。」


「作戦?」


 単なる独り言だったが、来る時と同様アルトリウスの馬車に同乗していたゴティクスが自分に話しかけられたものと勘違いして答えると、アルトリウスはそれに反応した。


「そもそもハン族やつらの目的はなんだ?」


 アルトリウスは向かいに座るゴティクスに対し、唐突に注意を向けてまるで詰問するかのように問いかける。ゴティクスはアルトリウスの態度の急変に戸惑った。


「いや、それは小官にも……」


 大柄なハーフコボルトである彼は自分の不用意な挙動・言動はホブゴブリンたちにとって恐怖を覚えるほどの迫力があるらしいことを良く知っており、普段はかなり気を付けているのだが、不意にこういう失敗をしてしまう事がままあった。

 一瞬垣間見えたゴティクスの怯えるような表情にアルトリウスは内心で「しまった」と思いつつ、やや間をおいて小さく咳ばらいをしてから気持ちを落ち着けて話し始める。


「………いつぞやの誰かの予想みたいに、アルトリウシアにいる生き残りか、あるいはスパイと連絡を取るのが目的だったのならグナエウス街道へ回り込む必要はないはずだ。

 後方へ回り込むのはハン族奴らにだって相当のリスクの筈……」


 遠吠えによってハン族のダイアウルフがアルトリウシア平野で活動していることが判明した際、アルトリウシアにスパイがひそんでいるか、あるいは脱出し損ねた兵士が残っていて、それらとの接触を試みているのではないかという説は一時は否定されたものの、その後もしつこくアイゼンファウストの対岸にダイアウルフが居座り続けていたことから次第に有力視されるようになっていた。

 しかし、それが真であるならば、グナエウス街道へ移動する理由がわからない。おそらくきっかけはセヴェリ川越しに浴びせた銃撃であろうが、アルトリウシアに潜んでいるハン族側の人間との接触が目的であるならば、グナエウス街道へ回り込む必要はないはずだ。


 それとも、こちらに気付かれないうちに接触に成功し、グナエウス街道のどこかで会合することにでもしたのか?

 いや、それなら荷馬車や炭焼き職人を襲うわけがない。むしろ、目立たぬように、人との接触を割けるはずだ。


「おそらく揺さぶりをかけているのでは?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る