第158話 再びアルビオンニウムへ?
統一歴九十九年四月十六日、夕 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア
ティトゥス要塞の
本当なら、明日アルトリウシアを発つカエソーとアントニウスを歓送するための晩餐会が既に開かれていなければならなかったが、まだ料理は出されておらず出席者の一部は別の会議室に集合して緊急の会議を開いている。
議題は、昨日サウマンディウムから神官ルクレティウスへ届けられた手紙の内容についてであった。
出席者はもちろん降臨について知っているメンバーだけであるが、エルネスティーネ、ルキウス、アルトリウス、カエソー、アントニウス、そして両領主の側近たち、更にルクレティアの父ルクレティウス・スパルタカシウス。そして急使によっていきなり呼び出されて到着したばかりのルクレティアとヴァナディーズの十五名だった。
「つまり、リュウイチ様が降臨された場所を我々はケレース神殿の
そして、《水晶の間》の水晶球は文字通り砂のように細かく砕かれて失われ、おまけに地脈が消えてしまっているらしい・・・」
ルクレティウスが厳かな声で、サウマンディウス伯爵から届けられた手紙の内容を説明すると、ルクレティアもヴァナディーズもさすがに事の重大さを理解した。さっきまでリュウイチの傍から引き放され、
もしかしたら、あの時メルクリウスが隠れていたかもしれない。あるいはメルクリウスの痕跡が見つけられていた可能性があったかもしれない。サウマンディウス伯爵の手紙は、ルクレティアの誤訳によってメルクリウス逮捕の機会、あるいはメルクリウスの手がかりをフイにしてしまった可能性を示唆していた。
「ですが、あの時リュウイチ様に降臨した場所をお尋ねした時に『ここ』とおっしゃったのですが・・・」
「いや、多分我々にとっての『ここ』は中庭だったが、おそらくリュウイチ様は神殿そのものを指して『ここ』とおっしゃられたのだろう。
むしろ、あのあと神殿内を調査せずにそのまま撤収した
君はそのことについては気にしなくていい。」
戸惑いながらも弁明するルクレティアを慰めるようにアルトリウスが言った。
「サウマンディウス伯爵によれば、メルクリウスの痕跡は魔法陣はおろか足跡に至るまで一切見つかっていないそうだ。
リュウイチ様は《
リュウイチ様自身は初めての降臨かもしれないが、おそらく今回の降臨は再臨であろう。したがって、メルクリウスは関与していない可能性の方が高い・・・と、私は考えている。」
車椅子に身を沈めたルクレティウスはサウマンディアから届いた手紙をやや放して眺めるように見据えながら言った。実はまだ四十前という歳のわりに進行した老眼と、部屋の薄暗さのせいで手紙の文字は良く見えていない。
「が、問題はそこではない。
地脈が消えてしまったらしいという事だ。」
そう言ってルクレティウスは手に持っていた手紙をテーブルへ投げた。
「サウマンディアのケレース神殿の神官が《水晶の間》でそれを確認したらしい。
名前は書かれていないが、多分
そう言ってルクレティウスは大きくゆっくり溜め息をついた。
「それは降臨と関係があるのですか?」
アントニウスが尋ねると、しばらく間をおいてルクレティウスが答えた。
「残念ながら分かりませんな。
しかし、関係ないと断言する方が難しい気はします。
少なくとも
「では降臨との関係はひとまずおいておくとして、地脈が消えたことで何か影響があるのですか?」
再びアントニウスが質問する。アントニウスはもちろん地脈などという物については全くの素人だ。神官がそれを観測する事で自然現象などを予知することができるらしいという程度の事しか知らない。
だが、素人とはいえ彼は
しかし、ルクレティウスの答えは彼を満足させるものでは無かった。
「それもわかりかねます。
すくなくとも、地脈から自然災害等を予知する事はできなくなったことは確かでしょう。」
ルクレティウスは自嘲の笑みを浮かべる。彼は活発な地脈の活動に気付きながらフライターク山の噴火を予知できなかったのだ。
「まあ、そんなことはともかく、実際の影響がどう出るかは想像しきれません。
火山や地震は地脈の活動と大きく影響していると考えられていますから、地脈が無くなったという事はフライターク山の活動も沈静化するかもしれません。」
「それは良い事のように聞こえますが?」
しかしルクレティウスは
「いや、真っ先に大きな影響があるとすればそれでしょうが、地脈はどこに影響するか分からないのです。
山々の
温泉が出なくなったり、井戸が枯れたりという事になるかもしれないし、来年から農作物が不作になるかもしれない。樹勢が衰えた事で山崩れなどの災害が起こる可能性も考えられなくはありません。」
結局、分かっていない事の方が多いのだ。
どれだけ精霊との親和性が高かろうと、大規模な自然災害を引き起こすほど強大な力を持った精霊と対話することは難しい。そうしたレベルの精霊ともなれば文字通り神に等しい存在であり、いくら降臨者直系の聖貴族と言えども所詮はちっぽけな人間でしかない者の呼びかけに応じてくれることなどまず無いのだ。
このため、神官は精霊の気配を感じとり、これから精霊が何をしようとしているのか、その影響はどんなものになるかを予想するぐらいのことしかできない。
「あの、よろしいでしょうか?」
沈黙が広がる中、ヴァナディーズがおずおずと手を揚げる。
「何かね、ヴァナディーズ女史?」
「末席から失礼いたします。
降臨と地脈の関係についてですが、
ルキウスに促されたヴァナディーズの発言を聞き、全員が一斉にヴァナディーズに注目した。
「ほう、初耳だ。
理由は分かるかね?」
「いえ、確かな事は何も分かっていません。
これはあくまでも一つの仮説なのですが、降臨とは《レアル》からこの世界へ人を召喚する行為であり、そのために大きなエネルギーが必要になると考えられます。
そのエネルギーは降臨してくる存在が強大ならば強大なほどたくさんのエネルギーが必要になる筈で、強力なゲイマーを降臨させるために必要なエネルギーを地脈からとっているという説があります。」
「ということは、リュウイチ様が降臨するにあたって必要とされたエネルギーを奪われたせいで地脈が消えたということか?」
「断言はできませんが、仮説が正しければそういう可能性もあります。
過去の事例では、降臨後一時的に弱まった地脈も後に復活しているそうです。
今回も地脈が消えたのではなく観測できないくらいに弱まっているだけで、いずれ回復するのかもしれません。」
フームと一同は唸る。
しかし、そういう仮説を聞かされたからと言って何がどうなるというわけでもない。今後どうなり、どうすればよいかという指針が示されたわけでも無いのだ。
「結局のところ、このまま様子を見るしかない。
ルキウスのその発言で今度は一同の視線がルクレティアに注がれた。
アルビオンニウムのケレース神殿で地脈を観測できる人材はルクレティウスとルクレティアの親子しかいない。そのうちルクレティウスは下半身不随でアルトリウシアから自由に動くことなど出来ないのだから、行くべき人は一人しかいなかった。
うそ、またアルビオンニウムに行かされるの!?
ルクレティアの顔から色が失われていく。
リュウイチの傍から離れたくないのに、ここへきてまた数日かけてアルビオンニウムへ行くなど冗談では無かった。だが、他に行ける人材はいない。
泣きそうになってきたルクレティアを見てルキウスが声をかけた。
「今すぐというわけではないから安心していい。
今すぐ行ってほしいのは確かだが、今は送り出す事が出来んのだ。
だが、いずれは行ってもらわねばならん。その心づもりはしておいてくれたまえ。」
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