第157話 シェパード・ライダー誕生!?

統一歴九十九年四月十六日、午後 - リクハルドヘイム/アルトリウシア



 アルトリウス率いるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア騎兵隊エクィテスの追撃を振り切る勢いで走り続けたダイアウルフたちの一頭は前方を横切る排水路を軽々と飛び越えた。

 もう一頭にもあのまま飛び越えられていたらアルトリウスらは追跡を諦めるしかなかったが、幸いもう一頭の乗り手は排水路を飛び越える自信が無かったのか、手前で急減速して停止した。

 ようやく逃げるのをやめたダイアウルフとその乗り手は諦めたのか排水路の手前で立ち止まり、乗り手はダイアウルフから降りはじめている。



 アルトリウスは排水路の向こう側のダイアウルフが短小銃マスケートゥムの有効射程に納まるであろう距離まで接近すると停止し、部下たちを左右に散開させた。

 短小銃に弾は込められてはいないので今からでもダイアウルフが全力で逃げだせば仕留めることは出来ないだろう。だが、こうして散開すれば牽制にはなる。

 ダイアウルフを刺激しないよう、そしてこちらの銃に弾が入っていないことを悟られないようにするため、あえて装弾の指示は出していない。



 ダイアウルフから降りた乗り手はアルトリウスらを唸って威嚇するダイアウルフを宥めると、アルトリウスに向きなおって一礼した。


 どうやら敵意は無いと思ってよさそうだ。

 一応、すぐに抜けるように剣の位置を確かめ、アルトリウスは自分の馬を前へ進めた。


閣下レガトゥス!?」


 背後の騎兵が付いて来ようとするが、それを無言で手を上げて制する。


 見れば乗り手はブッカの少女だった。

 羊飼いらしく、クルークを持ち、首からは角笛をぶら下げている。

 フードをとって顔を見せた少女はアルトリウスを見て目を丸くし、そのあとすぐに杖を地面に置いて両膝を揃えて跪いた。



「も、申し訳ありません。

 資格もない平民プレブスなのに、ダイアウルフに乗ってしまいました。

 どうかお許しください。」


 少女は両手を胸の前で組むと切羽詰まったような声でそう言って頭を下げた。


 ダイアウルフはアルトリウスを睨んだまま身構え、ゆっくりと少女に近づいて唸りだす。すると、少女は慌ててダイアウルフの首にしがみついて「ダメよ!」と抑え込もうとした。

 すると、ダイアウルフは渋々という感じで唸るのをやめて尻尾をゆるく振りながら少女を舐める。

 その直後にもう一頭のダイアウルフも駆けて助走をつけると、再び排水路を飛び越え、少女を守るように身構えて唸りだした。


「ダメ!大丈夫だから落ち着いて!!

 すみません、貴族パトリキ様!

 ダメ!大人しくして!!」


 あわてて少女は戻ってきたもう一頭の方も抑えようとする。



 少なくともこの少女に敵意や害意といったようなものは無いようだと判断したアルトリウスは馬上から少女とダイアウルフたちを見下ろしたまま訊ねた。


「少女よ、お前は何者だ?

 そのダイアウルフはどうしたのだ?」


 少女は再びアルトリウスの方を向いて両膝を突き、胸の前で手を合わせると言った。


「は、はい!

 えっと・・・すみません、私は《陶片テスタチェウス》でリクハルド様の下で農業を営む小作人コロヌスのブッカ、オスモの娘でファンニファンニ・オスモドゥティルと申します。

 このダイアウルフたちはリクハルド様が捕まえられたもので、私が散歩のお世話を命じられました。」



「お前ひとりでか?

 何故、お前がそのような役目を任されているのだ?」


 アルトリウスの問いにファンニはどう答えて良いか逡巡しゅんじゅんし、それから思い切ったように答える。


「はいっ・・・

 その、わかりません。

 ただ、このダイアウルフたちが他の大人たちの言う事は聞いてくれないのに、私の言う事なら聞いてくれるので・・・それで、私にやれと言われました。」


「そのダイアウルフたちはお前の言う事しか聞かないのか?

 それは何故だ?」


「す、すみません。

 私にもわかりません。」


「他の者の言う事は本当に聞かないのか?」


「その・・・はい。

 《陶片》の大人たちの言う事は聞いてくれません。

 餌も、私があげたものしか食べてくれません。」


 話は多分嘘ではないだろう。

 実際、ダイアウルフたちはどういうわけか今も少女ファンニを守ろうと身構えたままアルトリウスを睨んでいるし、片方は一度は排水路の向こうまで逃げているのに、わざわざ戻ってきたぐらいだ。

 少女になついているらしいというのは、見ていても事実だとわかる。


「それで、お前にこいつらの世話を任せたのか・・・

 誰が命じたんだ?リクハルド卿か?」


「はいっ・・・いえっ!

 その・・・リクハルド様の手下の、ラウリの旦那さまです。」



「なるほど。

 で、お前は本当にこいつらに言う事を聞かせられるのか?

 人や家畜を襲ったりしないのか?

 こいつらが羊を一頭襲ったと報告を聞いているぞ?」


「はい!

 その・・・最初に子羊をとられましたけど、リクハルド様に捕まえられてからは餌を与えられてますし、大丈夫だと思います。

 私は昨日から面倒を見てますけど、誰も襲ってません。」


「・・・勝手に逃げたりしないのか?」


「その・・・わかりません。

 今のところ、逃げたりしてません。

 あ、さっきは逃げましたけど・・・

 さっきのは、多分貴族様が大勢で来られたので、多分ビックリしたんだと思います。

 今は大丈夫です。」


「お前は何故、ダイアウルフに乗っていたんだ?」


「お、御許しを!!

 平民が馬とかに乗っちゃいけないのは知ってるんですけど・・・その、すみません!

 えっと、乗ろうとして乗ったんじゃなくて、乗せられたんです。」


「乗せられた?」


「はい・・・その・・・信じていただけないかもしれませんけど、ダイアウルフが私を乗せるんです。」


「乗せる?お前を?」


「はい・・・えっと・・・片っ方のダイアウルフが伏せてて、もう片っ方のダイアウルフが私の襟首を咥えて、私を持ち上げて伏せてる方の背中に乗せるんです。

 それで、私が降りる前にそのまま立ち上がってしまって・・・」


「何でだ?」


「あの・・・わかりません・・・

 その・・・多分、私の歩くのが、遅いから・・・かも・・・」



 この時、いつの間にかはぐれていたらしい牧羊犬が少女ファンニのすぐそばまで歩み寄って数回ニオイを嗅ぐと、そのまま飛びついて顔を舐め始めた。


「あっ、こら!

 ゼン!今はダメ!!」


 慌てて少女は牧羊犬を抑えようとする。ダイアウルフはアルトリウスの方を睨んだままだったが、その様子に気付いてわずかに尻尾を振り始めた。

 どうやらダイアウルフたちがこの娘になついているのは間違いない。多分、リクハルドはそれを見越して任せているのだろう。今、ここで無理に刺激して無駄な騒動を起こすのは好ましくない。

 下手にここで部下たちに装弾を命じたら、それこそ本気で逃げ出すかもしれない。

 さきほどの走りっぷりからして、そんなことになったら騎兵隊でも簡単には追いつけないだろう。装弾が終了する前に射程外へ逃げるだろうし、追いつくのは厳しい。ダイアウルフは目の前の排水路を飛び越えられるが、騎兵にはまず無理だ。

 無駄に騒動を起こした挙句、却ってダイアウルフを逃がすことにでもなれば余計に面倒なことになる。



「なるほど、わかった。

 驚かせてすまなかったな。」


 アルトリウスはそう言うと手綱を引き、馬首を巡らせた。

 帰ろうとするアルトリウスにファンニが声をかける。


「あの!貴族様!!」


「何だ?」


「その、私、許していただけるのですか?」


 一度は背中を見せようとしていたアルトリウスだったが、再び馬首を反転させてファンニの方を見た。


「何をだ?」


「その・・・私がダイアウルフに乗ったことをです。」


 ああ、そう言えば・・・と、思い出した。ひとまずダイアウルフについては大丈夫そうだと思い、その事をすっかり忘れていた。というか、最初から気にもしていなかった。


「まあ、乗せられたのなら仕方あるまい。」


「いいのですか?」


「ああ、許す。

 振り落とされんように気を付けろよ。」


 アルトリウスはそう言うと再び馬首を返し、馬の腹を蹴って今度こそ帰路についた。


 途中、部下がアルトリウスに話しかけてきた。


閣下アルトリウス、あれでよろしかったのですか?」


「何がだ?

 あのダイアウルフはあの娘になついているようだ。

 逃げる心配はなさそうだし、人や家畜を襲う事もなさそうだ。

 下手に刺激して却って逃がすより、あのまま任せた方がよかろう。」


「そうではなく・・・その、あれでは閣下アルトリウス事になりませんか?」


「あ・・・」

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