アヴァンチュール

第159話 酒保開業

統一歴九十九年四月十六日、夕 - マニウス要塞陣営本部前/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニに荷馬車が入って来る。それは別に珍しい事でも何でもなかった。

 二台の荷馬車は要塞カストルム中央通りウィア・プラエトーリアを進み、要塞司令部プリンキピアを迂回してその裏側へ回っていく。そこはクィントゥスの特命大隊によって封鎖されているエリアの筈だが、警備にあたっている軍団兵レギオナリウスは先頭の馬車の御者台に見慣れた百人隊長ケントゥリオの姿を見止めると、荷馬車を止めることなくあっさりと通過させた。


 セルウィウスは幸運だった。

 クィントゥスから業者探しを依頼された彼はロリカを脱ぎ、私服に着替えると急いで城下町カナバエにある実家へ行った。そして実父に会い、詳しい事情は言えないが特別な任務で要塞から出られない大隊コホルスのために酒保しゅほをやってくれる業者を紹介してくれるよう頼んだ。

 かなりな部分を伏せた相談だったが、業者自身も口が堅い事という息子セルウィウスの挙げた条件に思うところでもあったか、細かい部分を問いただすこともなく一人の業者を紹介してくれた。


 それは解放奴隷の被保護民クリエンテス売春宿ポピーナを経営していたが、先のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件の際に店に投擲爆弾グラナータを投げ込まれた犠牲者の一人だった。

 事件の際に店にいた家族同然の店員を一人失い、葬儀やなんやかやで休業していたが、そろそろ店は再開させたい。しかし、店は壊れたままで修理が終わっていなかったため営業再開できずに困っているという。

 父の紹介でその業者に会うと二つ返事で了承してくれたうえ、さっそく今日から営業すると言い出した。提供する厨房スタッフ四人と六人はいずれもセルウィウスの父か業者の被保護民であり信用できるという。


 セルウィウスが一度要塞に戻って荷馬車を借りて来ると、まだ爆破された時のまま片付いていない店から調理器具と食器類を引っ張り出した業者が十人のと共に待っており、さらに食料と酒を満載したセルウィウスの実家の馬車も御者付きでセルウィウスの到着を待っているような状態だった。



 かくしてセルウィウスの連れてきた業者はさっそくリュウイチが収容されている陣営本部プラエトーリウムの向かいにある軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム用宿舎に入り、を開店させた。


 軍団レギオーでは通常、兵士の食事は十人隊コントゥベルニウムごとの自炊である。パンはパン焼き専門の部隊が請け負うが、パンの配給以外は各十人隊で料理する。それも大抵、一品だけだ。

 足らない分は民間業者から買って食べる。レーマ軍では行軍中も御用商人が随行して陣営の傍で営業してくれるから、そこで買い求めるのだ。

 要塞前の城下町は、だいたいそういう従軍商人らが陣営前に屋台を構えて自然発生的に屋台村をつくりあげる習慣が元になっていて、野営用の陣営が恒久要塞カストラ・スタティヴァになるのに合わせて屋台村が恒久化して商店街となったものだ。


 だが、クィントゥスの大隊は要塞から出る事が出来ないため、配給されるパンと自分たちで自炊する分以外の料理を手に入れる事が出来ない。

 その対策として、クィントゥスは大隊専用の食堂タベルナを設置する許可を貰った。したがって、この酒保は対外的にはあくまでも食堂タベルナという事になっている。


 もちろん、その中で風紀を乱すような売春行為などは禁じられている。

 ただ、給仕をしている女性と客の男性が互いに一目惚れして恋仲になってをし、そういう関係になった男性がそういう関係になった女性に対してにも同じ額のお小遣いをあげることがあるというだけだ。


 だからこの酒保で働く娼婦・・・もとい、女性は皆をしている。

 レーマ帝国では娼婦は売春営業する際は裸体の透けた服を着るか、髪の毛を青かオレンジ色に染めなければならない事になっている。しかし、彼女たちは決して娼婦じゃありませんよ、ただ給仕をするだけの女性スタッフですよという事をアピールするため、あえて髪の毛も染めず服も普通の透けないトゥニカ姿だった。



 しかし、それはあくまでも公的な話であって実態はもちろん違う。

 前述したように酒保の主役は厨房スタッフが提供する料理ではなく、表向きは料理を給仕するだけの女性スタッフの方だ。やる事は売春宿ポピーナそのものである。


 セルウィウスが二台の荷馬車で戻ってきたうえに、その荷馬車から六人の女が降りるのを見た瞬間から、兵士たちはもう完全に浮足立ってしまった。

 女たちは決して粒ぞろいと言えるほどの器量では無かったのだが、何せ同種族の女と最後に触れてから十日以上も男だらけの環境で禁欲生活を強いられてきたのだから無理もない。

 中には任務そっちのけで入口から営業開始前の酒保を覗き込んで女たちの値踏みをし始める気の早い兵士まで出始める始末だ。


 要塞内の避難民にも女はいるし、粉かけてこようとする娼婦もいた。だがそっちは決して手を出しちゃいけない相手だった。

 絶対相手しちゃいけない女と、これから(金さえ払えばだが)手を出してもいい女では、見る目も違ってきて当然だろう。



「早かったな。

 さすがに今日からとは思わなかったぞ。」


 酒と食料を降ろし終わった実家の荷馬車を送り出したセルウィウスに、背後からクィントゥスが感心したような呆れたような口調で話しかけてきた。


「ええ、運よく丁度いいのがみつかりまして。」


「機密保持については大丈夫なのか?」


 クィントゥスにとっては一番気になる部分である。


「はい、全員が被保護民です。」


 コネ社会のレーマ帝国では「この人は自分の被保護民だ」と紹介されれば信用しない訳にはいかない。被保護民が信用できないということはその保護民パトロヌスを信用できないと言っているのと同じであり、紹介者に対する侮辱と同じになってしまうからだ。


「御父上の紹介か?」


「そんなところです。」


「紹介料は?」


「無用です。」


「そうか・・・何か礼を考えておかねばならんな。」


「大丈夫ですよ。

 その代わり、酒と食材を実家ウチから仕入れてもらうということで・・・」


「わかった、それくらいは請け負おう。

 だが、もう一度兵の方も引き締めておく必要があるかもしれんな。」


 クィントゥスはそこから見える辻々で立哨に立っている兵らを見て行った。

 ハスタ大盾スクトゥムを持ってビシッと姿勢を正して立つ兵士たちも、よく見るとほとんど全員が今夜のを思い浮かべて鼻の下をだらしなく伸ばしていた。



 まったく、どいつもこいつも・・・


 さっきまでクィントゥスは陣営本部でリュウイチと会っていた。

 リュウイチに面会を申し込んで待っている間にルクレティア宛の急使が来たため、ついでに引き継いだ。ルクレティアとヴァナディーズにティトゥス要塞へ急いでくるようにとのことで、その理由はクィントゥスには知らされなかったが迎えの馬車が陣営本部の前で待っているような状態であり、よほどの急用であろうことは間違いなかった。

 渋るルクレティアを馬車で送り出したため、クィントゥスは初めてリュウイチと一対一での面会となった。


 幸い、用件は単に奴隷たちに武具を渡すのに立ち会うだけだったし、その武具も先日の実験であらためて軍団首脳陣の許可を得ている物なのでクィントゥスに何か重大な責任が圧し掛かるような事は無く、割と気楽に処理する事が出来た。


 ただ、極端に高価で高性能な武具を与えられた奴隷たちのはしゃぎようときたら・・・まあ、無理もない。この世界ヴァーチャリアでは至宝と位置付けられるような聖遺物を惜しげもなく与えられるのだから喜ぶのは当たり前だろう。

 しかし、それを第三者として見るクィントゥスの心情は複雑だった。

 素直に羨ましいという気持ちもある。だが同時に、与えられる物の価値を考えれば、よく無邪気に喜べるなという呆れの方が先に来る。そして、今後それらが盗まれたり奪われたりしないよう、クィントゥスやその部下たちも気を使わねばならなくなるのだ。

 それを思うと妬みとかではなく、純粋に反感のような気持ちが湧きあがるのを抑えきれないのも事実だった。


 ホント、能天気なもんだ・・・。

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