第160話 秋の暮

統一歴九十九年四月十六日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ルキウスとの何気ない会話の中で毎日の宴会は困るというような発言をして以来、リュウイチの客を招いての晩餐会ケーナ酒宴コミッサーティオは二日に一度のペースで行われるようになっている。

 昨日はカエソーとアントニウスらがマニウス要塞にいる最後の日ということもあって、二人を交えた晩餐会と酒宴が開かれていたため、今日は大掛かりな晩餐会や酒宴は開かれない。アルトリウスはカエソーとアントニウスの見送りと会議の出席のためティトゥス要塞へ向かっていて不在だったし、ルクレティアもヴァナディーズも急遽ティトゥス要塞へ呼び出されてしまったため、現在リュウイチの宿舎となっている陣営本部プラエトーリウムにはリュウイチとリュウイチの奴隷八人しか残っていなかった。

 当然、夕食はこの世界ヴァーチャリアへ来て初めて、リュウイチ一人で済ませることとなった。もっとも、奴隷たちが不慣れながら給仕を務めていたため、完全に独りぼっちというわけでは無かったが・・・。


 料理はアルトリウスのお抱え料理人がやってきて調理していってくれることもあって、味にハズレは無い。贅沢を言うなら、味が綺麗にまとまり過ぎていて刺激が少ないため、この世界ヴァーチャリアへ来る前はあまり大したものを食べてこなかったリュウイチの舌には旨いんだか旨くないんだかピンとこないのが難点だろうか?

 ジャンクフードを食べ慣れた人が高級料亭に行っても、刺激が感じられずに拍子抜けしてしまうような、あんな感じだ。

 当然、出されるのはレーマ料理が基本でリュウイチの食べ慣れない「洋食」ばかりなのだが、リュウイチ自身は「日本人はやっぱりゴハン」というようなこだわりは特に持ち合わせていなかったので「米の飯が恋しい」「味噌汁飲みたい」「納豆食べたい」といった欲求を切実に感じるようなことは無かった。

 高校時代に両親を亡くし、幸い親戚に支えがあって高校卒業まではしたものの、それ以降はずっと一人暮らしでいい加減な食生活を続けてきた結果、食べ物にあまり頓着しなくなってしまっていたのだ。

 おかげで、食事については味と量さえ満足できれば、ああじゃないとダメだというようなこだわりは一切と言っていいほどない。


 困るのはワインがやたら甘いことだった。まるでシロップのように甘いのだ。レーマでは甘くてほのかに酸味のあるワインが最も好まれ、わざわざ蜂蜜や他の果物の果汁を加えてまで甘みを増すことも普通に行われている。

 それでいてハーブとかスパイスとか色々入っていて、リュウイチの知っているワインとは明らかに異なる味わいであった。


 この世界ヴァーチャリアではガラスの容器が無く、ワインを長期に渡って保存し熟成させる事ができないため、どうしても若いうちに飲む必要がある。純粋な混ぜ物のないワインが飲める期間は限られていて、蔵出し状態のままの味が楽しめるのはせいぜい三か月程度しかない。それ以降は味が変わっていくので、それをごまかすためにハーブやスパイスなど様々な添加物を加えるのだ。

 ちなみに今年のワインはアルトリウシアやサウマンディアでは時期的にまだ仕込んでいる最中であり、一番早く仕込んだワインですら一次発酵が始まったばかりである。

 つまり、今アルトリウシアで飲めるワインは昨年仕込んだワインばかりで、添加物の入っていないワインなど一つとして残っていないのだった。


 この《暗黒騎士ダークナイト》身体のせいかどんなに酒を飲んでも全く酔わないので、そんな怪しげな甘ったるいワインをジュース代わりに飲んでも悪い酔いする事は無いのだが、食事と一緒に飲もうとするとやはりどうも合わない。世の中にはコーラとゴハンを一緒に口にする人もいるが、リュウイチには理解できない感性だ。

 そこでリュウイチは夕食の時の飲み物にはワインではなく黒ビールを頼んでいた。

 この世界ヴァーチャリアに来て最初の食事の時に出された黒ビールと同じものだが、格別旨いかというと実はそういうわけでもない。リュウイチにとっても多くの日本人と同じように、やっぱりビールと言えばキンキンに冷やしたラガービールである。同じラガービールでも稀にある中国人が経営していて中国人客が常に入り浸っているような場末の中華料理店で出される常温のビールは、何が良いんだか正直言ってさっぱりわからない。

 ここで出される常温の黒ビールも正直言うとあまり好みでは無いのだが、それでも甘すぎるワインで食事を摂るよりは、まだ温いビールで食事を摂った方がずっとマシだった。


 実を言うとこのリュウイチがビールを好んで取り寄せている事実に、ルキウスをはじめ貴族たちは戸惑っている。

 レーマ帝国では奴隷でさえワインを飲む。もっとも、奴隷用のワインはブドウから果汁を絞った後の搾りカスに水を注いでもう一度絞った出涸でがらしの果汁を使って作るロラと呼ばれる最低級のワインなのだが、レーマ帝国ではビールはアリカと呼ばれ、ロラよりもさらに低級の飲み物と見做みなされているのだ。

 実際、一番安い麦酒アリカはロラの半分ぐらいの値段で買える。


 もっとも、アルトリウシアではブッカたちが昔からビールを作って飲んでいたし、気象条件が悪くブドウが栽培できないためアルビオンニア地方以外のレーマ帝国地域ほどビールの地位は低くは無いのだが。

 だがそれでもこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な存在である降臨者リュウイチが黒ビールを好んでいるという事実にかわりはない。貴族たちはリュウイチの知らないところで、この問題にどう対処すべきか悩ましく思っていた。



 一人での食事を終えるとリュウイチは寝るまでの間する事が何もない。

 風呂は宿舎内にもあるが、レーマ帝国では昼間の明るいうちに入るのが普通であり、リュウイチも既に入浴は済ませてある。実を言うと身体を洗うのは自分自身に浄化魔法をかければ風呂で洗うより簡単で綺麗になるので、風呂に入る必要性は無い。せいぜい、お湯につかって身体を温めるぐらいだった。

 ルクレティアもヴァナディーズもいないのでチェスの続きもできないし、奴隷たちにチェスなどのテーブルゲームが出来る者がいるかどうかは知らない。奴隷とはあまり慣れ合わないように言われていることもあって、彼らとの距離感はまだ掴めていなかった。

 魔道具マジックアイテムソロモン王の指輪リング・オブ・キング・ソロモン』のおかげで会話には困らないが、読み書きができるわけじゃないのでこの世界ヴァーチャリアの本を読んで時間を潰すこともできない。


 そんなわけで特に何かするでもなく、自室前の回廊からリュウイチは中庭ペリスティリウムを眺めていた。空は未だ明るさを残していたが、日は既に水平線の向こうへ没しており、中庭は早くも夕闇の支配する世界と化していた。

 秋もだいぶ深まっているため、植え込みから聞こえる秋の虫の声もまばらで、低く物悲し気な音色を空しく響かせていた。



 暇だな、これからこんな日がしばらく続くのか・・・。



 そんなことを考えながらぼんやりと眺めていると、中庭の向こう側で奴隷が数人集まって何やら話をしている。

 そこは私的なエリアと公的なエリアを繋ぐ通路へ通じる場所で、よく見ると警備にあたっている筈の軍団兵レギオナリウスの姿も見えた。



 何してるんだろう?



 暇を持て余しているリュウイチは楽しそうに話している様子に興味がわいたが、しかし自分があそこへ行けば確実にあの楽しそうな空気を壊してしまうだろう。

 そんなリュウイチの傍へ別の方向からランタンを持った奴隷の一人が歩いてきた。

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