第161話 風俗情報

統一歴九十九年四月十六日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 この世界ヴァーチャリアでは夜の灯りと言えば火しかない。

 暖炉の焚火、篝火かがりび、ランプやロウソクだ。

 ロウソクは高級品であり鯨油ロウソクや蜜蝋ロウソクは高くて貴族ぐらいしか手が出ない。庶民にも手が届くのは獣脂ロウソクぐらいなものだが、これは火をつけると黒煙と嫌な臭いを出すので使われることはあまりない。なので、一般には油に火を灯すランプが用いられる。

 油も買えないような貧乏人は焚火や篝火を使うしかないが、平民プレブスなら普通はそれさえも惜しんで暗くなったら寝るのが普通である。

 夜更かしはそれだけで無駄に灯り代を浪費する贅沢なのだ。


 夕闇に染まる中庭ペリスティリウムを眺めるリュウイチの元へ回廊を歩いてきた奴隷が持っているランタンは手持ち式のランプで青銅で出来ている。

 ただし、この世界ヴァーチャリアではガラスは普及していないので、火を覆うのはガラスではなく、紙や布や目の細かい金網などだ。植物紙を使えば風には強くなるが光が遮られ暗くなり、金網や薄絹を使えば植物紙のランプより明るくなるが風に弱くなる。

 今リュウイチの目の前の奴隷が持っているランタンは屋外で使うことを考えて風に強い植物紙を貼ったもので、灯りとしては明るさが少々物足りないうえに、上に青銅板の傘が被っているので上の方へは光が届かない。

 奴隷は誰かがいる事は気づいたしリュウイチであろうとは思っていたが、一応確認のためにランタンを高く掲げてその姿を確認した。


「あ、旦那リュウイチ様。失礼いたしやす。」


 手に掲げたランタンの灯りに照らされた顔は見覚えがあった。八人の中で一番年長っぽい奴隷だった。


『ああ、何してるんだ?』


「いえ、今日はもう仕事がありやせんので、最後に戸締りをと思いやして・・・」


『そうか、御苦労さま。』


「へぇ、勿体ないお言葉で、ありがとうごぜぇやす。

 旦那様はまだ何か?」


『いや、することが無くてね。

 ところであれは何してるんだ?』


 リュウイチは談笑する奴隷たちを指して言った。


「ああ、こいつぁどうも、すぐにやめさせやす。」


『いや、別にいいよ。

 ただ、何か楽しそうだなと思っただけだ。

 何かあったのか?』


「ええ、アッシらもですが、実はあの兵隊どもも要塞から出られんのですよ。

 で、もう十日ちかく遊べとらんもんで、だいぶ溜めとったんですがね。

 特別に商売女呼んで営業してもらう事になって、それが今日からなんですわ。」


『へえ、慰安所みたいなもんか。』


「まあ、そんなとこでやす。

 で、あの兵隊はさっそく行って来たそうで、どんな女が来てるとかどんな様子だったかとか話しとるんですわ。」


『ふーん。』


旦那リュウイチ様も興味がおありで?」


『そりゃあね。

 そういや、こっちの世界ヴァーチャリアの風俗店ってどんな感じなの?』


「まあ、色々ありやすが、一番は売春宿ポピーナですかね。」


『ポピーナ?』


「ええ、まあ居酒屋みたいになってやしてね。

 娼婦どもが給仕ウエイトレスしてるんで、まずは酒と食い物頼んでそいつを楽しみながら娼婦おんなを品定めしやしてね。

 気に入ったのに声をかけて交渉して、商談成立すると部屋へ案内されてって感じでしてね。」


『へえ、そこで働いてる女はみんな娼婦なの?

 間違って娼婦じゃない女の人に声かけてトラブったりしない?』


「商売する女は身体の透けた服を着るか、髪の毛を青色かオレンジ色に染める決まりになってやすんで間違えるこったぁありやせん。」


『へえ、そりゃ便利だ。』


「まあ、そういう決まり守って真っ当に売春宿ポピーナで商売してる女じゃなくて、普通の食堂タベルナ軽食屋バールで給仕やってる一見普通の女でも、声かけりゃだいたいくれんですがね。

 全く売る気の無い女は店で給仕なんかしやせんや。

 まあ、売る気もないけど他に働き手がいなくて仕方なく給仕してるって女もいねぇわけじゃありやせんが、給仕女ウエイトレスは売るのが当たり前なんで男に『いくらだ?』って訊かれたからって腹立てるような奴はそうそういやしやせん。

 まあ、断られてんのにしつこく言い寄ってりゃ、さすがに用心棒が出てくるでしょうがね。」


 へへッと笑うようにその奴隷は答えた。


『へえ、相場ってどれくらいのもんなの?』


「まあ、まともな店の娼婦なら一回で銀貨一枚ってとこですかね。

 高くても二枚か。

 道端で客引いてるような野良の商売女ならその半分もしやせん。

 パン一つ分で口だけって女もいまさぁ。」


『その要塞内の慰安所は?』


「相場通りで、銀貨一枚ってとこでさぁ。

 旦那も興味おありで?」


『そりゃね、どんな娘がいるんだい?』


「ええ、そうですね・・・あ!

 ああ・・・すいやせん。」


 得意げに話そうとしていた奴隷だったが、何かを都合の悪い事を思い出したのか、急に口ごもって気まずそうに謝った。


『ん?

 どうした?』


「その、慰安所の方にいる娼婦はぜんぶホブゴブリンで・・・」


『ああ・・・なるほど・・・』


 目の前にいる奴隷やこれまで見てきた男性ホブゴブリンの猿人みたいな顔とごっつい体形から想像すると、さすがに抱ける自信は無かった。そもそもたないんじゃないか?


「申し訳ねぇです。」


『いや、君が謝る事じゃないさ。』


「外に出れんならたとえヒトの娼婦でもご案内出来ねぇこたぁねえんですが・・・」


『へえ、詳しいの?』


「ヘヘッ、まあ、アッシもそこそこ遊んでやしたんで、アルトリウシアの店ならだいたい知ってまさぁ。」


 奴隷は照れ臭そうに頭をかいて笑う。


『へえ・・・あ、名前なんだっけ?』


「へい、リウィウスと申しやす。」


『八人の中で一番年上なんだっけ?』


「へい、恥ずかしながら。」


『じゃあ、もしも実際に案内するとしたら?』


「そうでやすな、まあ旦那リュウイチ様ぁ金の心配ねえでしょうから《陶片テスタチェウス》でしょうな。」


『てすたちぇうす?』


「リクハルドヘイムってぇ街の呼び名でさぁ。

 アルトリウシアのだいたい真ん中にある街で、全体が赤い柵に囲われてんですがね、街をつくる時に地面に陶片を埋めて土地を作ったことから《陶片》ってよばれてんでさぁ。

 その街の『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』ってぇ店なら間違いねぇかと。」


『そこが一番いい店なの?』


「だいたい、どの種族の娼婦も同じくらい揃ってる店なんでやすがね。

 アルトリウシアのヒトの娼婦では一番人気のベルナルデッタってぇ女がいんでさぁ。」


『へえ・・・ベルナルデッタねぇ』


「ありゃぁ、ヒトの女だがアッシらホブゴブリンから見てもいい女でさぁ。」


『ふーん、ありがとう。参考になったよ。』


「いえ、とんでもねぇです。」


『そういや、君らもその慰安所は利用できるの?』


「へぇ、金さえあれば使わしてもらえるって約束なんで、みんな最初のお給金が楽しみってわけで。」


『いや、せっかくだしみんなで行っておいでよ。

 ほら、お駄賃だ。』


 そう言うとリュウイチはストレージから空き袋を取り出し、中にデナリウス銀貨十六枚入れて差し出した。


「え、いいんですかい!?」


 リウィウスの表情がパアッと明るくなる。


『かまやしないよ。』


「へぇっ!ありがたくちょうだいいたしやす!!」


 そういうとリウィウスは慌ててランタンを床に置くと銀貨の入った袋を両手で押し頂いた。


『それ、八人分だからね?』


「へぃ!承知でやす!!」


 リウィウスはホクホク顔で崇め奉るように袋を二、三度顔の前で押し頂くとランタンを拾い上げた。


『じゃあ、俺はもう寝るから、魔法で結界も張っちゃうから、今日はもうコッチに近づかないでね。』


かしこまりやした!!」

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