第162話 ポピーナ・ルーナ・プレーナ
統一歴九十九年四月十六日、夕 - 《陶片》満月亭/アルトリウシア
店の中は閑散と・・・とまでは言わないが、ここ最近客の入りは低調だ。
理由は分かり切っている。一週間前に起きた
《
貴族や大店の主みたいなお偉いさんはというと、このような
こういう
ここで商売している娼婦が高いのか?というと、決してそうでもないのだが、割と人気のある娼婦が多いのでこの店で遊ぼうとするとどうしても店内で順番待ちをしなければならなくなる。すると、食べ物や飲み物を頼まない訳にはいかない。店から追い出されるからだ。
ポピーナはレーマの風俗業では最もポピュラーな営業形態だが、ポピーナという形態の店の面白いところは、あくまでも主体は飲食店であるという点だ。店は別に娼婦を抱えているわけではない。
店が得る利益は客に提供する飲食と貸す部屋代だけである。
娼婦は店に所属しているわけでは無く、店で営業させてもらっている個人事業主という位置づけになる。
普段は、
店も娼婦が営業してない時は給仕をすることと、営業する際は店の部屋を使う事を条件に、娼婦たちに店で仕事をする事を認めている。
営業の際に店から借りた部屋の代金はその日の終わりにまとめて清算するが、基本的に娼婦が負担する。まあ、売春の代金に含まれているので、その分で娼婦が損をするというわけではない。
そういうわけで、店は飲み食いもせずにただ娼婦の順番待ちをしている客なんかに用はない。そういう客から金が入ってこないわけでは無いが、利幅が少ないのだ。
すると、店で娼婦の順番を待つには娼婦を抱く金の他にどうしても飲み食いするための金がかかるようになる。そしてこの店の酒と食べ物は他の店より一寸だけ高めの設定だった。
だから貧乏人はこの店では遊べない。
もっとも、物好きな男になると順番が来るまでの間、店の外で夜露に凍えながら待っているような酔狂な者もいないわけではないのだが・・・。
金に余裕のある偉い人たちはほぼ全員が事件の後処理で忙しく、わざわざ《陶片》へ遊びに来る暇がない。当然、偉い人の
《陶片》に隣接する町はどれも甚大な被害を被っていて、ほとんどの被災者は無一文になってしまって遊ぶどころじゃない。
《陶片》で遊ぶのは《陶片》の住民だけという状況では、この店の客の入りは普段の三分の一程度に減らざるを得ないのだ。
おかげで店内の客席は半分以上空いていて、
「おい、手が空いてんならこれ、
店員の一人が
「三番って、フィオレッラの客だろ?」
「フィオレッラはさっき客と部屋に行っちまったよ。」
給仕の
しかし、当のウエイトレスが別の仕事をしている時は話は別である。客を待たせるわけにはいかないからだ。
「ふーん。三番テーブルね。」
「忘れず代金貰っといてくれよ?
「わかってますよぉ」
しかし、彼女と同じヒト種の男の客はまばらで、そのほとんどはベルナルデッタ目当ての客だった。彼女の細く引き締まった身体に目を奪われる男は少ない。
「おまちどお」
「あ、ああ・・・ありがとよ。」
テーブル席で
「二アスだよ。」
「ああ、ああ、わかってるよ・・・ほら。」
男は手に取ったスプーンをテーブルに置き、腰に下げた袋から銅貨を取り出して女に手渡す。
「なんだい、トリエンス銅貨じゃないか。
一、二、三、四・・・」
トリエンス銅貨の価値は一枚で三分の一アスしかない。女は手の平に乗せられた六枚の銅貨を一枚ずつ数えて確認する。
「ハイ、ちょうど。」
心配そうにしていた男はそれを聞いてホッとしたようだった。
「たまにゃあチップくらい払いなよ。」
「ああ、悪ぃな・・・」
男はよく見る顔だった。本来ならこの店に来るような客層ではなく、安い稼ぎでカツカツの生活を送っている。ベルナルデッタにハマっている客の一人で、爪に火を点すような暮らしをしながら小銭を溜めて、月に一度の贅沢でこの店に来ているのだ。
女はそのことを知っているので、テーブルに座っている男の顔を見た瞬間にチップは諦めていた。
フィオレッラの奴、タダ働きが嫌で部屋に逃げたんじゃないだろうね?
彼女はそう言う事をしかねない女だった。
まあ、どのみち客が見付かれば他の客をほっぽっといて部屋に行くくらいは誰だって当たり前にやるのだが・・・。
「ほいよ、ペッテル。お代だよ。」
店の裏に戻ってきた女はそう言うと、受け取った銅貨を帳簿を預かってるブッカの店員に渡す。
「機嫌が悪ぃみてぇだな、リュキスカ。」
「そりゃそうさ、給仕しても碌にチップを払ぃやしねえんだ。」
「しょうがねえさ、ここんとこ不景気だ。」
ペッテルはテーブルに置かれた銅貨の山をチラッと見ると、銅貨の山をざっと崩して広げ、そのまま再びかき集めてトリエンス銅貨専用の袋に仕舞った。
何気ない造作だがその一瞬で銅貨の枚数をちゃんと正確に数えていた。
「だからってタダ働きさせられたんじゃ、こっちの景気まで悪くなっちまうじゃないさ。」
「ぼやくなよ、
「その日の腹が膨れたってね、服も薬も買えやしないんだよ。
アタイらは風呂も香水も化粧だって要るんだ。」
「はいはい、女ってのは面倒が多いな。」
「ねぇ、いっそチップも代金に上乗せしとくれよぉ。」
「そりゃダメだ。」
「何でさ?」
「常連からはチップをとれねぇっていう
そういう営業努力を無駄にしちまう。」
「常連はそれでもいいだろうけどさ、常連じゃない客からとりっぱぐれるじゃないさ。とりっぱぐれる身にもなっとくれよ。」
「そりゃ無理だ。
この業界、金を稼げる
「アタイだってアルビオンニウムにいた時は稼いでたさ。」
「じゃあ、客を捕まえるんだな。」
ペッテルは帳簿を付けながら耳と口だけでテキトーにリュキスカの相手を続ける。目と手はずっと卓上での作業に集中したままだ。
「その客が店に来ないから困ってんじゃないのさ。」
「いっそ、お前も太ってみたらどうだ?」
太った女は客受けが良く、人気が出る。この店の娼婦も半分以上が太めの体形を売りにしていた。
対してリュキスカの身体は胸と尻こそ目立つが、全体に筋肉質で細く締まっている。その胸にしたところで、子供を産んだ直後だから大きいのだ。妊娠前は売りに出来るほどの存在感は無かった。
「冗談はやめとくれ!
アタイは
太ったら踊れなくなっちまうじゃないか。」
だいたい、太れるほど
「お前、身体売った方が稼ぎいいだろ?」
ペッテルは顔をあげてリュキスカを見た。表情が半笑いで小ばかにしているようにしか見えない。
「うるさいね!
アタイはアルビオンニウムじゃ踊りで食ってたんだ。足らない分を身体売って稼いでたんじゃないか。」
「でも
「そりゃ、フライタークが噴火してから子供できちまって踊れなくなったからさ。こっち来てからは踊っちゃいないさ。」
「まだ踊るのか?」
「当たり前だよ!
見なよ、子供産んでから今日まで必死に腹の筋肉鍛えて、弛んじまった腹をひっこめたんだ。舞台と楽器奏者貸してくれりゃ踊ってみせるよ。」
そう言いながらリュキスカは
この店には使われていないが小さいながらも舞台がある。そこで躍らせてもらえれたなら、客を呼ぶ自信がリュキスカにはあった。
ペッテルの顔から馬鹿にしくさったような半笑いは消えたが、代わりに残念そうな呆れたような表情が浮かぶ。
「ふーん、だが楽器奏者なんて《
「ねえ、エレオノーラ姐さんが来た時にでもさ、頼んでみとくれよ。」
エレオノーラはコボルトとブッカのハーフの女でリクハルドの情婦である。そしてこの店のオーナーであり、アルビオンニウムでは
この店には水オルガンなんてないが、有名な水オルガン奏者であるエレオノーラなら楽器奏者の知り合いくらいいるだろう。
「姐さんにか?
まあいいだろ、それで他所からも客が呼べるなら試してみるがいいさ。」
「ホントかい!?
やった!
また舞台に立てるよ♪」
リュキスカが喜んでいるとペッテルはさっと仕事に戻った。
次の瞬間、背後から雇われ店長のヴェイセルの声が響く。
「おいおい、そんなところで油売ってていいのか?
客がいなくても店に出てなきゃ、いざ来た客を逃しちまうぜ?」
「わかってるよ!」
リュキスカはそういうと店へ戻って行った。
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